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1月26日(金) 旧暦12月10日
春待つこころ。 それにしても寒い。 わたしは今日何度指先に息を吹きかけたことだろう。 背中にはホッカイロを貼って、膝と腰を膝掛け用毛布でしっかりと巻いて、 ああ、 それでも寒い。 あたたかな日ざしをこころより恋う。 「俳句」2月号の高野素十特集を興味ふかく読んだ。 とくに岸本尚毅さんが聞き手となっての、「雪」主宰の蒲原ひろしさんへのインタビューは面白かった。 素十の人間像が生き生きと語られて、どうもかなりの酒飲みであった様子。 「乱におよばざること」(これには笑った)と素十にあてた虚子の手紙が残っているとか、虚子と素十の関係も伺い知ることができる。 素十は個人的にも好きな俳人であるが、人気のある俳人である。ふらんす堂文庫の高野素十精選句集『空』(倉田倉田紘文編)は、版を重ねてきたが、目下のところ品切れである。いずれ新装版のふらんす堂文庫で刊行したいと思っている。 また、日原傳著『素十の一句』は、読みやすくて好評、コンスタントに動いている。 本書は「素十入門」として格好の一書である。一日一句の鑑賞で全部で365句。 ちなみに今日の一句は、 山吹の花咲くまでの炉と云ひし 素十 日原傳さんの鑑賞は、 炉辺で耳にした話をそのまま仕立てたような作品である。いつごろまで炉で暖を取るのか尋ねたところ、山吹の花の咲くまでという答えが返ってきたのである。雅な答えに興趣を覚えたのであろう。生活のなかの一つの目印として位置づけられた「山吹の花」。句のなかの「山吹の花」は今咲いている訳ではないが、一度喚起された言葉の残像によって「炉」の句に華やかな彩りを添えている。季語=炉(冬) 25日は、〈火曜日は手紙のつく日冬籠〉が紹介されているのだが、この鑑賞によると、ドイツ留学のために新婚一年余りで別居生活となった素十は、妻よりの手紙を楽しみしているのだが、妻・富士子の筆跡によって送られてきた封筒には「ほととぎす」「玉藻」「朝日新聞」などが入っているのみで肝腎の富士子よりの手紙はない。それについて「甚だ不愉快。一日中不愉快」と記している素十がいて、これもまた興味ふかい。 この妻富士子さんについても、蒲原氏のインタビューで伺いしることができた。(富士子さんもおきゃんだったし、年が十五ぐらい違ったからね、……)などなど。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、『季語別大石悦子句集』より。 鴨鍋や湖を馳走の一つとも 大石悦子 鴨鍋を食べている。窓から湖を見ながら、この湖もごちそうの一つだ、と思いながら。「季語別大石悦子句集」(ふらんす堂)から引いたが、作者は1938年生まれ、大阪高槻市に住む。この句の湖は琵琶湖であろうか。ちなみに、私は例年、琵琶湖畔のどこかの町で俳句仲間と鴨鍋を囲む。「鴨鍋の途中から雪どんど雪」は私の近作。 おなじく今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、岩田由美句集『雲なつかし』より。 忘れ来しところにありし冬帽子 岩田由美 誰も過去に戻ることはできない。過去が変化して現在になっているのだから、そこには現在があるだけ。ところが忘れた帽子を取りに戻ると、忘れた時のままの帽子があった。時の流れに忘れられたかのように。句集『雲なつかし』から。 ブログを書き終えたいま、指先はまだ冷たい。 わたしは冷たい指先のまま、今日は帰ることになる。 可哀想なyamaokaである。。。。
by fragie777
| 2018-01-26 19:49
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