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8月24日(木)綿柎開(わたのはなしべひらく) 旧暦7月3日
グラバー邸より、長崎港を望む。 この日は雨に降られてしまった。 今朝の朝日新聞の一面のトップ記事の見出しは、 「書店ゼロの街 2割超」 「書店が地域に1店舗もない『書店ゼロの自治体』が増えている」という書きだしである。 たしかにここ数年、廃業をしていく書店さんが多いことは聞いていたが、やはり、新聞のトップ記事にもなるような「ゆゆしき事態」がここまで来たか、という思いはぬぐえない。 そういうわたしも本を買うのは主にAmazonなどのインターネットで購入しながら、一方書店の存在は絶対必要、まったく勝手だと思うがそう思っている。もちろん、本屋さんで本を買うこともあるけれども昔に比べてやはり少なくなった。 少女だったころ、町の本屋さんに自転車を漕いでよく行った。 これと言って目指す本があるわけではなく、書棚に並んだ本のなかから読みたい本を見つけるのが楽しみだった。わたしの知らない、でも胸躍らせる世界がぎっしり並んでいる。ずらりと並んだ新潮文庫や角川文庫、それを見ているだけでも胸がドキドキした。そこでわたしはアンドレ・ジイドの「狭き門」をはじめて手にしたのだ。薄っぺらな本だったけど、読んだらびっくりした。そこにはレンアイというものが書かれてていてその対極にシンコウという厳しいものがある。レンアイもシンコウもよく分からない遠い世界のものだと思っていた田舎娘にはこんな世界があるのかと驚くと同時に、その世界にはあまりにも美しいものがあって、胸がしめつけられるようだった。読み終えるとジイドのものをかたっぱしから読んだ。「背徳者」「田園交響楽」「法王庁の抜け穴」「贋金つくり」「女の学校」「ロベール」などなど、一冊読むとまた一冊と自転車を漕いで買いに行く。わたしが読んだジイドの訳者は主に山内義男や新庄嘉章、石川淳など。新庄嘉章については、あとで知るところによれば「しんじょう・よしあきら」という名前だったらしいけどずっと「しんしょう・かしょう」って思っていた。その後、大学に入ったらそこで教鞭をとっておられることを知って、夢の世界に関わる人が、ひどく身近におられることにちょっと戸惑いを覚えたのだった。 それほど、本の世界はわたしにとっては夢をつむぐ世界であり、陶酔ということを本を通して経験したのだった。 と、くどくどと書いてしまったが、そんなわけで本屋さんはわたしにたくさんの夢の扉を開いてくれた。 読みたいものを検索するのではなく、ふらりと立ち寄った本屋さんで出会う思いがけない本。 いまではそれは中身だけでなく、造本の素晴らしさだったり、装丁や活字の面白さだったり、さまざまな刺戟と楽しみをわたしに与えてくれる。 そんな本屋さんをどういう形で21世紀に残していくか。 大きな課題である。 新聞の記事の端に作家の阿刀田高さんの言葉が記されている。 「書店は紙の本との心ときめく出会いの場で、知識や教養を養う文化拠点。IT時代ゆえに減少は避けられないが、何とか残していく必要がある」 知識や教養だけでなく、夢もですよ! 阿刀田さま。 明日は、斎藤夏風先生のお通夜がある。 明後日は、告別式だ。 わたしは明日のお通夜に伺うつもりである。 深見けん二先生は、告別式で弔辞を読まれる。 「それこそ僕が死んだときに、夏風さんに弔辞を読んで貰おうとおもってたのに」 とお電話で深見先生がぽつりとおっしゃる。 わたしは言葉に詰まってしまった。。。。
by fragie777
| 2017-08-24 19:35
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