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7月13日(木) 旧暦閏5月20日
凌霽の花。 さっそっくであるが、新聞掲載記事を紹介したい。 6月20日付けの讀賣新聞の「俳句とことば」に仁平勝さんが『鷹羽狩行俳句集成』をとりあげている。その部分を紹介したい。 いま巧い俳人は誰かと問われたら、私は真っ先に鷹羽狩行の名を挙げる。その既刊句集をすべて収めた『鷹羽狩行俳句集成』(ふらんす堂)が出た。 近頃、いわゆる二句一章(句切れが1か所)で、上五または下五に季語を取り合わせる形が多いが、狩行はそういう安易なパターンをあまり好まない。 たとえば「頬杖に置く春愁といふ重さ」という句。これを「春愁」と「頬杖」の取り合わせと考えれば即きすぎが、そこに「重さ」を加えたところに芸がある。春愁なんて頬杖に置く程度のもので、大して重くないということだ。 または「色鳥の来てふだん着の籠の鳥」「色鳥」と「籠の鳥」の取り合わせなんて誰も考えない。秋に漂ってくる色鳥はよそ行きで、籠の鳥は「ふだん着」だという発想が心憎い。 「七と三たまに五と会ふ七五三」は、数字だけで七五三の風景を詠んでみせた。七と三は女の子、五は男の子だが、言われてみれば確かに女の子が多い。たんなる言葉遊びでなく、省略の効いた至芸である。 「山彦とともに遠足ゐなくなる」は、子供たちのヤッホーという声の山彦がだんだん遠ざかり、それだけのことだが、一句は妖怪が子供たちを連れ去ったおうな幻想を伴う。 福島県三春の滝桜。樹齢千年を超える枝垂れ桜の大樹である。東京電力の原発事故後、福島再生の願いの象徴となってきた。句は葉桜に変わった初夏の姿。春は花の瀑布だったが、今は緑の葉が滝のように流れている。句集『朴』から。 わたしはかつてこの三春の滝桜に一度だけ行ったことがある。 大勢の人で賑わう春の桜の季節ではなく、夏の葉桜の季節でもなく、秋の桜紅葉の季節でもない。 見物客が人っ子ひとりいない冬に友人たちと出かけたのである。 なんと物好きな。。。 裸木となったこの滝桜を見上げた。曇り日であったためか、空も木も灰色の無彩色の世界だった。 枝垂れる枝枝を虚空より垂らし、魍魎への変身の兆しを見せているその老木は何かにじっと耐えている、そんな気配が伝わってきた。 (なんとも、ご苦労さま)心の中でそんな言葉をかけたかもしれない。 (ああ、もう十分だわ) 冬の滝桜で、わたしは春も夏も秋も経験してしまったような不思議な思いがしたのだった。 今日は午前と午後にお客さまいらっしゃった。 午前中は、俳誌「麻」の嶋田麻紀主宰が、俳人の大石登代子さんと一緒にご来社くださった。 俳誌「麻」は来年の1月で創立50周年を迎えられる。 その記念行事のひとつとして、嶋田麻紀主宰が「麻」に連載して来られた「『自註・菊池麻風』再録」を一冊にまとめられる予定である。 それをふらんす堂で刊行させていただくのである。 すでに原稿は入稿済みで、今日は細かな部分の打ち合わせにお見えになられたのである。 ご一緒された大石登世子さんは、「麻」に所属しておられ、ふらんす堂より第1句集句集『遊行』と紀行文『奥の細道紀行』を上梓しておられる。職業が編集者であるので、今回の本づくりにひと役かっておられるのだ。 大石さんもまじえ担当スタッフのPさんと打ち合わせをされたのである。 学生時代に菊池麻風の家に下宿をしたところ、子どものいない菊池麻風夫婦に子どものように可愛がってもらったという。その時に「俳句をつくりなさい」と言われて作ったのが俳句との出合いである。菊池麻風は64歳のときに「麻」を立ち上げたのだが、その10数年で亡くなってしまい、その「麻」を引き継いだのが38歳の嶋田麻紀主宰であったということ。 それ以降「麻」のために力を注いで来られたのである。 夕方には、俳人の笹本千賀子さんがお見えになられた。 笹本千賀子さんは、ふらんす堂より2002年に第1句集『素足の時間』を上梓されている。 今日は第2句集刊行のご相談に見えられたのだ。 俳人・平井照敏の下で俳句をはじめ、「槙」の編集にたずさわり、その後「翡翠」の編集長をながくつとめ、現在は「燕俳句会」の代表をしておられる。 今年の2月にふらんす堂より、句集『遠い木』を上梓された井田美知代さんは、「槙」「翡翠」とずっと句座をともにしてこられ、今は「燕俳句会」のお仲間である。 第1句集『素足の時間』には平井照敏主宰が懇切な序文を寄せておられるが、その数年後に亡くなってしまわれたのだった。 「平井先生には、三年後にはまた句集を出しなさい、って強く言われましたが、先生が亡くなられてしまって……」と笹本さん。 3年後がなんと15年後になってしまったのである。 句集名はすでに決まっているという。 3年後に作ろうとおもっていた句集名をずっと心の中で持ち続けて来られたのだ。 その集名をうかがって、わたしは思わず、「それはいいですね!」と叫んでしまった。 早くその句集が世に出ることを願っている。 笹本千賀子さん。 故平井照敏先生は、わたしも駆け出し編集者時代にずいぶんとお世話になった方である。 お家にも一度遊びにうかがったことがある。 玄関の門のところにりっぱな槙の木があったのが印象的だった。 笹本さんとお話しているとつい、平井先生のお話になってしまう。 「平井先生を知っている方とお話できるのはとても嬉しいです」と言われて、笹本千賀子さんはお帰りになられたのだった。 そら豆をむいて素足の時間なる 癒えてなほ癒えざるものや茂りくる 祈る掌のかたちに樹々の芽吹きけり 馬鈴薯のでこぼこにわが聖家族 新涼のわが塩壺を充たさねば 第1句集『素足の時間』より。
by fragie777
| 2017-07-13 20:22
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