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2月10日(土) 旧暦12月25日
矢川緑地の藪椿。 ここの椿は色がはんなりとして好きなのだが、この日はいずれもまだ莟だった。 昼過ぎに出社。 と言っても今日は休日である。 ほかにやることもないし、必殺仕事人だからさ、 来てしまうのよ、仕事場に。 来ればやることは山ほどある。 休日の仕事も悪くない。 お煎餅を食べたり、花に水をやったり、本を読んだり、ちょっとゲームやったり、居眠りしたり、そんなこんなで呑気に仕事をしている。誰も咎める人なんていないからね。 本当は抽出や本棚や机の上を整理をしなくてはいけないのだけど、一番不得手である。 森茉莉さんは、その著書『贅沢貧乏』で、部屋の天井と壁と畳の汚れはこの世に存在しないがごとくにして、気に入ったもの(たとえばカナリア色の掛蒲団や伊太利亜のミュゼにある銅版画のような燭台とか)だけを見て贅沢に暮らす幸せを書かれていたが、わたしも自分の手に負えない領域は無きがごとくにして、やりたいことだけにいそしむ、それでいこうと思ってるの。というか、はからずもそうやってきた。 人が綺麗にしてくれるのは大歓迎。いくらでもやってもらいたいけど、そうは問屋が卸さない。だからきっと汚いままなんだろうけど、もうすっかり慣れてしまってヘイチャラである。 今日は、岸本尚毅著『ホトトギス雑詠選集100句鑑賞 春』より。 山焼の麓に暗き伽藍かな 多田桜朶(昭和5年) 作者は「大和」の人。若草山の山焼である。夜の空に山焼の火が燃え盛る。東大寺だろうか、麓には荘重な伽藍がある。 山焼の明るい空を背景に、伽藍は暗いシルエットをなしている。明暗の対照が際立ち、伽藍は重々しい存在感を湛えている。そのような印象を「麓に暗き伽藍かな」と簡潔に、力強く詠った。「麓に暗き」という一見無造作な措辞に、重々しい描写の力が感じられる。「伽藍」という重たい言葉が下五にどっしりと据わっている。 これから仙川を散策しながら買い物をして、早めに家に帰るつもり。 だったが、 人と会って食事をしていたらすっかり遅くなってしまった。 連休一日目の夜となった。。。。
by fragie777
| 2018-02-10 20:38
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