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7月28日(金) 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし) 旧暦6月6日
今日のおやつ。(可愛いでしょ) 溶けるのを待っている。 みたらし、黒みつ、小豆、黒ごま、抹茶の種類があって、どれも美味しい。 わたしは先日みたらしをいただいたので、今日は黒みつ。 今日から、上野動物園の赤ちゃんパンダの名前の応募がはじまった。 ふらんす堂でもさっそく応募をしてみる。 まずPさんが、そしてyamaoka、そのあと文己さん。 応募って、応募者の名前だけでなく、住所、連絡先、そして年齢まで入れなくてはいけないことを知った。 「これって、もしわたしのが採用されたら、◯◯市にお住まいの◯◯歳のyamaokaさんって発表されちゃうわけ?」 「そうですよ。6歳の子どもだったりしたら可愛いということもあるけど、yamaokaさんの場合、ちょっと笑えますよね」 確かに、笑える。でもきっと採用されないから別に良いけどさ。 何という名前にしたかは内緒。 正式名が決まったら、わたしたちが何と名付けたかお教えしましょう。 みな、可愛い名前なのよ。。。 「名前が決まっても、わたしは自分が名付けた名前で呼ぼう」ってPさん。 もう、応募なさいました? 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装。188頁。 遺句集である。略歴によれば、著者の三澤英子(みさわ・えいこ)さんは、昭和6年(1931)山梨県大月市生まれ。平成9年(1997)に俳句を始め、俳誌「白露」(広瀬直人主宰)に入会。その後いくつかの句会に入会して諸先輩の指導を受ける。平成24年(2012)に「白露」終刊を経て、平成25年(2013)に「郭公」に入会、井上康明に師事。平成28年(2016)に病気により逝去。享年85歳。 本句集は、著者の三澤英子さんの句集刊行への思いを、ご家族の方々の思いによって実現したものである。 序文を井上康明主宰が寄せ、思い出を句仲間の加藤昭代さん、佐藤昭市さん、佐海みや子さんの3人の方が寄せ、三澤英子さんが所属したそれぞれの句会「千葉句会」「けやき句会」「越谷句会」の皆さんが一句ずつ追悼句を寄せている。「あとがき」は、ご夫君の三澤旭さん。しかし、三澤旭さんは、この句集の編集中に急逝され、そのお二人の意志を引き継ぐかたちでご子息の三澤裕さんが上梓までご尽力をされた。カバーの装画、扉の装画ともに三澤裕さんの手によるものである。 句集名の「石楠花」は、旭さんが決められたもので、 石楠花や雁坂古道雲に消え に拠る。このことについて、井上康明主宰は序文にてこう記す。 御夫妻はともに山梨県大月市に生まれ、暮らしておられたが、松戸市に転居された。雁坂古道は、甲斐と秩父の境、雁坂峠を越える秩父往還をいう。石楠花の咲く峠道が夏の雲にけぶる情景には、故郷への思いが託されているのではと思う。 そして、 句集『石楠花』には、遥かな時空を描いたたしかな作品が並ぶ。 鳥雲に入る風蝕の磨崖仏 落し文比叡へはしる雲一朶 岳麓の星は大粒つづれさせ 竹伐つて雫浴びけり山廬の忌 藻塩焼く焰立ちけり鳥曇 いずれも季語から情景へ大胆な飛躍があり、颯爽としてみずみずしい。厳しく推敲を重ねた表現である。(略) 真つ青な空より銀杏黄葉散る 最後の作品かと思われる一句、描かれるのは晩秋の青空である。三澤英子さんの逝去を思うとこの青空の深さは心にしみる。心から御冥福をお祈りしたい。 この遺句集の刊行の準備中、三月、夫である三澤旭様が急逝された。相次ぐ御不幸を悼み、御冥福をお祈りする。 本句集の担当は、文己さん。 梅雨晴や叩いて船の錆落す 碾臼に豆の残り香雪催 日を返す運河の油紋震災忌 溶岩原の雲吹つ切れて緋の躑躅 富士に冠雪菩提寺に庭師来る 青梅の落ちる風あり月夜なり 甲斐駒の肩に明星冴返る すれ違ふ漁師焚火の匂ひせり 水楢に耳当てて聞く春の音 地滑りの跡そのままに山眠る 雲よりも白き航跡五月来ぬ 撃たれたる雉子眼を張りしまま カルデラの風の形に芒枯る 稲光り天守の鯱の目が動く 文己さんの好きな句である。 すれ違ふ漁師焚火の匂ひせり わたしも好きな一句である。海からあがって、焚き火で身体をあたためた漁師の身体から匂ってきた火の匂いだ。それは焚き火の匂いであると同時に海の生臭さも含んだ匂いである。あるいは潮風が沁み込んだ身体の匂いとも。生業の匂いを幾層にもまとわせた生者の肉体が焚き火の匂いの向こうに確かにある。 松戸市に移住してからは、英子は何もすることがないと言ってぼやいていました。 高校生の時の国語の先生が、蛇笏の門弟であった加藤岳南先生でした。先生は生徒達に俳句の初歩を熱心に教え込んだようでした。英子はそのことを思い出して、俳句ならできるかも知れないとその道を選びました。 ある日おそるおそる阿比古句会に行き、原口季代さんに出合いました。原口さんは句会作法を教えてくれたばかりでなく、他の句会まで紹介してくださいました。それで幾つかの句会に出て句友を増やしました。その後「白露」に入会しました。六十六歳にして俳句の一年生になりました。何十年も先にやっている方達に追いつけるものではないと言い、負けん気の強い英子は、多くの歳時記を買い込み四六時中読んでいました。俳句を知れば知る程に廣瀬直人先生御夫妻の偉大さが解り敬愛して御指導を頂きました。 英子の書き残したものを見ると、平成二十四年には句集を出す準備を始めていたようですがその機会は逸していました。句集を出すことが英子の念願でありました。 「白露」が終刊になると、その後「郭公」に入会して、井上康明先生に御指導を頂いています。 英子は癌に気付かずにいて重篤となり平成二十八年十一月に死去しました。 句集を出すことが英子の夢だったことを井上先生に話すと、それでは遺句集として出しましょうと言ってくださいました。私共遺族にとってもこの上ない喜びであります。 井上先生には言葉では言い尽せない感謝であります。 また御指導を頂いた諸先生諸先輩にも感謝しております。 ご主人の旭さんが書き残された「あとがきに代えて」より全文を紹介した。 結局、三澤旭さんはご自身が心をくだいたこの句集を見ることがなく亡くなられてしまった。 ご両親の思いを叶えるために三澤裕さんがいろいろとご尽力をされた。 石楠花の絵は、裕さんが描かれたもの。 本のデザインも裕さんのご希望を、ブックデザイナーの君嶋真理子さんが形にしたものである。 この扉絵も裕さんの手によるもの。 若き日のお母さまをイメージされて描かれたということである。 素敵なお母さまだったのですね。 出来上がりに、三澤裕さんはとても満足してくださった。 お母さまを亡くし時をおかずお父さまを亡くされたご子息の三宅裕さんにとって、おつらい時間であったと思うがこの句集上梓に向けて全力で向き合って下さったのだ。 カバーの表紙は、シンプルな白にこだわられた。 白い紙は「まさに白装束に相応しいです。」という裕さんの思いがあったのである。 ご家族に愛された三澤英子さんである。 水楢に耳当てて聞く春の音 この句も好きな句である。「水楢」だからこそ、春の音が聞こえてきそうだ。「みずなら」というゆるい響きがいい。 一樹のなかをながれるあたたかな水の音も聞こえてきそうである。 三澤裕さま、たいへんなおつらい時にご尽力を感謝申し上げます。 三澤英子さま、三澤昭さまのご冥福をこころよりお祈り申し上げます。
by fragie777
| 2017-07-28 19:14
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