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11月9日(木) 旧暦9月21日
柿の空。 好みから言うと柿は葡萄や林檎ほど好きではない。 甘さ一辺倒というのが、わたしにはちょっともの足らない。 でもこんなこと書くと、柿好きから、柿のうまさがわかってないぞって抗議されそう。 そうは言いながらも、いまの季節のわたしのお昼のデザートは家から剥いてもってきた林檎ひとかけらと柿ひとかけら。 まず林檎を食べてから柿を食べるのね。 先に柿を食べると林檎の甘さが遠のくような気がして、そうしている。 正岡子規の柿好きは有名だけど、酸味のある果物は苦手だけど柿は好きっていう男性はけっこういる。 もっとも子規はすこぶる健啖家であったけれど。。。 わたしの郷里の実家の庭には、品種改良された「B29」(!)っていう柿の木があって、これが大粒ではないけれどたいへん甘く瑞瑞しい柿の実をつけた。色も濃い朱色で美しい。いつの間にか伐られてしまって、いまはもうB29の柿を食することは叶わない。 なにゆえ「B29」と名付けられたのかは不明だが、かつて第二次世界大戦の時、日本上空にやってきたアメリカの大型戦闘機が「B-29」である。恐ろしい爆撃機であったようだ。 「B29」と聞けば、それをすぐに思いうかべてしまうが、わが家の柿はたいへん愛らしい姿をしていたのである。 いったいこの「B29」なる柿は21世紀のこの世に存在するのだろうか。 ちょっと興味がおこってインターネットで検索してみた。 見当たらない。。。 ということは、 「B29」は、すでにまぼろしの柿となってしまったのか。 そう思うと、あれほど瑞瑞しく美しい柿にいままでお目にかかったことがないような気がして、わたしの栄光の少女時代の象徴のようにB29が輝かしく思えてくるのである。 今日は東京新聞の佐藤文香さんの「俳句月評」を紹介したい。 佐藤文香さんは、ふたりの20代の俳人をとりあげている。 すでに話題となっているお二人だ。 (略)二十代の二人が、対照的な第1句集を出版した。小野あらた『毫』(ふらんす堂)と福田若之(わかゆき)『自生地』(四季出版)である。二人とも開成高校時代、俳句甲子園に出場し、その後も俳句を続けてきた。2011年に編まれがアンソロジー『俳コレ』(邑書林)にも収録されたホープだ。 1993年生まれの小野は、「銀化」「群青」に作品を発表しており、多作である。 煎餅の粗目眩しき湯冷めかな 沢蟹や石の間に水休む 山焼の草より低く始まりぬ 「粗目」の眩しさに視線が及ぶ「湯冷め」や、「沢蟹」を手前に見せてから、「水休む」と焦点をずらすこと、「山焼」の火の始まりの低さなど、絶妙な位置関係の描写が巧みだ。優れた定型感で些細なものをおおらかに把握するブレのなさから、すでに大物の風格を漂わせている。 福田は91年生まれ。「群青」「オルガン」に所属し、ウェブサイト「週刊俳句」等で評論も執筆する。この句集では、俳句を書くことや句集を編むという体験を、私小説的に詞書(ことばがき)で書き重ね、そこに実際の俳句の連なりが立ち現れるよう構成されている。 〈句集を結晶させようとしてきたこの数ヶ月のあいだに、僕は、つきつめればただ句を書きたいという思いの数々が、涙とばかり結びつきがちになるのを目のあたりにした。(後略)〉 浮遊するシニフィアン夜店で撃つよ 知らない星にいつか咲くこんなふうに 書く者と書かれた言葉が戯れ、きらめきと青臭さが充満している。コミック風の紙に見開き十句ほどが並ぶ。内容のボリュームに対して鮮やかな軽さの一冊だ。 安定した俳句らしさなら小野、次の俳句の世界を見に行くなら福田というように、好みは分かれるかもしれない。しかし、二人ともが俳句の書き手として大きな一歩を踏み出すことを、私たちは読者として寿ぎたい。 今日は冷たい風が吹く一日となった。 今晩は南瓜のポタージュである。 おおまかはできているので、牛乳を買って、それをゴボゴボといれる予定。 これからは蕪のポタージュ、牛蒡のポタージュ、芋のポタージュなどなど、ポタージュの季節である。 なにかめずらしいポタージュの作り方があったら、 是非に教えてくださいまし。。。。。 うん? 柿のポタージュ? それってありかなあ。。。。。。
by fragie777
| 2017-11-09 19:07
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