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10月24日(火) 霜始降(しもはじめふる) 旧暦9月5日
![]() 秋明菊。 このようにかたまって咲いているのを最近よく見かける。 車窓の風景でその白のかたまりにハッとすることもある。 いま、夕方のおやつで「二度揚げ煎餅」を「おいしいよ」って言って配ったところ。 さっそくにみなバリバリと食べ始めた。 お煎餅はみな大好物。 わたしもお煎餅を食べているときは、日本人で良かった、って思ってしまう。 美味い!! 「おかきの名門」「匠の心」って袋に印刷してある。 もう一つと、手をのばしかけたが、「もう少し我慢していたらお腹のなかでふくれますよ」という声がかかり、ぐっとこらえた。 今日は、『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 大牧広』を紹介したい。 俳人・大牧広(おおまき・ひろし)の既刊句集9冊より100句を自選して、自解をほどこしたもの。 自解によって、句の背後にあるものが見えてきて興味深い。 肩肘はらない語り口、屈折した心情を滲ませながらときにペーソスを漂わせ、読者をあきさせない一書である。 昭和一桁生まれの気骨を感じさせる。 いくつか紹介したい。 遠い日の雲呼ぶための夏帽子 「遠い日」「夏帽子」奥行きのある語だが、この俳句は戦中の映画のポスターの記憶から発想している。「決戦の大空へ」という題名の戦意昂揚映画で当時の無垢な青少年を戦場へと誘いこむ映画だった。 主演は原節子、真青な空を背景にした構図で若者の無垢な心情をかき立てる磁力があった。 (『父寂び』昭和46年) 懐手解くべし海は真青なり 「懐手」は、内省的に見え人をよせつけない雰囲気をただよわす。要するに明るくないのである。 この句、大牧さんの転機を示す句、と言われた。思えばこれまでは決して明るくない私の句ばかりだった。自分を促しているこの句は、「港」が軌道に乗りはじめて愁眉をすこし開いたという気持が詠ませた句。「海」はやはり心を明るくする。 (『午後』平成2年) 雲ながれゐて原爆忌きのふ 日本に世界ではじめての原子爆弾が広島と長崎に落とされた。二十万人の命が一瞬に奪われたのである。 そうした惨劇の日もふっと忘れることがある。四十七年前の昨日原子爆弾が落されたのだ、胸中呟きながら空を仰ぐ。初秋の空は青かったが、さみしげな雲がしずかに流れている。「原爆忌きのふ」の「昨日」は、一瞬のうちに消された人の命の「きのふ」である。(『午後』平成4年) するすると蓑虫降りてくる世間 「世間」によって俳味をもたらしたつもりである。いわば「孤高」の蓑虫がするすると「世間」へ降りてくる。 世間に降りてきたにしても何もある訳ではない。自由を縛る「決まり」があるだけである。 けれども蓑虫は世間を期待するかのように地上へ降りてくる。蓑虫の失望が目に見えている。(『大森海岸』平成21年) 巻末は「俳句について」の長目の文章が収録されている。タイトルは「大切にしたい山河・自分」 すこし紹介したい。 筆者は、たまたま戦争時代が始まった昭和六年(この年に日中戦争の引き金になった満州事変が始まった)に生まれて、それから支那事変(政府はなぜか「戦争」という言葉を避けて「事変」という言葉を使った)、つまり「時代」「世」というのは戦争があってあたりまえであった。「平和」という言葉、概念を理解したのは、日本が世界に向かって、無条件降服を宣言した日からである。 こうして、必然的に戦前、戦中の俳句にこだわるようになった。人事句や写生句又は社会性俳句にもこだわるようになった。 自解を読んでいてもわかるように、戦争体験が大きく大牧広の俳句に影響を与えている。 作品とともに「自解」を書きしるしておくことは、その著者の作品を理解するにあたって大切な資料となると改めて思ったのである。 何を詠んでも「自分・人間」が投影されていなければ単なる報告句となる。そうした報告句にならぬ「人生観」を大切にしたいと思っている。 本書を静かに貫くものば、俳句にこめられた著者の本音ともいうべきつぶやきである。 仮の世になぜ本気出す花嵐 広
by fragie777
| 2017-10-24 19:10
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