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10月19日(木) 旧暦8月30日
昨日の朝の野良猫。 (ノラネコ!ひさしぶり) 振り向きざま、こちらを睨みつけた。 (この目、ぐっと来てしまう……) 目下「ふらんす堂通信」編集期間中である。 わたしは朝からゲラを読んでおり、まだ終わりそうもない。 明日の昼頃までには読み終えたいのだが。。。 詩人・吉増剛造氏による連載「蕪村心読」は、編集作業のひとつの山場となる。 担当のPさんはいまかいまかと原稿を待ちかねている。 DTPスタッフの緑さんもすぐに取りかかれるように、スタンバイOKである。 吉増氏からは、ご多忙の日々であっても、力を抜くことのない原稿をいつもいただく。 今回いただいた原稿。(正しくは原稿コピーである) 吉増氏にとっては原稿もひとつの作品である。 いただいたらコピーをとりすぐにお返しする。 美しく書かれた原稿に細やかな指定。 小さくて判断しにくい箇所は、 Pさんと緑さんが魔法をつかって判読していく。 ふたりは秘かに「吉増語検定」と称している。 「吉増語検定」においては、緑さんの方が勝っているらしい。 また、版下作業において、スタッフの緑さんの仕事の正確さと速さは素晴らしいのだが、このゲラ出しにおいては「神ワザ」と呼ばれているのだ。 しかし、吉増氏もまけてはいない。 ゲラに容赦ない修正をされる。 この修正だけでも、吉増氏が「蕪村心読」にかける熱意が伝わってくるでしょう。 このゲラを直し、何度か詩人とのやりとりをして紙面は出来上がっていくのである。 紙面の背後には写真を印刷する。 詩人の指定の写真家による写真を、Pさんがトリーミングして載せる。 トリーミングがけっこういいんじゃない、Pさん。 今回の写真もなかなか面白い。 どんな紙面になったか、「ふらんす堂通信154」を楽しみにしていただきたい。 「蕪村心読」においては吉増氏のエネルギーに編集者も制作者も引き込まれながら紙面を構築していくのである。 吉増氏において繰り返しになるが、原稿は作品であって、それを紙面に「造型」していくのである。 吉増剛造氏の仕事ひとつひとつが「造型」であると、わたしは思っている。 今回も読みごたえのある一冊である。 髙柳克弘さんは、引き続き「飯田龍太」についてあるが、今回は「龍太作品における比喩」についてである。やはりおもしろい。 杉本徹さんの書評は今回も辛口である。 期待される若手俳人のひとり、福田若之句集『自生地』についてである。 この俳人の美質を十分に理解し、評価しながらも、批評の目はするどい。 詩人であるゆえに見えてくるもの、「俳句性とはなにか」。 前回の田島健一句集『ただならぬぽ』評についてもそうであるが、わたしはまず著者自身にこの「批評」を読んで欲しいって思っている。 (田島さん、読んだ?) 感想(反論?)聞かせて欲しいな。。。。←(yamaokaの心の声)
by fragie777
| 2017-10-19 18:41
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