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9月29日(金) 旧暦8月10日
ゴミを出しに裏戸を開けたら目の前の路上で、蚯蚓が躍り上がった。 まるで朝の光を喜んでいるようだった。 蚯蚓をみたのはひさしぶり。 透きとおった紅色が美しかった。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装 クーターバインディング製本 200頁 二句組。 著者の白石正人(しらいし・まさと)さんは、1951年東京世田谷生まれ、中央区日本橋在住。2008年、大木あまりの指導のもと作句を開始、2012年ふらんす堂句会「髙柳克弘教室」に参加、おなじく石田郷子講座を通して俳誌「椋」に投句を始める。2017年「椋年間賞」を受賞。本句集は2008年から2016年までの作品を収録した第1句集である。序句を大木あまり、序文を石田郷子、栞を髙柳克弘が寄せている。 詩の河はいつも激流青胡桃 大木あまり 大木あまりさんの序句である。自身も弟子もともに鼓舞するような激しい一句だ。 序文を書かれた石田郷子代表は、白石正人さんのことを、「なにものにも縛られることのない自由人」であると記し、 虫売りの音だけ頒けてくださいな 綿虫に明日のことはわかるまい わだつみに帽振れの声沖縄忌 下町のさびしき匂ひ花火屑 外套を脱ぐ暇もなく断らる 曼珠沙華億萬本の夕間暮れ 一本の辛夷の守る代田かな などなどたくさんの句をあげて、その「大らかで型破りの作風」や「真っ直ぐな迷いのない打座即刻の精神」に触れている。 古本のアデンアラビア燕来る 打座即刻における潔さは、失わない青春性であり、また青春性とは一見相反するようにも思える無常観でもあろう。私はそれを俳句の世界に限らず貴重なものだと思う。 このたびの句集名「嘱」は、 嘱託の身分と云へど更衣 から取っているそうだが、正人さんは昨年正式に退職された。 身軽になった喜びだけがあるはずはなく、複雑な思いもしているだろうが、後ろを向いている暇はなかろう。 なにしろ周りの人たちがそれを許さないだろうし、また、これと決めて俳句を始めた人たちに、俳句は無限の幸を与えてくれると同時に、何かしらの役目を担うように嘱すのだと思うからである。 有り難いことである。 著者に寄せる期待の大きいことを思う。 髙柳克弘さんの栞のタイトルは「酒場に集う人々」。 白石正人さんの句は、人とのかかわりの中で書かれている。一木一草に徹するという句は少ない。一句の中には必ず人が立ち、そして人とのかかわりの中に、書き手自身も置かれている。(略) 季語と他者のかかわりの中に置かれた書き手は、どこか抜けていて、いつも照れ臭そうで、親しみが湧く。次に挙げる句に登場する人物像は、ここに我あり、と出しゃばる風ではない。気張らず出張らず、しかし怠惰や自虐に陥るのではなく、生活者としての確かな誇りを持っている。 餅搗や頼れる人と言はれても 草の名を即答出来てあたたかし 掌は宇宙のはじめ黒葡萄 要らんこと引受けて来し年用意 少年の水鉄砲の的決まる などについて丁寧鑑賞し、 梟の鳴いてより開く酒場かな 梟というと深い森の賢者というイメージだが、人の世の酒場と関連があるかのように結びつけたのが新しく、面白い。なんだかこの酒場には、人ならぬものも忍び込みそうだ。 正人さんの作句工房を、この「酒場」は象徴しているのではないか。そこには現世の仲間たちはもちろん、彼が愛する、古き時代のアーティストたちも立ち寄り、肩をたたき合いながら、にぎやかに談笑しているに違いない。 「彼が愛する、古き時代のアーティスト」と髙柳さんは語るがこれはきっと本句集にすくなからぬ忌日が詠まれていたり、固有名詞が登場したりすることと無縁ではないと思う。それらの忌日に詠まれた作家や登場する固有名詞は白石正人の心の文学的聖域とでもよぶべき領域で熟成されてきたものや人であったりするのだ。たとえばポール・ニザンの「アデンアラビア」である。1970年代という政治の季節に青春期をすごした文学青年や文学乙女なら、ともに「アデン・アラビア」の冒頭の部分「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。」を蘇らせすこし胸苦しい思いにとらわれてしまうだろう。畢竟このわたしもそうである。晶文社で刊行されたこの本の装丁だって思い起こすことができる。その本を街の書店で手にとった時のその場面さえも。白石正人さんにとっても青春期の抜き差しならない出会いとして「アデン・アラビア」があったのだろう、きっと。そのような甘美な青春性を失わなうことない詩心が、本句集をひそかに貫いているようにわたしには思えるのだ。同世代ということもあるのかもしれないが。。。 本句集の担当はPさん。Pさんの好きな句を紹介したい。 手をやれば末枯れてゆく額かな 大声で消す勘違ひシャワー浴ぶ レモンひとつ籠にいれたる男かな 目薬を差して北窓開きけり 階段に本棚のある年の暮 春の桟橋誰も端まで行きたがる 紫陽花や肩引いて人すれ違ふ ねぶ咲いて雨の湖北となりにけり 牛鍋を唄ひたくなるまで喰らふ 城のある町や忙しき親燕 別珍を脱ぐなり餅を搗く男 中空に風の眼や秋燕 冬暖か草摘むやうに読む句集 朝寒を言ひ人声の歩き出す レモンひとつ籠にいれたる男かな わたしも好きな一句である。梶井基次郎の「檸檬」という小説を思い浮かべたりもするが、そうでなくても印象的な一句である。「男」だからレモンの黄色が目にあざやかに際だってくる。どうして「女」では駄目なのか。「女」だとレモンに生活の匂いがまとわりついてくるような気がするのだ。レモンひとつ籠に入れるのでも、女であるとそこに目的のようなものが見えてくるのだが、男だとレモンをひとつ籠に放り込んだということ以外なにも見えてことない、かえって意味なき行為のように思えてくる。意味を拒否しているのだ。世界には男とレモン一つがあるのみ。そんなことさえも思わせる一句だ。 私を詩歌の世界に誘ったのは、大学時代からの畏友梅本育生でした。彼は、歌人塚本邦雄に傾倒し、自ら短歌同人誌をつくり参加を勧めてくれたり、また当時、稀覯本であった高柳重信句集『黑彌撒』、『富澤赤黄男全句集』、『西東三鬼全句集』を、彼から贈ってもらったことを鮮明に覚えています。その時は、まだ俳句を詠む気は自分の中で醸成されていませんでした。もう三十年以上も前の話です。 その後、俳縁があって俳句をつくるようになった頃、梅本は印刷・出版関係の仕事をしていました。彼には、いずれ句集を出してもらう約束もしていましたが、生来の怠け癖から、句稿の整理は遅々として進みませんでした。二〇一四年八月、彼は癌で急逝してしまった。痛恨の極みとはこのことかと思った。ごめんな。この句集は梅本育生に献じます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。集中、この「梅本育生」に捧げる一句がある。 星流る文字を愛する男にて ここにも白石正人さんの文学的ロマンティシズムがある。だってまるで、「梅本育生」は「ジョバンニ」のよう。 本句集の装丁は和兎さん。 白石正人さんから装丁に関する条件はふたつあった。 ひとつは、句集らしからぬもの。 もうひとつは、好きな黄色を生かして欲しいということ。 そのご希望を和兎さんはかなり大胆な装丁で実現した。 用紙は新製品のものを用いた。 先日平和紙業という紙屋さんが営業に来られて、この用紙をみて驚かれた。 自分のところで営業しているこの新製品がこのように本に用いられたのは始めてである、ということ。 感激して一冊持って帰られたのだ。 和兎さんもはじめて実験的に用いることになるので、すこし不安だったようだが、著者の白石さんが装丁についてはお任せ下さったので思う存分にやることができたということ。 見返し。(本当はもっとあざやかな黄色である) カバーと同じ用紙を使う。 細かな市松模様がモダンである。 扉は白インク刷り。 クータ-バインディング製本であるから、背にも黄色を印刷。 栞も黄色。 なかなか大胆な装丁を著者の白石正人さんはとても喜んでくだった。 そのことが嬉しい。 わたしもワクワクする思いで出来上がりまでをみていた。(本当に本作りは楽しい) 螢三匹羊羹のやうな闇 「羊羹のやうな闇」が面白い。比喩として出色であると思う。しかし、好きな句は、「レモン」の句と次の一句。 あたたかき冬を迎へて波の音 本句集のなかでは目立たない一句である。とても地味な句だ。でも「波の音」がすごくいい。聳った神経が解きほぐされていくよう。冬のあたたかさと波の音、しばらく波の音をきいていると、どこか遠い異国へと心が運ばれていくようである。あるいは母の胎内のなかに呼び戻されてゆらゆらと揺籃期にいるような。「波の音」のなかに身体が解けこんでいくような不思議な感覚。 そして、梅本育生についても詳しく記しておられる。 是非にそちらも読んでいただきたい。(大井さんも「アデン・アラビア」世代(?)である) 「ふらんす堂通信」の編集期間にはいりつつある。 「コラム、何にしましょうかあ、もうないなあ、ネタ」とスタッフ。 「じゃあさ、フェチの話しってどう、ようするにこだわり」 「ああ、それだったらいっぱいありそう」 ということで、この後、ふらんす堂内はもっぱら「人間の何にこだわるか」で話しに花が咲いたのである。 「今回はフェチ話①っていうことでどう? 」 ということで、コラムは「フェチの話①」である。 お楽しみに。。。。
by fragie777
| 2017-09-29 20:26
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