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6月7日(水) 旧暦5月13日
アムステルダムの街。 運河と緑と自転車の街である。 今朝のこと。 「はいっ」ってPさんよりゲラを渡された。 なんと「第8回田中裕明賞」の選考会のゲラではないか。 「あら、もう」と言いながら受け取ったであるが、7月23日に行われる「授賞式」に間にあわせるべくPさんが気合いを入れて臨んでいるのだ。どんなに忙しいからと言っても、そのpさんの勢いをくじくようなことがあってはならない。 なんとか仕事の合間に読んでしまうつもりである。 まえにもこのブログで書いたように、第8回からは、冊子はまず「選考委員会」までを紙の本でつくり、「記念吟行会」「授賞式」「お祝いの会」は、電子書籍版で刊行する予定である。 それがいちばんいいのではないか。 そんな結論に達したのである。 西村和子著『清崎敏郎の百句』(きよさきとしおのひゃっく)が 出来上がった。 西村和子さんが、師・清崎敏郎について書き下ろした一冊である。 このキャッチコピーの「俳句は足でかせぐものだ」は、清崎敏郎の言葉である。 いい言葉だ。わたしは好きである。 私が師に出会ったのは昭和四十一年の初夏、「慶大俳句」の先輩として部室の句会に来られた時だった。四十四歳にしてすでに大人(たいじん)の風格があった。慶應高等学校で教鞭をとりつつ、大学、大学院の講座も担当し、昭和四十九年、朝日カルチャー開設と同時に俳句講座の夜の部の講師ともなる。そして休日は吟行に旅行に、生涯で最も多忙を極めた時期だった。 そんな中にあって、「俳句は足でかせぐものだ」と、私たち学生を、実にまめに吟行に連れ出した。病の後遺症で歩調はゆっくりだったが、歩くことを厭われたことは一度もなかった。気儘な若者たちを、地道に辛抱づよく導く姿勢は、今にして省みて頭が下がる。真冬の吟行会に、先生と杉本零と私の三人だけだったことさえある。それでも全く淡々と句帳をひらき、そこらの茶店で常のごとく十句で句会、さらに席題で三句、では又来月、と別れた。 旅行の車中から句会、食事のあとは席題と袋回し、夜更けの話題も俳句以外のことはなかった。 巻末の清崎敏郎論の「師のうしろ姿」よりの最初の部分の文章である。 百句について鑑賞がなされているが、二句のみ紹介したい。 口曲げしそれがあくびや蝶の昼 『島人』 昭和三十年、富安風生夫妻の媒酌で星野由紀子と結婚、三十二年に長男直彦が生れた。父親となった実感がまだ湧かぬままに、生まれたての我が子を見つめていると、あ、口を曲げた。今のがあくびだったんだ、というささやかな驚き。季題が喜びを語っている。 「虚子先生に讃められた唯一の句である」と自註にある。何とほめられたのですか、と尋ねると「これはようがす。それだけだよ」と言われた。その嬉しそうな笑顔が忘れられない。虚子の選評とは、そうしたものであったらしい。 清崎敏郎は、深見けん二とともに、虚子晩年の弟子である。 虚子の謦咳に直接触れ得たということは、清崎敏郎の俳句人生においてやはり大きなことだったのだろう。 人生の師と仰いでいた高浜虚子が他界したのは昭和三十四年。その年「ホトトギス」同人に推挙されたばかりだった。深い虚無感と同時に、「花鳥諷詠・客観写生ということを実践し、唱導してゆこうと決意した」。三十七歳のことである。 俳句は花鳥諷詠だ、という虚子のゆるぎない信念は、はじめから若い世代に受け入れられたものではなかった。理解したような面持ちで虚子の言葉にうなずいていると、 「ほんとうに、そう思っていますか」と眼光厳しく見つめ返された、とのちに 述懐している。 ふたたび「師のうしろ姿」より。 もう一句紹介したい。 蹤いてくるその足音も落葉踏む 『系譜』 落葉を踏んで歩く時、人は孤独感のうちにも、今、ここに在る自分の存在を改めて確認する。静けさの中で、この句はもうひとつの足音を聞いている。自分に蹤き従って歩む者の、落葉踏む音である。その足音も孤独の象徴と言えよう。創作の道を歩む師弟関係を思わせる句だ。その存在に気づいていても、待ってやったり、声をかけるでもない。隣り合う孤独を思うばかり。 句集『系譜』の掉尾に置かれた句。風生没後「若葉」の継承者として出版した句集の題名にも、その覚悟は表われている。 孤独のうちに成り立つ師と弟子の信頼感。 このことは多くの弟子をもつ西村和子さん自身が、創作者の姿勢として自ら貫いているものでもあるのだろう。 師を失った今も、吟行の折にふと目を上げると、彼方に句帳を手にした師の後ろ姿を見ることがある。夜更けに稿を書きなずむ時、深い声が聞こえてくる。「花鳥は季題、諷詠は定型だよ」と。 「師の後ろ姿」より。 師の後ろ姿をしっかりと見つめてきたものだけに聞こえる声なのだろう。。。。 さてと、今日はアムステルダムの街を紹介したい。 良き街である。 もう一度行きたい。。。。 旅の4日目の午前中に風車村に行ったわたしたちは、午後はアムステルダムの街へむかう。 股関節が痛むS君は、ホテルに戻ってすこし休み、夕食のレストランで合流することになった。 わたしとI君は、地図を片手にぶらぶらと散歩をすることにしたのだった。 左手にみえる赤い建物は、アムステルダムの中央駅である。 アムステルダムの街はどこかのんびりとしている。 学生も多く、観光客らしい姿はあまり見かけない。 そういうわたしたちもなんだかアムステルダムの街に溶け込んでいる、そんな感覚をもたせる街である。 運河が街の中心をながれ、それがまたこの街を風通しの良いものにしている。 自転車は街のいたるところにあり、これほどまでに自転車が人間の足となっている街をみたことがない。 街のいたるところに緑がある。 それもいい。 この日、なにかの花が散り、風がふくたびにそれらが舞う。 この木もそう。 なんの木だろうと調べたのだが、たぶん楡の木。 楡の花が咲いていて散り始めているのだ。 自転車、自転車、自転車である。 いいなあ。 道路上にあるものは楡の花の散ったものである。 こんな風景ものんびりとして穏やかでいい。 人人は、運河を愛している。 船遊びをしている人たちをたくさん見た。 楽しそうだ。 わたしたちも次の夜にはナイトクルージングをすることになっている。 跳ね橋。 ここも自転車で渡る。 道路には自転車道があり、そこをかなりのスピードで自転車が過ぎ去る。 この散歩の途中で「レンブラントの家」と「レンブラント広場」に立ち寄ったのであるが、それは改めて紹介したい。 楽しい遊びを考える大人たち。 活気のあるアムステルダムの街だ。 ここは花の見本市。 色彩にあふれた店がずらりと立ち並ぶ。 I君は、花が好きだというお母さまのために「黒いチューリップ」の苗を買った。 種袋には、真っ黒なチューリップの写真がある。 「本当にこんなに真っ黒なのかしら。」わたしは疑心暗鬼である。 そういえば、大昔、アラン・ドロン主演の「黒いチューリップ」というフランス映画があったな。 「ねえ、黒いチューリップを見事咲かせることができたら写真送ってくれる?」と、わたしはI君に頼んだのだった。 どれほど黒いのか知りたいじゃない。。。。 これはおまけ。 わたしの必需品。
by fragie777
| 2017-06-07 19:46
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