ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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季語の奥行き。

8月31日(木)  旧暦7月10日


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稲の花。



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稲穂。


季語の奥行き。_f0071480_17345316.jpg
稲の秋。



今日で8月も終わる。
と言ったところで、わたしの日常が大幅に変わることもなく、昨日と同じように仕事を中心とした日々が繰り返されていくばかりである。
変わることと言えば、昨日よりきっとわたしは歳をとっているはずだ。
それをいかなる方法で確かめるか。
鏡の中の私は、昨日と変わらずに脳天気な顔をこの世にさらしている。





目下、俳人の大石悦子さんの「季語別句集」を作成中である。
初校ゲラが戻って著者の赤字を確認しているとき、

 あづかりたき離宮の大根配りかな

という句にぶつかった。
初校ゲラでは、「大根」(冬・植物)の項目に入れたのであるが、戻ってきたゲラでは、「大根配り」(冬・生活)に立項するようにというご指摘だった。
わたしは「大根配り」を、手元にある歳時記、講談社版、角川書店版、等々あたってみたのだが、そういう項目はない。そこで、大石悦子さんにお電話を入れた。

「ああ、ないかもしれませんね。もう今はやっていないかもしれませんが……」とおっしゃりながら、大石さんは「大根配り」の説明をして下さったのである。
電話を切ってからわたしは少し調べてみた。
すると宇多喜代子さんの著書『古季語と遊ぶ』(角川選書)に、それについて数頁にわたって書かれていることを知り、さっそく宇多さんよりいただいているその著書を開いてみた。
かつての人の暮らしがいかに無駄なく合理的に親しくなされていたかがそこに記されている。
すこし引用してみたい。

『俳諧歳時記』には、次の解説がある。
 
 地方の小都会では、今も師走に入ると、家々の肥料を汲み取りに来た百姓が一年中肥料を貰ふ礼として、大根を配つて来る。地方によつては、屎尿と称して正月の餅米を呉れる所もある。大都会では昔はこの風習があつたのであるが、現今ではあべこべに料金を払つて汲取を頼む様になつてゐる。

この解説に書かれた「現今ではあべこべに……」の現今とは昭和9年前後だが、戦後もわが家に汲取に来てくれていた懇意のお百姓さんが、暮にもち米を持ってきてくれていたから、この解説によれば、あれは「尻米」だったということになる。それにしても「尻米」とはリアルな名付けである。
今では当り前になったが、水洗トイレが普及したのは三十年くらい前であったが、汲取り式の頃には、自分の屎尿(しにょう)の行方がなんとなく確認できたが、水洗になってからは、それがどういう仕組みで流れてゆき、あげくの果てにどうなるのか、そのあたりがわからなくなっている。かつて厠神として、それなりに敬っていた神様も、ご用がなくなったのではないかと思われるほどに厠は変わった。ちなみに、厠神は埴山姫(はにやまひめ)と水罔女(みずはのめ)というニ神。どちらも女神である。(略)

 大根を配りに山をひとつ越ゆ    茨木和生
 河原石つたひに大根配りかな    山本洋子
 西陣の路地へ大根配りかな     岩城久治
 淀屋橋大根配を通しけり      宇多喜代子

誰かに汲取ってもらわねば困るのが町家住まいの屎尿。それが田畑の肥料として役に立つ。その礼に作物を配る。悪くないシステムである。

そんな風習(?)がかつての町や村で行われていたとは、私も知らなかった。しかし、わたしも昭和戦後世代である。わたしが小さかった頃は、バキュームカーがやってきて汲み取って行った。小学校は水洗トイレではなかったけれど、中学校は水洗トイレだった。
屎尿についての宇多さんの見解が面白い。たしかに、屎尿の行方は、いまではきれいさっぱりと水に流される。わが身より出て水に流されていってしまうわけだから、それ以上考えたくないのが本音であるが、しかし、いったい日々流されていくそれらの「あげくの果」は如何に、である。もはや神々もあずかり知らぬことか。

季語の奥行き。_f0071480_19181586.jpg




深見けん二先生よりお電話をいただいた。
開口一番、

「いやあ、おそろしい人が現れたね。」
「ええ、どなたですか?」
「小野あらたさん。今日『毫』という句集を貰ったんだけど、いやあ、おそろしいよ」と明るい先生の声である。
「彼はまだ二十代でしょ。彼の俳句って、ぼくたちの俳句とほとんど変わらないね」
「ああ、そうかもしれませんね」
「トリビアルなものに拘泥しながら作っているというのも面白いね。最初の一句、
 
 絵も文字も下手な看板海の家

なんて完璧だね。ただ、読んでいくとまだゆるいって思うところもあるけど」

深見先生は、自身の句づくりに響き合う若い作家の登場に心弾ませているご様子である。
いつもいつも俳句だけに向き合っている深見けん二先生だ。

おお、そうだ、奥さまの龍子夫人によると深見先生は、負ける『巨人』でも『怒りつつ見るファン」でおられること。
そしてyamaoka推薦のテレビ番組『黒革の手帖』もお二人でご覧になっているということ。
「おべんきょうさせて頂きます」という武井咲のセリフがうまいと感心しておられる龍子夫人だ。

わたしも持っております、「黒革の手帖」。
「黒革の手帖」と「お勉強」はyamaokaの必須アイテムでもありますの。





まだブログでは紹介できていなが、二冊ほど若手と呼ばれる俳人の句集ができあがった。

一冊は、小野あらた句集『毫(ごう)』。

もう一冊は第二句集となるが、後閑達雄句集『母の手』。
後閑さんの、句集『卵』につぐ句集である。







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by fragie777 | 2017-08-31 19:46 | Comments(0)


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