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11月27日 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう) 十日夜 旧暦10月10日
実千両。 俳誌「橘」(佐怒賀直美主宰)の40周年および新主宰就任記念祝賀会がラフレさいたまの桜ホールで行われた。 ふらんす堂からはスタッフのPさんが出席。 とてもあたたかな思いに満ちたいい会でした。と報告があった。 ご挨拶をされる佐怒賀直美主宰。 ●主宰就任のお言葉 ただいま感謝と激励の花束を頂戴し、感激いたしました。 思えば一昨年の五月、「橘」450号記念大会において、松本旭自らの口より、私への主宰継承を宣言頂き、大変有難く思ったことでした。 実は旭はその年の正月に入院し、一度は危険な状態に陥ったこともありましたので、お元気になられ、大きな声で宣言してくださったことが何よりも有難かったのを覚えています。 しかし、半年もたたずに10月の末には、旭は流れ星の如く旅立ちました。 そして大変仲の良かった翠も後を追うように天へと召されました。 「橘」にとっても私にとっても、まさに激動の二年半でありました。 しかし、今日こうして大勢のご来賓の皆さまと会員諸氏の前で主宰就任のお祝いを頂き、身の引き締まる思いでございます。 まだまだ未熟な主宰ではございますが、今後ともご指導ご鞭撻のほど、そしてご協力のほどよろしくお願い申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。 本日は誠にありがとうございました。 ●創刊40周年のお言葉 今日は出掛けに庭の杏の木を見ましたら、もう大分花芽が形づいておりました。 この花芽というのはこの冬を越えて来年の春、また新しい花を咲かせてくれると。 そんなものを見ながら、我々俳人も同じかなあと思いました。 俳句の花芽をどんどんどんどん育てて、そして自分の中で暖め、新しい花を咲かせる。 これを毎日毎日、毎年毎年育てていくものではないかと考えながら今日家を出て参りました。 改めまして、本日はご多忙の中このような多くのご来賓の皆さま、そして会員諸氏にお集まり頂きまして、まことにありがとうございました。 先ほどもお話させていただきました通り、まさに激動の二年半を経てやっと今日に辿り着くことができました。 これもひとえに私を支えて下さったご来賓の皆さまと会員諸氏のご協力の賜と心より感謝申し上げます。 今年、私も数え年で還暦となりました。そして松本旭は数え年100歳、翠は同じく90歳となるはずでありました。 「橘」40周年のこの区切りは、旭百寿、翠卒寿、そして私の還暦とまことにめでたい年になるはずでありました。 そのことが悔やまれることえはありますが、今日こうして多くの皆さまのとともに旭の育てた「橘」の40周年を祝うことができ、旭も翠も高いところより笑顔で見守ってくれていることと存じます。 私は50歳で教員生活に終止符を打ち、俳句中心の生活に入ったわけですが、その時旭はすでに90歳。 何かとお世話をせねばならないぬという気持ちがその大きな要因でありました。 しかしまったくそんな心配もせぬまま過ごさせて頂きましたこの7、8年間は私に沢山の素晴らしい出合いの恵みを与えてくれました。 本日お集まり頂きましたご来賓の皆さまおひとりおひとりを初めとする、沢山の出合いを頂くことができました。 「橘」の指針のひとつに「生み出でしものへの感謝を忘れまい」という一行がございますが、まさに皆さまとの出合いは、この「生み出でしもの」を共有する者と出合いであり、「生み出でしもの」へ感謝を捧げるものとの出合いでありました。 また、「橘」会員のひとりひとりも、「橘」を生み育てた松本旭への感謝を忘れず、こんな新米主宰を支え、本日もこのように沢山お集まり頂きました。 私は俳句が大好きでありますが、それ以上に俳句を愛する仲間が大好きであります。 これからも俳句を愛する皆さまのためにそして、これから俳句を愛して下さる方々のために、与えられたこの「橘」を活動の礎としながら、なお一層精進していくことをここにお誓い申し上げ、挨拶とさせていただきます。 本日はまことにありがとうございました。 「橘」から感謝状を贈られた方々。(印刷屋さんなど俳誌「橘」をこれまで支えてこられた方々である。) 佐怒賀直美主宰、 主宰就任、おめでとうございます。 「橘」俳句会の皆さま、 40周年、まことにおめでとうございます。 新主宰を中心に「橘」のますますのご充実をお祈り申しあげます。 新聞記事を紹介したい。 今日の朝日新聞の「風信」に、大西朋句集『片白草』が紹介されている。 かはほりのきゆつと縮みし眼かな 大西 朋 第1句集。俳句生活12年、畑生活10年、透明感のあるまっすぐな言葉が印象的。 讀賣新聞の「枝折」には、シリーズ自句自解II ベスト100 『大牧広』が紹介されている。 第1句集『父寂び』から第9句集『地平』まで、厳選した100句を解説する。 24日付けの神戸新聞には、俳人の山田六甲さんによって、市川薹子句集『たう』が評されている。 なかなか読む機会がないので全文を紹介したい。 市川薹子句集『たう』。 薹子は1945年高知県生まれで、現在は明石市に在住。85年波多野爽波の「青」に入会。2007年、第1句集『おほきな息』出版後、09年「椋」(石田郷子代表)に入り今日に至る。 俳句とい詩形は子どもでも驚くような句を詠むことができる一方で、長い年月に培われた言葉の審美眼によって紡ぎ出される。いわば狭くて幅広い文芸なのだ。と薹子は示してくれる。 種池やまばたきほどの波生まれ 桑の実や水に大きな音が棲み 茅花流しを舟人のごとく来る 山水に蟹の骸(むくろ)の真白なる 風よりも水にふるへる稲の花 稲妻や水栽培の壜二つ 水に関わる句材が多いのも、潜在的に水が意識されているのだろう。 中でも、「桑の実」の作品は薹子の代表的な作品となろう。「水に大きな音が棲んでいる」と、目に見えるような音を言い止めている。桑の実と水音との「取り合わせ」の句で、作者のせいではないが、時代的に桑の実を知らない人が増える。「水に大きな音が棲み」が強烈だけに、上五「桑の実」が忘れられる恐れがないともいえない。ある俳人の句で「やがては水となるわれか」が印象的に残っているが、上五が何だったか忘れて思い出せない。これは取り合わせ句の弱点だと思っている。とはいえ「桑の実」の句の価値は変わらない。だから筆者は五七五を一つのフレーズとして記憶する努力をするだろう。 山吹はこぼれさうなる裕明忌 どの樋も雪解水のぬるぬると 餅花にふれて軒借る雨やどり みづうみの水減つてゐる野菊かな 虫売の横にさつきの子が屈む おとろへぬものに柏手冬桜 なで肩のいまもなで肩みなみかぜ 俳句は感動の詩であると同時に石田郷子の「気づき」の発見だが、そのための意識を常に駆使している薹子の姿勢が生き生きと伝わってくる。 また、句集の巻末の句を何にするかによってその俳人の今後を予測させると同時に、本質が見える。「なで肩が年齢を重ねたら変化すると思っていたが今も変わることなくなで肩だったよ」という俳句のもう一つの要素、諧謔(ユーモア)にそのことが顕著に出ていよう。なお句集名の「たう」は 人を呼ぶ手の中にあり蕗の薹 によるものだと思う。ふらんす堂。 昨日と一昨日のねんてんの今日の一句」は、青木月斗句集『月斗句集』より。 25日のものは、 短日や喫茶去の侶詩酒の侶 青木月斗 タンジツヤキッサコノトモシシュノトモ、と読む。大阪俳句史研究会の「大阪の俳句―明治編」の『月斗句集』(ふらんす堂)から引いた。この集の編集担当は中原幸子。月斗は子規が新俳句を提唱した時期に登場した大阪の俳人である。その月斗の主要な約500句を集めたのがこの本。茶と酒と詩(俳句)の友が月斗の三友だという句であろうか。 『月斗句集』を読む会を1月14日(日)正午から13時30分まで茨木市クリエイトセンター(市民総合センター)(アクセス)で開く。中原幸子をナビゲーターにして読み解く。参加希望者は今月中に坪内(メール:sendan575@gmail.com)までどうぞ。句集代を含めて参加費1500円(句集をすでに持っている人は300円)。 26日は、 山骨に日のさして来し時雨かな 青木月斗 山骨(さんこつ)は山が崩れて岩や土砂が露出したところ。そこに日がさしてきた、と思うと時雨がさっと来た、という句。まさに時雨という感じ。時雨に濡れた山骨がなまなましい。 昨日も書いたように月斗句集を読む会を開く。この会は私の主宰する読書会として継続する。いろんな本を皆で読むつもり。参加者はその都度に募集する。読む本も私が決めて予告する。次回は3月、日時や書名、場所は近く発表する。 今日はお昼を食べ損ねてしまったので、5時頃になってお隣のセブンイレブンによって夕食までのつなぎに何か食べることにした。 あれこれ、あれこれ、さんざん迷ったが、結局バタークリームパンにした。 白いバタークリームが細長いパンの間に挟んであるヤツ。 こういうパンってなかなか食べるチャンスがないのよ。 菓子パンを食べるという行為は、わたしの食生活にはほぼない。 そもそもパンは大好きであるが、極力食べ過ぎないように食べるとしてもサンドイッチやフランスパンの薄切りやらに限定しているので、菓子パンはわたしの口まで何万キロも離れたところにあるという心情である。 しかし、セブンイレブンのバタークリームパンを美味しそうに食べている学生たちをみると、羨ましかったのである。 食べてみた。 お腹のすいていたこともあって、うまかった! 今度このパンを食べるチャンスが来るのは、平成の世が終わってからかもしれないな。。。。。
by fragie777
| 2017-11-27 19:50
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