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10月5日(木) 旧暦8月16日
昨夜の満月。 iPhoneで撮影したら、こんな色になってしまった。 ちょっと面白いのでそのままアップ。 芝信用金庫はふらんす堂のメインバンクである、 ってどうでもいいか。。。。 『能村登四郎全句集』の電子書籍が発売となった。 定価は、9000円(税別)、この全句集は季語索引がついていないので、紙の本を持っている方でも購入されておくと便利である。登四郎は読んでいくとつくづくと面白い俳人であると思う。 おすすめの一冊である。 そして刊行と同時にすぐに売り切れとなってしまった『桂信子文集』であるが、Amazon5周年キャンペーンのため70%オフで配信されます。期間は10月12日より19日の一週間。 10000円の本が3000円台で! この際是非にお求めください。 桂信子について知るのみならず、桂信子が生きた時代の俳句状況(おもに新興俳句)についても知ることのできる貴重な一冊です。毎日新聞の書評欄に取り上げられ、反響も大きくすぐに売り切れてしまったもの。 このキャンペーンについては、Amazonのトップページで告知されるということである。 今日も新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装 クーターバインディング製本 197頁 著者の野崎海芋(のざき・かいう)さんは、1968年生まれ、横浜市在住。2000年「澤」俳句会に入会、小澤實に師事。2008年「澤」新人賞受賞、「澤」同人。本句集は2000年から2016年までの17年間の作品440句を収録した第1句集である。序文を小川實主宰が寄せている。 海芋俳句の特徴とは何か。まず、生命そのものと向き合い、捉えようとしている句があることだ。 シロナガスクヂラの浮上轟ける 句集名を取った句である。いま海芋を思えば、この句がすっと想いだされる。代表句があるということは、すばらしいことだ。 鯨の中でも最大のシロナガスクヂラを詠んでいる。地球上で最大の生物である。八音にわたる鯨の名を上五から中七にかけて句またがりで据えて、そのまま巨体を感じさせている。深海から浮上する際には、鯨の身にはそうとうの水圧がかかっているだろう。その圧力を鯨の名を大きく含む上五中七に感じるのだ。 浮上の後に切れがあって、そこで鯨の体のほとんどはもう水面の上に出ている。この切れが深く、前後の転換がめざましい。そこで、「轟ける」である。躍り出た全身を海面に打ち付ける轟音が書きとめられた。それは海中の深い沈黙の世界をも暗示するものである。 この句において、鯨と作者とが一体になっているのを感じる。鯨が海芋なのである。鯨を詠むことで、生きているということの手応えを、生きているということの歓びを、たしかに書きとめていると思うのだ。 序文の書き出しの部分を紹介した。小澤主宰は、沢山の句を挙げながら句集『浮上』の魅力について情熱的に語っておられるのだが、その魅力については本句集を是非に繙いていただきたい。序文であげておられる数多の句よりいくつか紹介したい。 吾が髪の雪払ふ汝が手にも雪 桃食うて桃の匂ひの子の寄り来 骨太は母譲りなり木の実降る 巴里凍てぬガイドブックに無き路地も 微風立つ西瓜二つに割りたれば アルミカップより出てゼリー深緑 落花生鼻ニ詰メテハイケマセン 本句集の担当はPさん。Pさんの好きな句は、 たんぽぽを輪に編みくれぬ戴冠す 足の指もて夏シャツをな拾ひそ 泉に浸しし汝が手をわが頬に当つ 春闌けてさかなに進化する途中 樹皮深く潜むくはがたつつけば出 襞四つ寄せて餃子や日脚伸ぶ 恋猫のふみゆくものにわが愛車 さくら餅食ふな質問しておいて ワイングラス洗へばぴんと鳴る良夜 秋惜しむなり肉塊を叩き伸し 列車自動車並走秋川に分かる 納豆をおのおの混ぜて家族たり 食肉部位図牛豚左向きて冬 本句集を読んでいけは気づくことであるが、料理の句、あるいは食材を詠んだ句がたいへん多い。伺えば野崎海芋さんは、フランス料理の先生であるということだ。だから「熊」なども料理してしまう。〈新聞紙に包み熊肉朱筆に「クマ」〉あるいは、〈鮫の肉重ねももいろ経木の上〉は「鮫の肉」である。料理人として扱うとしてもなかなか俳句に詠みにくいものに果敢に挑戦をしていく。〈食肉部位図牛豚左向きて冬〉なども、結構な気合いをいれてねじ付して俳句にしてしまう。その積極性は小澤主宰の指導の故ということもあると思うが、ご本人にその姿勢がなければ句は生み出せない。貪欲なまでに対象にくらいついて詠み込んでいく野崎海芋さんである。 納豆をおのおの混ぜて家族たり この句はわたしも好きである。家族の風景が見えてくる。きっといい家族なんだなあって思う。フランス料理の先生であっても、納豆は家族を結ぶ大事な食材なんだろう。その飾り気のなさがいい。 いのちの手触りが感じられるような、生々しい実感のある句を詠むことを目指して、これからも挑み続けていきたいと思っている。 「あとがき」を抜粋した。「挑み続けていきたい」というこのひと言が、野崎海芋さんの俳句魂を実証している。いい根性だと思う。 ご主人の仕事で、フランスに数年間暮らされた海芋さんは、パリの香りがするような美しいマダムである。フランス滞在期間に料理を学ばれ、それを今仕事として活かしておられるのだろう。生活者としての積極性は俳句においても同じテンションを保ちながら、「挑戦者」でありつづける。素晴らしいことだ。 本句集の装丁は、山口信博さん。 俳誌「澤」の斬新なデザインをてがけておられるデザイナーである。 本句集も細部にまで神経を行き渡らせたきわめてデザイン的なものとなった。 ブルーがきれいだ。 帯をとったところ。 扉。 本文。 造本はクーターバインディング。 これは山口さんのご希望だった。 多くの色をつかわずにシンプルにしてモダンな句集となった。 見れば見るほど、細部が浮き上がってきて、心憎いまでの仕上がりである。 コンビニ弁当積み上げ祭本部なる 祭の現代的風景だ。切り取り方が面白い。食べることに関連しているのは、やはり著者の本領であるかもしれない。 本句集を読んでいると次第に骨太な著者の顔が見えてくる。 ちょっと余談であるが、 コクトーの墓に猫の絵木下闇 という句がある。実は5,6年前にパリに行ったときこのジャン・コクトーの墓に行きたくて、旅行案内をたよりに必死なる思いをしたことがある。パリより郊外にいく電車に乗って(この電車に乗るまでもたいへんだった)、そこからタクシーに乗っていくというルート、そのタクシーに乗るのも下りた駅のカフェで聞けと案内にあった。駅に降り立ったのは良かったが、そのカフェがしまっていた。途方にくれたわたしたちは近くにあるスーパーマーケットに寄って、そこで働く人たちに聞いてみたのだが、誰ひとりコクトーを知らずいわんやコクトーの墓への行き方を知っている人は居なかった。ただ、みんなすこぶる親切でいろいろとタクシーを呼ぶ方法などを考えてくれたりもしたのだが、タクシーもなかなか掴まらず、こちらの気持がだんだんと心細く萎えてきてしまい、とうとう諦めたのだった。雪が降ったあとの凍った道を滑って転ばないように注意しながら、駅にもどってパリ行きの電車に乗ったのであるが、なんともヤレヤレなそしていささか悔しい思いを残したのだった。この句をみて、野崎海芋さんは、コクトーのお墓に行ったことを知ったのだった。心底羨ましいぞ。「猫の絵」が描いてあったのか。見たかったなあ。。。。 さらに余談であるが、実はコクトーを目指してパリ発の電車に乗って駅名の掲示を見ているときに、一人の初老の紳士が話しかけてきた。 「あなたたちは、コクトーの墓に行くのだろう?」 「ええ、そうです」と言って、わたしは下りるはずの駅名を指さした。 「そうそう、そこで下りるのだよ」と言って紳士はニコニコしながら、次の駅で降りていった。 その時、わたしは、(やはりコクトーは有名でこの電車に乗っている観光客らしい人間はそこに行く人が多いのか)と思ったのだが、あとで考えてみるにつれ、コクトーのことはほとんどの人間はしらず、むしろコクトーの墓を訪ねる人間などいない、そんな現実を知ったのである。そうだとすると何故あの紳士は、あのような質問をわたしたちにしたのだろうか、わたしたちを見てコクトーの墓を訪ねようとしているとどうして分かったのか、わたしたちは一般の日本語で書かれた旅行ガイドしか持っておらず、コクトーについて知らせるものなど何も持っていなかったのに。考えれば考えるほど不思議である。沢山の人間が乗り降りする電車のなかで、わざわざ近づいてきてコクトーのことを告げた紳士。今も謎である。 今度行く機会があったら、野崎海芋さんに詳しく行き方を教えて貰うつもりである。
by fragie777
| 2017-10-05 19:21
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