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10月26日(木) 旧暦9月7日
束の間の青空。 太陽が恋しい。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ふらんす装カバー装。二句組。 168頁 白のシリーズの一環として刊行。 著者の岩田由美(いわた・ゆみ)さんは、昭和36年(1961)岡山市生まれ、現在横浜に在住。本句集は句集『花束』(第34回俳人協会新人賞受賞)につぐ第4句集となる。 帯にご夫君である俳人の岸本尚毅さんが言葉を寄せている。 「いい句もある。」 とひと言。 このひと言が話題を呼んでいる。 「いいね」「羨ましい」「面白い」「誰にでも書けるものじゃない」etc.etc. 忌憚ない意見を言い合える間柄であっても、こんな帯文はちょっと書いてはもらえない。 これはもう、岸本尚毅、岩田由美という俳人の間柄であってこそのものだ。 ともかくもふるっている。 さて、岸本尚毅さんがどういう句を特に「いい句」と思っておられるかは知りたいところであるが、きっとかなりいい句があるんだと思うのだけれど、わたしはわたしで好きな句や気持に引っかかった句など(たくさんあるのだけれど)、いくつか紹介していきたい。 天窓の雲なつかしや避暑の宿 句集名となった一句である。「雲なつかし」という集名もいい。雲をなつかしむ心がこの一句によって輪郭が与えられた。 天窓を通して気持の良い夏空に浮かぶ雲が見えてくる。場所はきっと広広とした空をやどす高原の空である。 本句集は主として写生に徹した句集である。多くは著者の目は内面には向けられていない。目の前の景を詠んでみせる。即物的なまでに。 竹の皮たるみて外れさうなるを 走り根にゐるはなめくぢ薄く伸び くひちがふあり枯蓮とその影と 寒鯉やうす紫に一と屯 蚊柱のそのまま風にさらはるる 高ければ傘で引き寄す烏瓜 昼の虫髭をまはして失せにけり はくれんの花のたたみ目ますぐなる 敷物のごとくに犬や避暑の宿 椅子の背に掛けしシヨールのやがて落つ 飛ぶものに影あり芝生枯れ初むる いちまいといふべく春の土めくれ ところどころ外れてゐたる枝の雪 これは雪の降ったあとの風景としてよく目にするものだ。雪が溶けたというよりもところどころかたまって落ちて枝が見えているその様子を詠んだものだと思うのだが、「外れてゐたる」がうまいと思う。そうか、「外れ」ると表現してもいいのであり、いや、「外れ」るがもっとも景として適切であると気づかされる。雪の白さと濡れて枝が黒っぽく現れているのがよく見えてくる。 瞬時の景を言葉によって構築してみせる句づくりであるが、それはただ目の前のものを詠むというのではなく、季題を巧みに詠んでいるということがわかるのである。季題の本意が物を通して詠まれているのだ。 あともどりして春水に映る空 星野立子の句「 昃(ひかげ)れば春水の心あともどり」がすぐに浮かび、きっとそれを踏まえた一句であると思う。好きな一句である。「春水」は小さな潦、ちょっと先へ行ったのだけどもう一度もどってその潦を覗く、春の空が見えたのだ。わたしはそんな風に読んだ。春になって心のゆとりもうまれ、歩みはどこかうららかである。立子の句へのすばらしい挨拶句とである。 ほかにも好きな句はたくさんあるが、いくつか紹介したい。 対象を細かく見る目と森羅万象の変化を大きくとらえる目とを合わせもつ俳人であると思う。 読み終えたあとに余情が生まれる、そんな一冊である。 青簾かけてこの世に内と外 亡き母を呼んで覚めたる昼寝かな 雛祭コートにきらと雨の粒 雷一打晴れ上がりたる伽藍かな 虫の原海とぞ思ふ渡りゆく 回覧板拭いて手渡す時雨かな うららかや猫に向ひてうたふ歌 梅雨の月進む如しや風の雲 代々のひひなを飾り人静か うたかたの影の過ぎゆく蜷の道 虹の色帯びて薄雲初御空 探梅や日に輝ける靴の先 『雲なつかし』は私の第四句集。平成二十二年四月から平成二十九年五月までの二百九十一句を収めた。 さまざまなことで限界を感じることも多くなった。しかしなお、伸びていくもの、深まっていくものを身の内に感じる。俳句もその一つだ。 ともに句座を囲む皆さま、句集を出す後押しをしてくださった先生方、ありがとうございます。今後もご一緒に俳句を作っていきます。 「あとがき」を紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 いくつか用意したもののなかで岩田由美さんが選ばれたのは、「燕」。 この一行をどう配するか。。。 按配といい字の大きさといい、うまくできたのではないか。 銀箔の燕と空色の燕。 タイトルも銀箔で。 フランス装である。 フランス装の折り返し。 扉。 天アンカット。 清楚な一冊となった。 著者の岩田由美さんによく合っていると思う。 燕が楽しそうである。 何者と自問の春の暮るるのみ 写生句の多いなかにあって、自身について詠んだ句である。だから余計に目をひいた。面白い一句であるし好きな一句である。哲学的な命題をもって自身に問うているのだろうか。ちょっと大ぶりな言い方がいい。たっぷりと春が暮れてゆくころは、どこか虚無感におそわれたりして己のレーゾンデートル(存在理由)などについて考えてみたくなるっていうのもよくわかる。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、日高玲句集『短篇集』より。 山葡萄に口染めしわれ浅き夢 日高 玲 浅き夢みし酔ひもせず。「浅き夢」といえば、いろは歌を思い出す。ここでは山葡萄で唇を紫に染め、まるで浅き夢を見ているようだというのではない。われ=浅き夢。はかない存在である自分を浅き夢と感じたのだ。句集『短篇集』から。 10月も間もなく終わろうとしている。 10月ってこんなに寒かったかしら。 運動会の空、柿や栗が美味しい季節、だったよなあ。 もう少し秋らしい思いをしてから冬を迎えたいのだけれど。。。。
by fragie777
| 2017-10-26 20:24
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