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9月23日(土) 秋分の日 旧暦8月4日
今日は午前11時半より神奈川県新百合ヶ丘の「ホテルモリノ」において 「神蔵器名誉主宰を偲ぶ会」が行われ、伺う。 会場には花に囲まれた遺影が、その傍らには遺愛のものが飾られている。 既刊句集。左から2番目の『有今』は、わたしが牧羊社時代に担当したもの。なつかしい。 余談であるが、このシリーズは大変充実していて、ほかに橋本鶏治二句集『鷹の胸』、津田清子句集『縦走』、山田みづえ句集『手甲』などが刊行された。 「風土」を継承した南うみを主宰の弔辞を紹介したい。 「風土」の俳句理念として桂郎師の「てめえの面(ツラ)のある俳句をつくれ」がありますが、神蔵器先生はさらに「命二つ」を加えられました。わたしは桂郎師の言葉を背伸びせず、身の丈にあった言葉で俳句をつくることが個性に繋がると解してます。また、先生の「命二つ」の言葉は自分だけでなく、相手の命と真摯に向き合って得られる言葉を俳句に定着しなさい、と解しています。先生との個人的なことになりますが、「命二つ」を胆に命じたことがあります。今年の鍛錬会は上野でありますが、二〇年ほど前にも上野で行ったことがあります。わたしは、浜明史氏を通じて平成元年に先生に師事していますので、まだまだシンマイのころです。その頃は主宰や幹部も部屋は雑魚寝でした。こともあろうにわたしの部屋は器先生をはじめ「風土」の中核を担う方々と一緒でした。緊張して眠れませんでした。突然暗闇の中でばりばりと紙を開く音がします。目を凝らすと先生が闇の中で原稿用紙に何か書きつけているではないですか。俳句です。先生が俳句を作っているのです。先生の俳人魂に触れた思いがしました。さらに次の日の句会の時です。「鳥渡る空のはるかに麒麟の眼」をつくり提出しました。互選でつぎつぎ選に入るものですから、先生の秀逸か特選は間違いないと心躍らせていました。しかし、並選が終わってもわたしの句は出ません。いよいよ特選かと固唾を呑みましたが、とうとう最後まで読み上げられることはありませんでした。ボツです。悔しくて家に帰ってからなぜだろうと考えてみました。一週間ほどして、「はるかへ」だと気がつきました。「はるかに」では麒麟の目は空にあります。地上からの麒麟の目にするには「はるかへ」なのです。「鳥渡る空のはるかへ麒麟の眼」と直し、わたしは再度「風土誌」へ投句しました。先生は、その句を「行人抄」に採ってくれました。わたしは先生の無言の教えをやっと理解したのです。これは「てにをは」の助詞の問題だけでなく、「麒麟」という「命」とどれだけ向き合ったか、そういうことをわたしに示したものでした。このことが先生の「命二つ」の理解の糸口になりました。わたしは、作句の壁にぶつかった時、折にふれこれを思い起こし、作句の指針としています。この度神蔵先生から主宰を引き継ぎ、この俳句精神の重要さをひしと感じております。しかし、まだまだ未熟なわたしであります。器先生、これからも天上からご叱責ください。また「風土」に集まる方々を温かく見守って下さい。わたしたちは先生の俳句精神をそれぞれの胸に前に進んで行きます。最後に先生の魂がわたしたちを包み込んでいるような句を読んで先生を偲ぶ言葉を終わりたいと思います。 山一つあたためてゐる冬すみれ 神蔵 器 ありがとうございました。 落ちついたなごやかなとても良い「偲ぶ会」でした。 もう一度、師・神蔵器の志を胸に刻む、そんな思いが行き渡っている「偲ぶ会」であったと思います。 南うみを主宰をはじめ、「風土」の皆さま、今日は有り難うございました。 帰りは新百合ヶ丘かから成城まで電車で戻り、そこからすぐにバスにはのらず成城のお屋敷街を見ながら歩いて帰ることにする。秋の爽やかな一日である。 疲れたらバスに乗ろう、そんな風に決めてしばらく歩く。 お屋敷街が終わろうとするあたりにバス停がある。 そこからバスに乗ることに。 しばらく待っているとバスがやってきた。 (おお、ラッキー) 乗り込んでほっとしながらバスに揺られていると、あれれ、バスは途中で曲がるではないか、 そこんとこ曲がるところじゃないんだけど。。。 (あーあ、) わたしは間違えたバスに乗ってしまったのだ。 しかし、 である。 このバス、仙川の隣の駅のつつじヶ丘まで行くバスである。 いいわ、このまま乗ってつつじヶ丘まで行っちゃおう。ということで、 わたしは初めて見る景色を楽しみながら、秋の長閑な一日を回り道することになったのである。
by fragie777
| 2017-09-23 19:21
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