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9月19日(火) 子規忌 旧暦7月29日
今日のわたしの昼食。 日傘を修理しに島忠に行って、そのついでに華丸うどんでお昼をすませたのだった。 柚子とろろ昆布入りうどん(小)に竹輪の天ぷら しめて410円。 やや味が濃かったけれどおいしゅうございました。 お腹もいっぱいになりました。 デザートは家から持参のリンゴ4分の1コ。 新聞記事を紹介したい。 今日の讀賣新聞の仁平勝さんによる俳句批評「俳句とことばと」は、ふらんす堂刊行の句集が二冊とりあげられている。 タイトルは「翻訳不可能という本質」。抜粋して紹介したい。 櫂未知子句集『カムイ』は、前句集から十七年ぶりの第三句集となる。言葉の使い方に独特な感覚があり、その芸が円熟してきた。 「炎昼や箸にかからぬものが好き」は、「箸にも棒にもかからない」という成句が下敷きにある。暑いときは簡単な食べ物が好ましい、といった意味の裏に、つまらないものでも取り柄があるという逆説があり、その二重性が作者の狙いだ。(略) 「一瞬にしてみな遺品雲の峰」は、母親を亡くしたときの句だ。母の生活必需品がみな遺品になってしまう現実を、「一瞬にして」と表現した。そこには、母が死んだのに、周囲の日常は変わらないという含意がある。きのうと同じ「雲の峰」は、そうした日常の象徴であり、作者の感情は、その現実をうまく受け入れられていない。 小野あらた句集『毫』に注目した。二十代の第一句集だが、若手の句によく見かけるケレン味がないのがいい。 「割箸を祭の端に捨てにけり」は、屋台で焼きソバか何かを食べたのだろう。その箸を、祭の中(傍点あり)に捨てるわけにいかないというわけだ。「祭の端」という造語が洒落ている。(略) 「卒業の別れを惜しむ母と母」は、卒業生でなくその母親に目をつけたところにシニカルな視線がある。「母と母」を下五に持ってきたのが、いわばオチとして効いている。 些細なことを題材にしながら、それに対する微妙な違和感のようなものが表現されている。二十代ならではの感覚だと思う。 今日は、九段にある「アルカディア市ヶ谷」にて、第十回日本一行詩大賞・新人賞の授賞式が行われた。 ふらんす堂刊行の中村光声句集『聲』が、新人賞を受賞され、担当のPさんが出席。 さきほどラインにて写真を送ってくれた。 受賞された中村光声氏と奥さまの松子夫人。 松子夫人の強いおすすめがあって、句集制作をふらんす堂に決められたということ。(謝!謝!) 中村光声さま、松子さま この度のご受賞おめでとうございました。 心よりお祝いを申し上げます。 なお、大賞をご受賞されたのは、歌人の小紋潤さん。歌集『蜜の大地』(ながらみ書房刊)である。 新刊紹介をしたい。 上野一孝(うえの・いっこう)氏の第3句集である。前句集『李白』(2008年刊)に次ぐものである。本句集は、2008年から2016年半ばまでの作品を収録し、全体をⅠからⅤまで5つのパートに分けてある。 冒頭のⅠには、まさしく人生の無常迅速を体驗したある二日閒に詠んだ九句を置いた。と著者が「あとがき」で語っているが、父を亡くし、その翌日には師・森澄雄を失うという苛烈な喪失体験をされている。本句集『迅速』はその大いなる喪失からの出発となった。9句を紹介したい。(本文は生漢字表記となっているが生漢字で表記できないものは新漢字表記で記す) 花木槿今際の言葉などなくて (2010年8月17日 父死す 六句) きはちすや父の魂(たま)まだそのあたり 若き日に柿の一句や父逝きぬ 桐一葉父の死すなはち家業絶ゆ 遺されて母のあふげる天の川 妹も父喪ひき椿の實 秋晝寢覚めざるままや失せたまふ (翌十八日 師・森澄雄死す 三句) 草の花師のあらぬ世のはじまりぬ 水澄んでおのれを恃むべかりけり これらの作品を冒頭に据えたということで、上野一孝の人生へのまた俳句への覚悟が見えてくる。まさに「父逝き」「師のあらぬ」これからを「おのれを恃む」ことで突き進んで行こうとする姿勢である。句集名の『迅速』という言葉からも無常を引き受けようとする意思を思う。 この「迅速」という言葉は師・森澄雄の言葉からのものである。森澄雄が「石田波郷論」で書きしるした、 佛教の、或ひは、僕等の観念する無常迅速より、本当にやって来る人生の無常迅速はいつも少しばかり無常迅速なのだ。 よりの由来である。 人生の無常迅速を体験した上野一孝の覚悟の句集が本句集『迅速』である。 本集を読み進めていけばわかることであるが、「ささやかな恙ありて」と前書きをおかれた句があるように病の発病もあった。それもいまや克服しつつある氏である。好きな句のなかからいくつか挙げて紹介したい。 柚子湯して我に臍あり柚子にあり 山椒魚人閒探求派を師系 はんざきにあはれを學べ受驗生 冬紅葉のいづれの色やウヰスキー 龜鳴けば昨日のことを忘じたる 朧夜の深むやセロの無伴奏 西行忌より數日や鬚剃らず 世阿彌忌の腹にこたふる波の音 ちちろ蟲父亡きあとの母に鳴き 素読まづ大事たるべし松の花 ダリヤ咲くゆゑ戰争を放棄せよ 文机のほかは燈を消し年送る 俳諧は自得なるべし龍の玉 娘(こ)も妻もはるか先行く繪雙六 ひとり負けている双六である。お正月の華やぎがあり、妻と娘がゲームに興じている明るさが見え、負けている自分を楽しんでいうるような心の余裕もある。あるいはややアウトサイダー的気分もあるのか。正月の平和なひとときを絵双六が象徴している。上野さんはきっといいお父さんなのだと思う。 父の日を珈琲の香に目覺めけり 好きな一句である。「珈琲の香」に目覚める父がなかなかスマートで素敵である。味噌汁ではないのだ。インテレクチュアルなおしゃれな父を彷彿とさせる。 本句集は速やかに過ぎ去っていく時間に身をおいた作者が、そのとどまることのない時間の流れを十分に意識しつつも、どこか悠揚たる心の幅をもって人生に向き合っていることを感じさせるものがある。泰然自若たりうる著者が見えてくるのだ。つまりは腹をくくって無常を引き受けようというのだ。 一集にまとめてみると、師の亡きあとは、俳句・俳諧に対して、さらには文藝や藝術一般に対して、どういふ態度であるべきかといふことについて考へをめぐらせた句が少なくないといふことを、改めて自覺した。しかし今後は叙景句を數多く詠んでゆきたいといふ思ひでゐる。 「あとがき」の言葉である。 本句集の装丁は和兎さん。 装画は、上野さんの俳句仲間だった画家の故・須加三男(俳号・卉九男)さんの手によるもの。 表紙の裝畫は、いつか句集の表紙に使はせていただくといふお約束で、故・須加三男(俳号・卉九男)さんに描いていただき、長く書斎に掛けていた作品である。(あとがき) 表紙は真っ白なクロス。 青のメタル箔である。 角背。 製本屋さんのすすめもあって角背となった。 シャープでいい。 扉。 花切れは紺。 白と青の美しい一冊となった。 句集の巻末で「母死す」と前書きのある二句に出会う。 色変へぬ松や目覺むることのなく 「母 死す 二句」 死後といふ永久(とは)に痛みの無き夜長 父の死からはじまって、母の死で終わる句集。 まことに「無常迅速」を思わされる一冊である。
by fragie777
| 2017-09-19 19:39
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