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11月21日(火) 旧暦10月4日
侘助。 これはわが家の狭庭に咲いたもの。 侘助が咲くころになると空気が凜と引き締まってくる。 この花が冷たい空気を呼び寄せているのではないかって思うときがある。 玄関脇に咲いているので、出かけるときにきっと目にする。 わたしはガサツな自分を恥じいりながらこの侘助の傍らを通りすぎるのだ。 俳誌「狩」12月号が届く。 ![]() すこしドキドキしながら頁をひらくと、「お知らせ」とあり、以下のようなことが記されていた。 「狩」は来年十月に創刊四十周年を迎えます。それに際し、私の年齢と健康状態を考え、平成三十年十二月号をもって「狩」を終刊することを決意いたしました。 創刊以来、作品本位を貫き、結社としての大きな成果を挙げられましたことは、詩友の皆さんのたゆまぬ努力の結果にほかなりません。結社内外の多くの方々のお力添えに深く感謝をいたします。 終刊後は後継誌として、片山由美子副主宰が「香雨」を創刊します。私は名誉主宰として、作品の発表・句会の指導を体力の許す限り続ける所存です。 四十周年記念大会のほか、来年の行事予定につきましては別途発表します。 平成二十九年十二月 鷹羽狩行 きっと多くの方がこのことを今日お知りなったことだろうと思う。 「新時代へゆとりをもってバトンタッチをしたいと思いました」と昨日いただいたお電話で鷹羽狩行先生はおっしゃっていた。 これまでのご縁を大事に思ってくださって、昨夕にまずお電話でお知らせをいただいたのである。 伺ったときはたいへんショックであったが、鷹羽先生らしい爽やかな決断であるとおもった。 さらに伺えば、来年は「狩」創刊40周年のみならず、米寿をむかえられまたダイヤモンド婚の年でもあるという、さまざまな記念の年を経ての「狩」の終刊である。 力ある素晴らしい後継者を育てられたということが、この度のすみやかな決断をうながすものとなったのだとも思った。 さきほどお電話で深見けん二先生とお話をしていて、このことが話題になった。 「驚きましたねえ」という言葉のあとに、 「いやあ、鷹羽さん、カッコいいなあ……」って深見先生。 後継者をいかに育てていくか、 結社をいかに引き継いでいくか、 あるいは、結社をどう終わらせるか、 どれもたいへんなことだ。 今日校了にした宇多喜代子著「この世佳し-桂信子の100句」は、読みやすくて桂信子の傍らに常にいた宇多喜代子氏でなくては書けない、読みごたえのあるものだ。その本の末尾はこのように書かれている。 昨夜(よべ)よりのわが影いづこ冬の朝(H16) 冬真昼わが影不意に生れたり 主宰誌「草苑」最後の号(二月号)の最後の二句、辞世の句である。自らの影を探したり見つけたりしている。「わが影」を見つけたところで終わってよかった、刷り上がった頁を見てそう思った。 平成十六年十二月九日の早朝に自室で倒れ、駆け付けた朝八時にはかすかに頷く力があった。それから五分もすると反応がなくなった。意識のないまま病院で息を引き取った。十二月十六日十時十分に永眠。その死は、死去、死没、逝去、他界、どれともちがう。永眠がもっともふさわしいと思えるものであった。 桂信子が主宰をする「草苑」はこの号の四ヶ月後に出た「追悼号」をもって終刊とした。 桂信子の主宰する「草苑」は「桂信子の草苑」であって、「草苑の桂信子」ではない、桂信子に代る人はいない。桂信子を師と仰いだ「草苑子」がこれを理解しての終刊であった。 本書は、桂信子の忌日12月12日を刊行予定とし発売される予定。 新書版スタイルのハンディなもので、定価1400円+税 本日校了としたが、何度読んでも一人の女性の厳しい生きざまに触れて胸に迫るものがある。 校正者のひとりであるAさんは、「思わず涙がこぼれてしまった」ということ。 それもわかる。 この本を読んで、桂信子というすばらしい俳人を胸に棲まわせていただきたい、と思っている。
by fragie777
| 2017-11-21 18:35
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