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7月25日(火) 大阪天神祭 土用の丑 旧暦6月3日
蓮の花。 責了にするためのゲラを読んでいた3時頃だったか、ゴロゴロと遠くで雷が鳴った。 目をあげて窓の外をみやるとなんだか暗くなってきている。 ひと雨ありそうだ。 あれっ、 ひょっとしたら、二階の窓を開けっ放しにしてきたかもしれない。 出かける前に閉めた覚えがないぞ。 集中豪雨とでもなったらそれはもう畳が浮き出すかもしれない。 「窓開けっ放しにしてきたので、家に戻って閉めてきまーす」とスタッフたちに言って、わたしは仕事場を飛び出した。 駐車場まで急ぎ車に乗り込み、こりゃ雨が先か家に着くのが先か、競争する気分で車を走らせたのだった。 ドアーを開けると、いつものように愛猫のヤマトが迎えてくれる。 「窓しめるのわすれちゃってね」と言いながら二階にずんずん上がっていって、閉め忘れた最初の窓にたどりついた。 あれっ、 ちゃんと閉まってる。 こっちは? 閉まってる! じゃ、畳の部屋は、 閉まってる。。。 なあ~んだ。閉めたんじゃない。 一挙に疲れが身体に来た。 愛猫の日向子もやってきてわたしを見上げている。 「窓、閉まってたよ」と言いながら、わたしは今朝から忘れたままのiPhoneを今度はしっかり掴んで家を出たのだった。 再び車に乗り込んで空を見上げると、空は晴れはじめているではないか。 あーあ、こんなもんよ。 誰が悪いわけじゃない。 わたしの一人芝居だったということ。 時間の無駄遣いはわたしの得意とするところである。 新聞の掲載記事を紹介したい。 24日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、櫂未知子句集『カムイ』より。 一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子 人間に自分の死は見えない。しかし人の死には何度か立ち会う。それを通じて自分の死を想像するのだ。母親を看取ったときの句のようだ。持ち物は形見となり、家族は遺族となる。たちまち千年過ぎたかのように。句集『カムイ』から。 同じ日の讀賣新聞の「枝折」では、北大路翼句集『時の瘡蓋』が紹介されている。 田中裕明賞を受賞した新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」家元の第2句集。生きざまを俳句に刻み続ける。 部屋干しの床すれすれに折る浴衣 北大路翼 23日付けの毎日新聞の書評欄で、歌人の小島ゆかりさんが『鷹羽狩行俳句集成』を評しておられる。 タイトルは「あたたかい叡智と涼しい涼感」。素晴らしい評なので全文を紹介したいのだが、抜粋して紹介したい。 鷹羽狩行の俳句には、どこか鳥瞰的な視野の大きさがある。 「鷹羽狩行」は私の附けた筆名である。「たかはしゆきを」を「たかは」と切り、「しゆ」と切り、「きを」をくつつけた。 「狩行」は、一寸(ちよつと)読みにくいが「しゆぎやう」と読む。「かりゆき」と読んではいけない。(第一句集『誕生』「序」) 師・誓子の言葉である。ずいぶんふざけた命名ながら、これが諧謔精神というものかもしれない。こうして高橋行雄は鷹羽狩行となり、俳人は大きく飛翔する鷹の人となった。 狩行は昭和二十一(一九四六)年、十五歳のとき俳句を作り始めたという。昭和十年代の新興俳句を中心に模索された表現革新の恩恵を、十分に受けて出発したにちがいない。十七歳で山口誓子創刊の「天狼」に入会し、そこで第二の師ともいえる秋元不死男と出会う。そして不死男の主宰誌「氷海」終刊の後を受けて「狩」を創刊した。誓子の明晰さと不死男の柔軟さを学び、有季定型という伝統を守りつつ、独自の自在さをもって現代俳句に新しい世界を展いた。 落椿吾ならば急流へ落つ 『誕生』 摩天楼より新緑がパセリほど 『遠岸』 一対(いっつい)か一対一か枯野人 『平遠』 紅梅や枝枝は空奪ひあひ 『月歩抄』 麦踏みのまたはるかなるものめざす 『第九』 大寒といふ一枚の落し蓋 『十四事』 それぞれの句を鑑賞されているが、ここでは「落椿」の句と、「紅梅や」の句の鑑賞を紹介したい。 「落椿」の句、「吾ならば急/流へ落つ」の句またがりによる、うねるようなスピード感はどうだろう。本来は切れるべきでないところに句の切れ目が入る、つまり言葉が句をまたぐ「句またがり」は、リズムに前進のエネルギーを生み出す。一語の途中でふいに堰き止められることにより、意味とは別のうねりが生まれるのである。明確な構図を持ちながら弾力のある狩行俳句の魅力はしばしばこの句またがりによる。もう一つ、「吾ならば」という自己表出は俳句ではむしろ避けられてきたものだろう。俳句は作句主体を消す文芸である。しかしここでは、いわゆる自我の表明とは少し違う、もっと生き生きとした人間性の躍動を伝える。だから新しい。 (略) 「紅梅や」の句は、むろん空を仰ぐ視点によるが、ふと、空から俯瞰する視点をも誘われる。紅の花を掲げつつその腕を捩るように空を奪い合う枝枝は、地上の者からはどう見え、大空を飛翔する者からはどう見えるのか。そんな映像への空想を誘われてならない。不思議なことに「流星の」の句にもまた、無限の「空の丈」を思う一方で、それを知る者の存在を感じさせる時空の拡がりがある。この俳人はやはり鷹の人なのかもしれない。 (略) 天瓜粉しんじつ吾子は無一物 『誕生』 紅一点とは唇(くち)のこと霧山中 『平遠』 胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋 『遠岸』(定本)抄 眼鏡はづせば満面に青嵐 『五行』 甚平を着て雲中にある思ひ 『六花』 秋風や魚(うを)のかたちの骨のこり 『七草』 人の世に花を絶やさず返り花 『十二紅』 天心の歩けば動く枯野かな 『十七恩』 全十七句集、七十年に及ぶその作品世界をたどりながら、あたたかい叡智と涼しい情感に満ちた鷹羽狩行の俳句を満喫した。 23日に行われた「田中裕明賞」の授賞式でお目にかかった森賀まりさんから一枚の写真を渡された。 「家を整理していたら写真が出てきて、今日はそれを持って来ました」 それは、田中裕明さんが第2句集『花間一壺』を上梓されたその出版のお祝いの会の写真だった。 俳誌「青」(波多野爽波主宰)の人たちが集まってお祝いをしたときのものだ。 『花間一壺』は1985年6月に刊行されているのでその少し後の写真だろう。 田中裕明さんが26歳の時である。 「わあっ」と言って、思わず見入ったのである。 写真をすこし拡大してみよう。 かなりボケてしまうが。 波多野爽波を囲んで、田中裕明さん、小澤實さんがいる。 そのすこし横に岸本尚毅さん。 そのすこし上の右の方に、島田牙城さん。 田中裕明さんの列の左端には中岡毅雄さん。 山口昭男さんの顔も見える。 原田暹さん。 この方は、上田青蛙さん。 『田中裕明全句集』の栞で歌人の前登志夫さんの「永遠なれ」の文章に出てくる人だ。 「田中とは仲が良かったんです」 とおっしゃるまりさんとは結婚される前ということで、まりさんは写っていない。 それにしても田中さんの童子のような笑顔が印象的だ。 大好きな升酒の升を手にしているからかしら。 とても嬉しそうである。 『花間一壺』は、わたしが編集者時代に担当した句集である。 このことを通して田中裕明という俳人を知ったのだった。 わたしにとって一つの衝撃だった。 そして仕事で上京されるときなど、新宿で落ち合ってよくお酒を飲んだ。 ああ、田中さんこんなに若かったのか。。。 句集も人となりも老成していて落ちついていたので、こんなに若かった人(?)だったとは。 改めて驚いている。
by fragie777
| 2017-07-25 20:11
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