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10月18日(水) 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり) 旧暦8月29日
久しぶりの太陽である。 歩いて出社。 金木犀がよく匂っていた。 いますすめている「季語別大石悦子句集』のことで、大石悦子さんと電話をしている時のこと。 「季語の意味をいまさら分かるっていうことがあるんですね。」と大石さん。「実は昨日俳人協会で仕事をしている時に、「蟻地獄」という季語が虫の名前だっていうことをわたし、はじめて知ったんですよ。お恥ずかしいことに」とおっしゃる。 「ええっ、虫の名前!なんですか。あの土が盛られた蟻地獄のことではないのですか?」とわたし。 「わたしも実は長い間そう思い込んで来たんですが、そうじゃなくて『うすばかげろうの幼虫』のことなんですって」と大石さん。 わたしは受話器をもったまま、さっそく手元の歳時記を開いてみる。 「木の下や、お寺の下の乾いた砂の上に小さな擂鉢状の穴を掘り、そこに滑り込む蟻やその他の小昆虫を捕らえて食べる。うすばかげろうの幼虫で身体は一センチくらい、土灰色で細かい棘があり、泥粒をつけている。(略)」とあり、傍題には「あとずさり」「擂鉢虫」「あとさり虫」とあり、あきらかに虫である。 「あらら、本当ですねえ。富安風生の句に「蟻地獄寂寞として飢ゑにけり」とありますが、確かにこの句など虫と考えないとおかしいですね。飢えているのは虫のなんですね」と。 思い込みとはコワイものである。 さて、昨日の俳誌「ランブル創刊20周年のお祝いの会」について紹介したい。 17日の午後5時半より新宿京王プラザにて開催、Pさんの報告によると、大勢の来賓が出席され盛大なかつ華やかな祝賀会ということでした。 本日はめでたく20周年を迎えることができました。 ご多様な中を、先生方及び先輩方、本当にありがとうございます。 20年ということでございまして、稲畑廣太郎先生が「ホトトギスは121年目なんだよ」と仰っていて、「ランブル」20年なんかは赤子にも及ばないかと思ったところでございます。 ですがそれはそれで20年はどう解釈していいのだろうか、あっという間の20年、又は重い20年、色々考えられます。ただ、今回の俳壇11月号で特集していただきました上田五千石・没後20年となると、またちょっと趣が違って、感慨深いものがあります。 父がこの世を去って20年という月日が流れまして、そちらの方が私自身も思いが深いのかもしれません。 ただ幸いにして父が遺した俳句であり心臓であることが「ランブル」につながり、また、各門下に伝わっていることは素晴らしいことであるとしみじみ感じております。 5年前の15周年のときには私の母も生きておりまして、義理の母である鈴木ともこさんも生きておりましたけれども、今年は二人の両母に来て頂きたかったのですけれども、それが叶わないのがとても残念でなりません。 ですがその悲しみのときに俳句があってよかったと本当につくづく思いました。 私自身のことで恐縮ですけれども思いがけない病気にもなり、その闘病もしました。ですがそのときにも「俳句があって本当によかった、みなさんがいてくださって本当によかった」とつくづくと思いました。 父が口癖で「俳句をやると幸せになるよ」と皆さんに声をかけていました。 病気や身内の不幸がありましたが、俳句をやっていてつくづくよかった、幸せなんだ、と噛みしめる日もあって、この5年はとても重かったなと思います。 本当に今日は皆さま、そして「ランブル」の方々と共に、父が結んだ縁、そして私自身が20年で歩んで参りました縁への感謝の会とさせて頂きたいと思います。 本当にこれからもどうぞよろしくお願いいたします。 父の日の父の知らざる二十年 日差子 上田日差子主宰をはじめ、「ランブル」の皆さま 創刊20周年、まことにおめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 今日はお客さまの多い一日となった。 午前中には、お二人の俳人の方がご来社された。 長嶺千晶さんと木村かつみさん。 木村かつみさんは、長嶺千晶さんが代表の俳誌「晶」に所属されている。 この度第1句集を上梓されるために長嶺さんのご紹介で句稿を持ってご相談に見えられたのである。 木村かつみさんの俳句の出発は、俳誌「握手」からである。 磯貝碧蹄館に俳句を学び、厳しく愛情の籠もった指導を受けられたようである。 お身体が丈夫でなく、闘病をされていた時期もあったが、俳句を中断することなく作り続けてこられたという。 「握手」の編集長だった朝吹英和さんは兄弟子にあたり、今回も木村さんがご来社するにあたって前もって朝吹きさんより「よろしくお願いします」とお電話をいただいていたのだった。 ふらんす堂のいろいろな句集をご覧になって、フランス装カバー装の造本をお決めになられた木村かつみさんである。猫好きで、句集の中には特別に「猫の句のみを収録した章」があるほど。 集名も『猫の椅子』。 長嶺千晶さんがご序文を寄せられるのであるが、木村かつみさんの作品をふかく理解しておられることが話しの端々より伝わってくる。 長嶺千晶さん(左)と木村かつみさん。 木村かつみさんには、師であった磯貝碧蹄館のみならずもう一人兄弟子として信頼した俳人がおられた。 糸大八さんである。画家であった糸大八さんの展覧会の会場に行っては何時間もそこで過ごしたという思い出を語ってくださった。 わたしにとっても、磯貝碧蹄館、糸大八のお二人は忘れられない思い出のある俳人である。 今日はそのお二人のことを伺うことができて、嬉しく懐かしい思いがしたのだった。 午後からもう一人お客さまがいらっしゃった。 山田佳乃さん。 目下第2句集をおすすめしているところ。 そのご相談と『山田弘子全句集』の電子書籍化のご相談にいらっしゃった。 山田佳乃さん。 昨日は、神戸より「らんぶる創刊20周年」にご出席されるため上京(長嶺千晶さんもご出席されている)、今日は午前中句会、午後よりはふらんす堂へ、明日も句会があるということ、ふらんす堂へは吉祥寺でレンタカーを借りて運転をして来られたという。 「そこ(島忠)に止めてあるんです」と。 「ええっ、東京を走るのってこわくありません?」とビビリのyamaokaが伺うと「ううん、あんまり」とにっこりとされた。 「お母さまに似て来ましたね」と申し上げると、 「そうなんですよ。最近よく言われるんです」。 この写真など、まさに山田弘子氏をおどろくほど彷彿とさせる。 ちょっとひと言。 昨日の「らんぶる創刊20周年の会」に出席したPさんが、今朝のミーティングの時に、 「yamaokaさんのブログをみな(?)見てるってって言ってましたよ」 「あらま、そう」 「yamaokaさん、ブログばかり書いていて仕事してんの?とも言われました」 「ええー、失敬な! で、なんて答えたの?」 「は…い……」 (ここでスタッフたちが大笑いをする) 「駄目よ! ちゃんと仕事してんだから、そう言ってもらわなくっちゃ」とわたしは思わず叫ぶ。 そりゃ、営業のためにブログも書きますが、ほぼ夕方6時より(本を紹介するときは5時くらいから写真をとりこんだりして)書くのです。だから遅いときは9時を過ぎちゃうこともあって、生き恥をさらし老体に鞭うってへろへろになって書いているんです。 それでも、ブログはおまけ。 まずは仕事でっす。 と言いながら、今日もずいぶんとキイを打ったような気がする。。。。 疲れた。。。。。
by fragie777
| 2017-10-18 19:27
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Comments(2)
![]() yamaoka さま 金木犀の季節なのですね。 佐藤南壬子先生が添削して下さらなかったら私は短歌を続けていなかったでしょう。 よい歌を作ってほめてもらいたかったのに間に合いませんでした。 仙川まで行ってyamaokaさまにお会いできる日が来るのでしょうか。 その日のためにせっせと歌を作らなければ。 365日更新されるブログ、それも文字も写真もあるものって少ないと思います。 きっと私のようにたのしみにしてるファンは多いでしょう。 ある人は、俳句をたのしみに、 ある人は、自然の草木の写真。 ある人は、美しく出来上がった新刊本の写真。 ある人は、猫ちゃん、海外の街並み、絵画、などなど。 日本は寒くなったそうですので、 夜遅くブログを書かれる時は暖かくして風邪などにお気をつけ下さい。
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みすなさま
佐藤南壬子さんの急逝は本当に悲しいことでした。 ふらんす堂にも何度かお尋ねくださり、親しくいろいろなお話をさせていただきました。 こうしてみすなさまとのご縁によって、ふたたび佐藤南壬子さんのことを思っております。 いつかどうぞ仙川にいらしてくださいませ。 お目にかかれることを楽しみにしております。 (yamaoka)
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