ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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亡き人への存問として。

1月31日(水)   旧暦12月15日


亡き人への存問として。_f0071480_17022691.jpg
枯れと水。


1月最後の日となった。


俳人の大峯あきら氏が急逝された。30日、急性心臓死のためと、新聞にある。
享年88。
あまりにも突然のことで、なんとも言葉がない。


さきほど、俳人の山本洋子さんにお電話をいただいたが、
「わたしもただ、呆然として……。これから吉野(大峯あきら氏のところへ)まいります!」と早々にお電話を切られたのだった。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

新聞によると、お通夜は2月2日午後6時、ご葬儀は同3日午前11時、奈良県橿原市一町345のセレモニーホール橿原。喪主はご長男の朝記(あさき)氏。











さっそくに新刊句集を紹介したい。

笹本千賀子句集『冬のキリスト』(ふゆのきりすと)。


亡き人への存問として。_f0071480_17024546.jpg
四六判ソフトカバー装グラシン巻き。196頁

著者の笹本千賀子(ささもと・ちかこ)さんは、昭和24年(1949)東京生まれ、神奈川県秦野市在住。平成10年(1998)俳誌「槙」(平井照敏主宰)に入会、「槙」同人、「槙」編集長、「翡翠」創刊同人、編集長を経て、現在は「燕俳句会」の代表である。本句集は第1句集『素足の時間』(平成14年刊)につぐ第2句集となる。

  誰かが憶えているかぎり、人は、ほんとうには死なないのよ
                   モーリス・メーテルリンク『青い鳥』
                        江國香織訳(講談社文庫)

第一句集を出してから、十五年の歳月が過ぎた。その間に、師平井照敏の逝去、姑の死があり、句座を囲んだ方々も次々と旅立って行かれた。父母と義父は既に亡くなっていたから、師表として仰ぐ大切な人々の多くは、私の巡りから去り、鬼籍へと移られたことになる。冒頭に置いたメーテルリンクの言葉は、既に人口に膾炙しているものであるけれども、本句集をまとめるに当たって、しみじみと心に響いてきたことばであった。


「あとがき」に書かれた冒頭の言葉である。

本句集は著者の記憶に生きる人たちへの存問の句集である。

 残されし鏡のなかも青葉かな

この「残された鏡」とは、いったい誰が残していった鏡なのだろうか。
そのことを著者は語っていない。ただそこに鏡が残されていてこちら側の青葉が映しだされている。しかしその鏡は残されし鏡であってかつては死者のものであった鏡だ。鏡は現世を映しだしているが、あたかも死者の魂をやどしているかのよう
に死の翳が濃厚である。鏡に映しだされた青葉はそこに閉じ込められることによっていっそう青さをまして冷たく輝き、濃密な翳りを帯びてこちら側の希薄さを感じさせるかのようだ。

この句集を紹介するにあたって、わたしは句集『素足の時間』を取り出して平井照敏氏の序文にもう一度触れてみた。

 大切なことは言はずに一位の実   平12

石原吉郎という私の友は、かつて、詩とはもっとも大切なことを、なんとしても言わないでいようとすることだと言いました。その通りですが、ただし、その大切なものをとりまくように語るということなのです。なぜ言わないのか。言ってしまえば、それが死んでしまうからなのです。だから、大切なことはここといって指さすだけでいいのです。

本句集の担当は、文己さん。

 亡くなりしひとのしぐさも薄暑かな
 寒鰤のすがたで海の運ばれ来
 いつせいに烏の消ゆる大暑かな
 マスクしてこの世いちまい隔てをり
 ものの芽の丹田呼吸してをりぬ
 蚊帳仕舞ふ湖をたたみてゆくごとく
 巨峰受く手のひら夜となりにけり
 傘立は乱世のごとし菜種梅雨
 「母の日」の堰きつて母あふれ来る
 夜濯ぎの両手を秋に入れながら
 たまに来て父がもの言ふ春の夢
 アガパンサス咲いて「遊女の墓」とのみ


幼き日、日曜学校で「わが主イエス」と歌っていた頃から、キリストは私の友であり同行者であった。彼は高みに在(いま)す神ではなく、共に歩んでくださるイエスさまなのだった。冬の最中(さなか)にあるときにも、イエスさまは私の傍らにいてくださった。
この句集を、イエスさまと、亡き師、亡き父母に捧げたいと思う。

「あとがき」より。
こうして、句集名は「冬のキリスト」となった。



本句集の装丁は、君嶋真理子さん。
前句集の『素足の時間』に続いてである。



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グラシン(薄紙)で巻かれて、本に奥行きが出た。


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カバーをとった表紙。


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扉。

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並製の造本であるが、天アンカットにして栞をつけて欲しいというのが笹本千賀子さんのご希望。


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清潔なブルーが美しい。

瀟洒にして遙けき一冊となった。



 巨峰受く手のひら夜となりにけり

文己さんもあげていたが、わたしもこの句に心がとまった。
不思議な一句である。
巨峰の大きな房を、あるいはその一粒でもいいのだけれど、掌に受けた。
たちまちに夜の闇がその掌からはじまっていったと、鑑賞してしまえばそれまでであるが、てのひらが夜となったというその表現が面白い。
夜の質量を感じさせる一句だ。






大峯あきら先生が亡くなったというあまりにも突然の急逝に気が動転してしまって、今日は銀行回りをしなくてはいけなかったのだけど、すっかり忘れてしまった。

明日、しなくては。。。













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by fragie777 | 2018-01-31 19:38 | Comments(0)


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