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9月9日(土) 重陽 旧暦7月19日
葡萄が美味しい季節となった。 葡萄は大好物である。 いただきもののシャインマスカット。 お皿は唐津焼。 先日の旅で立ち寄った窯元(中里太郎右衛門窯)でもとめたもの。 はじめて使ってみた。 わたしが一粒一粒を美味しそうに味わうのを猫たちがじいっと見つめていた。 (あとで、愛猫のヤマトがお皿のしずくを舐めていた) さあ、今日も新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装。162頁 3句組 著者の市ヶ谷洋子(いちがたに・ようこ)さんは、俳誌「馬酔木」の同人である。この句集は第2句集となる。本句集は、不慮の事故に遭われ重傷を負った著者の市ヶ谷洋子さんが、ご自身の回復を願って編まれた一冊である。第一章「邂逅」第2章「旅路」第3章「旅路」と三つの章に分かれている。著者による「前書き」から紹介したい。 洋子という私の名前は、洋の東西を問わず分け隔てなく誰とでも仲良くして広い世界を見てほしいという願いを込めた私の母方の祖父矢野嘉十郎の命名である。旧制中学校の英語教師として天寿を全うした祖父であったが、第二次世界大戦で教え子の多くを失ったことを悔み、世界平和を生涯祈願していた。 そうした祖父の影響に加え、生まれつき好奇心の強かった私は、旅が好きで太平洋の東西を巡り多くの地を訪問し多くの人々と触れ合い、自分の世界を広げてきた。旅先で見聞を広めた結果、世界的なボランティアに興味を持つことになり、五百近い国や地域で、女性と女児の人権と世界平和を求めて活動していた。ところが平成二十八年十月六日未明、就寝中に強盗に襲撃されるという災難に遭遇し、救命治療で一命は取り留めたものの、左半身不随となり、予期せぬリハビリ生活を余儀なくされた。 せめて少しでも意識のある内に、これまでの旅吟をまとめたいと思い、句集出版を決意した。 著者が遭われたこの事件はニュースでも大きく報道されたということである。まったくの不慮の事故で、ご不幸に見舞われたとしか申し上げられない。傷も快癒しつつある現在なお頑張ってリハビリに励んでおられる市ヶ谷洋子さんである。 第一章「邂逅」、第二章「旅鞄」は、この十年の日常吟に加え、家族や友人句集『旅鞄』と観光のみならずボランティアや慰霊で訪れた地で詠んだ句である。世界情勢の変化で現在では訪問が困難な国や地域もあるが、早く世界が平和になり、人々が自由に往来できるよう心から望んでいる。「旅は道連れ」というが、旅で苦楽を共にした仲間や、旅先でお世話になった方々の健勝と安寧、そして世界平和と人類の共存共栄を心より希求して、一期一会の国内外の旅の記録をまとめた。人生という旅で教えを受けた先生方との愛別離苦の思い出も詰まった一章である。 第三章「再び」は、思いもかけない災難に遭遇した悲運の日々の記録である。人生を旅とする日本古来の考え方に基づけば、このリハビリの日々も私の新しい旅のみちのりの一部であろう。 本集に収められた旅吟は単なる旅の句というよりも、社会的な意識をもって国々を訪れた市ヶ谷洋子さんの活動の記録でもある。「五百近い国や地域で、女性と女児の人権と世界平和を求めて活動していた」とあるから、それは並大抵のものではない。それぞれの章からいくつか紹介したい。 料峭や風に抗ふ星の綺羅 (第一章) ハンカチに風ごと包む土筆の子 邂逅の言葉ほぐるる椿市 許すとは忘れゆくこと桜散る クロールの腕まつすぐにプール裁ち 星あまた降りて水田の蛍かな 迎ふるも見送るも駅雁のころ 迎ふるも見送るも駅雁のころ この句第一章の「邂逅」という見出しに響き合っている。「雁のころ」という措辞がいい。秋は、人との出会いや別れをいっそうに深々とした思いにさせる季節だ。この句、心情を何も述べていないのだが、なぜかしみじみとしてくるのは、やはり「雁のころ」の季題に拠るものだと思う。 億年の地層覚めゆく大旦 (第二章) 泉汲む少女のリボン濡れやすく 七月の埠頭にあふれ星条旗 独立記念日青虫のごとパセリ食べ 僧院にパン焼く香り朝の虹 空蟬の琥珀の軽さ拾ひけり サリー織る少年の背に大西日 初雪や光混み合ふシャンゼリゼ 一族に二つの祖国桐咲けり アオザイの女振り向く除夜の坂 アオザイの女振り向く除夜の坂 「ベトナム五句」と前書きのある一句である。「アオザイ」は、ベトナム女性の伝統的な衣服であり、上着は長目で横に深いスリットが入ってる。そこにズボンを組み合わせるものだ。わたしは着たことがないけれど、素敵な民俗服だと思う。民俗服のもつ仰々しさがなくて軽快でお洒落だ。女性の身体を美しく見せる。老女となっても着られそうな民俗服だ。この句の場合、アオザイを着た女は若すぎも老いすぎてもいず、生活感を感じさせる女だ。その女が振り向いたのである。「除夜の坂」でだ。この「除夜の坂」がいい。女の激しい振り向きざまを思わせる何かがある。人々がいそがしく動き回っている除夜の夜だ。そんななかでも女の動きは著者の目を捉えたのである。女の鋭い視線までも感じられる一句である。 リハビリや余寒の母の手を握り (第三章) 木の芽寒病みても心熱きまま リハビリの階段春の闇にはか 春燈下リハビリの指影絵めく リハビリに飽きて雀は蛤に 夫といふ心の大樹春兆す 木の芽寒病みても心熱きまま 「第三章」はリハビリの日々を詠んだもの。一喜一憂の日々である。しかし著者の市ヶ谷さんを支える家族の方々の思いがあって、励まされつつ頑張っておられる市ヶ谷洋子さんである。「病みても心熱きまま」というこの句を通して、著者の不屈の闘志が伝わってくる。きっとご回復されると思う。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 すっきりとした仕上がりとなった。 表紙。 扉。 「前書き」に「リハビリの日々も私の新しい旅のみちのりの一部」と記されている市ヶ谷洋子さんである。 句集の上梓が励みとなられることを願わずにはいられない。 市ヶ谷洋子さんのご快癒を心よりお祈り申し上げます。
by fragie777
| 2017-09-09 19:01
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