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9月1日(金) 二百十日 防災の日 旧暦7月11日
朝顔の裂けてゆゝしや濃紫 原 石鼎 目下、朝日新聞の連載の「語る 人生の贈りもの」は、作家の佐藤愛子である。今日が最終回でわたしはこの15回にわたった連載を興味ふかく読んできた。 波乱に富んだ人生を果敢に戦ってきた女性作家である。 今日の一文の最後のある行に思わず(ううむ、なるほど)と膝をたたいてしまったので紹介をしよう。 二番目に離婚した夫とのことについて書いた部分だ。 このブログを読んでいる方もあるいは読まれているかもしれませんけど。。。。 最後の作品になると思い、88歳で長編小説『晩鐘』を書き始めました。小説で彼を書くことによって、私はその変貌を理解しようと考えました。人間を書くということは、現象を掘り下げること。一生懸命に掘れば現実生活で見えなかった真実が見えてくる。そう思って書いたのでした。 しかし、書き上げても何もわかりませんでした。わからないままでした。いくらかわかったことは、理解しようとする必要はない、ただ黙って「受け入れる」、それでいいということでした。 それが作家生活60年かかってたどり着いた境地です。 考えても考えてもわからないことがある。(何故? WHY?) 人生とは不可解であり人間もまた不可解である。それでも悪戦苦闘して理解しようと試み、悪あがきもしてみる。 理由付けをしジャンルわけして心の抽出しの右から3番目の上から5段目に収納する。 しかし、抽出しから溢れ飛び出してくる。 理解しようとする必要はない、ただ黙って「受け入れる」 ここではもう言葉は必要ない。 ただ、気合いだけだ。 身体を充たす静かな気合い。 すごく分かる、わたしには。 きっとお若い諸君等にはわかんないと思うわよ。 悔しかったら、私ぐらい生きてごらんなさいよ。 いつか、きっと、おお、このことか、って思うときがくると思うんだ。 丹田を鍛えておくと良いかもね。(嘘くさいか) と偉そうに言ったって、佐藤愛子氏に比べればわたしなんかまだまだひよっこである。 彼女くらいになって始めて言えるのかもしれない。 でも、すごく分かるなあ。 今日は午後にお一人お客さまがいらっしゃった。 押尾きよ美さん。 俳誌「青山」(山崎ひさを主宰)の同人で、この度第一句集を上梓される予定だ。 今日は句稿をもって、ご来社下さったのである。 句集名は「百の椿」。 押尾さんは、「椿」への思い入れがひとしお強い。 それは亡くなられたお父さまへの思いと重なる。 四人姉妹である押尾きよ美さんだが、お父さまは四人の娘が誕生する度に、記念として庭に椿を植えられたという。 みなそれぞれ種類の違う椿である。 次女である押尾きよ美さんの椿は「玉椿」。ピンク色をした八重椿である。 ご実家の庭に咲くそれぞれの姉妹の「椿」をお父さまは丹精されたという。 お父さまを思い出す度に椿を思い出す。 「いいお話ですね。素敵なお父さまですねえ」と申し上げる。 すると、担当スタッフの文己さん。 「実はわたしの父もわたしが産まれた時に丁度花市をやっていたということで椿の苗木を買ってきて庭に植えたんです」 (ええっ、文己さんのお父さん、そんな素敵な方だったのか……知らなかったな) それを聞いてらした押尾さん 「まあ、それは嬉しいです。担当してくださる方とのご縁の繋がりを感じます」と大変喜ばれたのだった。 仙川はむかし何度かいらっしゃったことがあるという押尾きよ美さん、「大好きな町です」と。 スタッフの文己さんには、「文己の椿」を今度写真で見せて貰うことにしたのだった。
by fragie777
| 2017-09-01 19:32
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