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7月14日(金) 旧暦閏5月21日
正面にみえるのは時計台ではないのである。 (いったい何なのだ) いつかまた行けたら確かめてみたいな。。。 夢だけどさ。 ブログを書くにあたってカレンダーを見たら、 「あれっ、もしかしたら17日お休みで連休になるの?!」 「そうですよ、お休みですよ。ひょっとしてyamaokaさん、知らないで来たらどうしようって思ってました」とスタッフの緑さん。 「多分、来てたと思うよ。」 さすが長いつきあいの緑さんだけあって、yamaokaのこと、よく分かっている。 緑さん、大のヤクルトファンである。 目下ヤクルトの調子が頗る悪く、テレビの野球ニュースは音を消してしまうという。 わたしもかつてはヤクルトファンだったので、それはなかなか淋しいことである。 今日は夕方から、お茶の水の山の上ホテルで「件の会」による「みなづき賞」の授賞式がある。 受賞者は、比較文学者の芳賀徹さんである。 Pさんが出席。さっきラインで参加者名簿を送ってくれたが、いろんな方々が出席されている様子である。 受賞された芳賀徹氏と「件の会」の方々。 赤いリボンをつけられているのが芳賀徹氏。 向かって右隣は、お孫さんの芳賀茜さん。ロンドンに住んでいらしたのだが、今年から芳賀徹氏の家に住まわれて東京の高校に通われるということである。 たまたまわたしの目の前に芳賀徹さんの著書『詩歌の森へ』(中公新書)を見つけたので、その中より一文を紹介してお祝いの気持に変えさせていただく。正岡子規について書かれた「神様が草花を染める時」。 正岡子規がある人に、同じ下谷根岸に住む画家中村不折(ふせつ)の住所をきかれて作ったという歌というのがある。 折れ曲り折れまがりたる路地の奥に折れずといへる画師(ゑし)は住みけり 不折の名にかけて、一歳年長のこの鼻っ柱の強い洋画家を少々からかってみたふしがある。子規は明治二十五年から母妹とともに根岸に住み、やがて友人の浅井忠(ちゅう)や不折もここに移って画室を構えたのである。 その中村不折が子規に洋風写生の手ほどきをし、写生の面白さ、大切さを教えたことは有名だ。「遅れて来た志士」子規にとっては、この写生学習こそ、俳諧維新、短歌革新のもっとも重要な契機の一つとなり、彼のいのちの救いともなった。短詩型であるだけにすぐに月なみに陥りやすかった俳句、さらに長い歴史のあとに理想美にからめとられてしまっていた短歌ーーそれらを写生という視覚の働きの回復と徹底によってゆさぶり、更地に還元し、その上で再建すること、そのために彼は、 色厚く絵具塗りたる油画(あぶらゑ)の空気ある絵を我は喜ぶ 第一に線の配合其次(そのつぎ)も亦其次も写生々々なり とまで言って、洋画イデオロギーを主張した。この新しい写生美がつねに彼の俳句や短歌に実現されたとは限らない。だが革命児子規は「病状六尺」に喘ぎながらもなお勇往邁進、死の直前まで枕頭の草花や果物の水彩写生をたのしみ、日々の文章にはこう説いた。 「理想の方がよほど浅薄であつて、とても写生の変化多きには及ばぬ……」 「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造花の秘密が段々分つて来るやうな気がする。」 「神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであらうか。」 これは子規が短い生涯の最後に残したもっとも美しい言葉であったろう。 明日から三日間のおやすみかあ~。 たった一日ふえただけで気分がこんなに違うとは。。。 目の前に駘蕩と大海原が広がっている感じ。 ヨシ、海にでも行こうかなあ、 嘘よ。行きっこないわよ。 言ってみただけ。 明日と明後日はそれなりに用があるので、おまけの祝日は久しぶりに家でゆっくりしよう、って思ってんだけど。
by fragie777
| 2017-07-14 18:43
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