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6月20日(火) 旧暦5月26日
もはや、すごくなつかしい。 銀行に行ったときのこと、 通帳記帳をしようとして試みたところ、通帳が吐き出されてしまう。 よくみると通帳はもういっぱいになっている。 新しい通帳をつくるべく、ふたたび通帳を機械に入れて、新規通帳の作成ボタンをタッチした。 すると、今度もまた、すぐに通帳が吐き出されてしまった。 もう一度やっても同じ。 もう! とわたしは通帳をわしづかんで、女性スタッフのところに文句を言いに言った。 「通帳が吐き出されてしまって、新しい通帳がつくれないんです!」 「お客さま、ちょっと最後の頁を拝見できませんか」 「ハイ、これです」 わたしの通帳をしばし見つめた女性スタッフさんは、 「お客さま、すでに新しい通帳をおつくりではありませんか?」 「ウン? えっ、そんな…」とわたしはあわててバッグをかき回した。 あらまあ、いやだ、新しい通帳がある、しかもすでに記帳されている。 「あらまあ、いやだ、ごめんなさい。」 すごすごと引き返す自分が恥ずかしかった。。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装。 198ページ 著者の矢島久栄(やじま・ひさえ)さんは、昭和9年(1934)東京生まれ、現在は神奈川県川崎市にお住まいである。昭和41年(1966)に「氷海」に入会し、「氷海」同人を経て、昭和53年(1978)に「狩」が創刊されると同時に同人として参加され現在に至る。昭和63年(1988)弓賞受賞、平成8年(1996)巻狩賞受賞、句集は『鉢の子』『太白』の二句集を上梓され、この度の『木霊』は第三句集となる。 『木霊』は、『鉢の子』『太白』に続く第三句集です。平成六年から二十七年までに、「狩」と俳句総合誌に発表した一六二〇句の中から三五〇句を自選、収めました。と、あとがきに書かれている。22年間の作品を厳選した三五〇句が収録されている。 帯を鷹羽狩行主宰が寄せている。 にぎやかに風を呼びとめ枯柏 木々を吹きからす風を、まるで拍手で歓迎しているかのように捉えて、明るい。 遠足の一人に問へばみな答ふ 行く先を尋ねると、子供たちが一斉に答えた。遠足を楽しみにしていたのである。 本物のめをとでありし村芝居 本人は役に徹しているつもりだが、ときおり「本物」が出てしまう、おかしさ。 矢島久栄さんの俳句は、昔から丁寧な描写に特長がある。俳諧味の幅も広がり、充実した一冊となった。 本句集には、22年の歳月が流れていることになるが、その歳月をひそやかに貫くものに「夫恋い」がある。本句集の作品の頁を開くと2ページ目からすでに亡き夫についての句が並ぶ。夫亡き日々からこの句集ははじまっている。 膝に骨(こつ)熱かりしこと四月尽 爪立ちて遺影に御慶申しけり 抱き取りて遺影を拭ふ年の暮 七夕や夫の知らざる齢を生き 本句集の二十二年間には、師とも仰ぎお世話になりました多くの先輩、切磋琢磨した詩友、そして夫との永別がございました。 と「あとがき」で記す矢島久栄さんの心には、亡くなられた多くの大切な人々の姿が去来したことだろうと思う。「木霊」は谺の謂いでもある。さまざまな人たちの声が繰り返し繰り返し静かな谺となって矢島さんのこころに湧き起こるのかもしれない。 本句集の担当は文己さん。 朝涼しわけても物をきざむ音 鉄棒に子らが鈴生り寒の明け 帚木に呼ばれし覚えなけれども ぶらんこの静止を待つて初写真 船の揺れ髪膚に通ひ花火待つ 残り蚊の潜む国立博物館 あつさりと敷居を越えて冬日差 海老の紅・貝の紫・黒ビール 白玉の名のりを上ぐるごと浮かび いよいよわが知るフレーズへ第九かな お砂場を砂のはみ出て星月夜 文己さんの好きな句を挙げてもらった。 朝涼しわけても物をきざむ音 わたしも好きな一句である。ものを刻む音に朝の涼感をとりわけ感じる、という句意であるが、ものを刻む音が小気味よく耳元に届いてくる。あたらしい朝をむかえた生の喜びのようなものさえその音に感じてしまう。涼しいという体感を生活の音で見事に表現した一句だと思う。 こういう朝って、わたしにはないなあ。朝はだいたい、包丁を使わないからね、納豆とバナナジュースとヨーグルトが定番である。バナナも指でちぎってハンドミキサーに投げ込んでいる。割烹着をつけたお母さんが、朝早くから台所で立ち働いている。そして葱をトントンと刻んで、ああ、なつかしい。しかし、これはきっと失われつつある昭和の風景だ。 あつさりと敷居を越えて冬日差 冬日差しってこういうもんんだと思うが、すごくうまく表現されていると思う。「あつさりと敷居を越えて」ってまるで冬日差しが生き物みたいである。「あつさりと」がいいのだろうなあ。「敷居」を越えるわけだけれども、この「敷居」のある家も少なくなりつつある。この句が呼び起こす景は、日本家屋の一室で障子などが廊下と和室を隔てているそんな情景である。小津安二郎の映画に出てく来るような、そんな和室ね。その障子の敷居をあっさり越えて冬の日差しが伸びてきた。あたたかでやさしい冬の日差し。 俳句に志して半世紀を、一回の中断もなく発表の場を授かり、学び続けることができました幸せを嚙み締めております。 鷹羽狩行先生には、長きに亘りご指導を賜り、このたびも帯文の労をおとりいただき、心より厚く御礼申し上げます。(略) 俳句を通して賜りました全てのご縁と、数多のご恩に感謝、些かでもお報いするためにも、この一筋の道を歩み続けて参る所存でございます。 このような思いを込めて句集名を『木霊』といたしました。 「あとがき」の言葉である。 本句集の装幀は、君嶋真理子さん。 緑色がお好きという著者のご希望に応えた。 タイトルはツヤなしの金箔。 表紙は上品な薄緑色。 装画をカラ押し。 表紙の文字もやはりツヤなしの金箔押し。 花布は金色。 栞紐は薄緑。 「木霊」というタイトルを装幀するのはむずかしかったと思うが、著者矢島久栄さんの雰囲気によく合っていると思う。 「トンネルみたいで素敵、不思議なイメージ 印象にぴったり」と、矢島久栄さんはおっしゃっていたとのこと。 新涼や娘ふらりと現れて タラップを降りて一歩の秋気かな 秋の句で、わたしの好きな句をふたつあげた。 とくに「新涼」の句は、面白い。とぼけた味わいがある。こういう親子関係は悪くないな。「ふらり」がいいなあ。わたしにはもう「ふらり」と行けるような親の家はないのでいっそう羨ましい。 「新涼」という季語がいい。 これは余談。 どこでもいいけど、「ふらり」と立ち寄るところがあるって、いいなって思う。 予約もなく、たいした挨拶もしないで、「ふらり」よ。 「あら、来たの」で済んじゃうような。 わたし? ううんと、あるかもしれないな、一カ所。 あなたさまは、いかが? さて、今日の夕方にお一人お客さま見えられた。 野崎海芋(かいう)さん。 野崎海芋さんは、俳誌「澤」に所属しておられる俳人である。 第1句集となるべき句稿をご持参して下さったのだ。 長い年月の俳句なので、なかなか削りがたく、それでも思いきって削られて決定稿となったものである。 お母さまは、「澤」の俳人の葛西省子さま。 お母さまと一緒に「澤」創刊のときに「澤」に入会されたのである。 かつてご夫君の都合でフランスに滞在していた野崎海芋さんは、その時の体験を活かして今はフランス家庭料理を教えておられる。 フランス料理がまさにぴったりとよくお似合いの野崎海芋さんである。
by fragie777
| 2017-06-20 20:02
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