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5月15日(月) 竹笋生(たけのこしょうず) 京都葵祭 旧暦4月20日
薔薇の季節となった。 家から仕事場まで歩くと、薔薇を咲かせている家のさまざまな薔薇を味わう「薔薇の旅」ができるのだが、いまはそんな時間をもてず、とても残念。 「第八回田中裕明賞」が発表されました。 新しい選考委員の津川絵理子さんを迎えてのはじめての選考会です。 こちらより→「第八回田中裕明賞」 さっそくに新刊紹介をしたい。 高畑浩平さんは、昭和12年(1937)生まれ。昭和56年「雲母」に入会し飯田龍太に師事。その後「白露」を経て「郭公」創刊同人、「郭公賞」の選者をされるなど重鎮である。平成12年(2000)に第46回「角川俳句賞」を受賞されている。本句集は、既刊句集『雲』『水』『風』より精選した作品に新句集『樹』を加えたものである。『雲』『水』よりは書く100句、『風』より200句、『樹』400句と全部で800句の収録となり、高畑浩平のいわゆる精選俳句集成とも呼ぶべきものである。文庫本サイズの軽装版であることが、その多くの収録句数にもかかわらず大変読みやすいものとなっている。 「雲母」は、平成四年に終刊になったが、いまも当時の〝作品欄〟の思い切った選が忘れられない。その後も龍太先生ならどう判断されどう取捨されるであろうかと、クエッションを想定しながらの作句を心がけている。今回、既刊の『雲』『水』『風』から四百句を抄出し、その後の四百句を『樹』として、八百句で纏めてみた。お読みいただければ幸いです。 「あとがき」のことばである。 師・飯田龍太の「思い切った選が忘れられない」と記しているのが印象的である。 水の上ころがつてゆく柿の花 『雲』 柿の花って小さくて目立たない花だ。「水の上」をころがる花なんてあるんだろうかって、思ってしまうが、柿の花を一度でも見、それを眼裏に焼きつけた人であれば、この句すごくなっとく出来ると思う。夏に咲くクリーム色の堅い花弁の柿の花、この花が水にころがってゆくなんて、なんとも涼しげなことよ。 本句集の担当は文己さん。 出目金の黒美しき五月かな 初氷かかげ登校して来たり てふてふとなり驚いてゐるらしき ぼたん雪旅の時間の止りたる 雨つぶの走れる車窓芽吹きどき 春の雷遠くともまた近くとも 雨脚を見送ることも能登の夏 梟の目覚めし頃か会ひにゆく はばたいて少女は雪を払ひけり 文己さんの好きな句である。 出目金の黒美しき五月かな はっとするような美しい句である。出目金の黒がひらりと尾をかわしてどうよってわたしに告げたような気がした。出目金の黒がどうして美しいのか、それは五月だからである。この句、黒色しか登場しないけれど実はこの句緑色を含んでいるのだ。句を一読するとわたしたちの脳裏にあざやかな若葉の緑がよぎるのである。五月という季題そのものがふくんでいる緑という色。その新緑の色を背景に出目金はその黒をいつも以上に輝かせるのだ。 てふてふとなり驚いてゐるらしき この句は不思議な句である。わたしも好きな句だ。初蝶の初々しさが言いとめられている。一瞬の初蝶の姿をいいとめた、それだけのこと。ここにいろんな解釈をほどこすと、なんだか手垢がつきそうである。それに野暮だ。見ているとどんどん好きになってくる一句である。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 前句集『風』に響き合うように、というのが高畑浩平さんのご希望だった。 グラシンという薄紙をまいているのですこし霞がかかったようになっているが、それも悪くない。 文己さんがもつとこんなに小さな書物である。 小さな一冊であるが、グラシンを巻くことによって瀟洒で格のある本が出来上がった。 飯田龍太を敬慕しその師系につらなる俳人・高畑浩平の清澄な作品集である。 水仙にしぶきを上げてつぎの波 この一句も好きである。「つぎの波」がいい。波間の富士ならぬ波間の水仙のように、波が緊迫感をもっておおきくクローズアップされる。まさに眼前の景である。葉先のとがった水仙に波がとびつく。目の景以外なにも言っていない、こういう句好きだな。春の訪れが近いながらもまだ氷のような冷たさをも感じる一句だ。 読売新聞の長谷川櫂さんによる本日の「四季」に、山中正己句集『静かな時間』の一句が紹介されている。 上等なパナマがひとつ椅子の上 山中正己 ここにあるのは柔らかで涼しげなパナマ帽である。きっと大事にしているものにちがいない。持ち主が席についたとき、空いている椅子の上に置いた。そのそっと置いた感触が、いまも帽子のまわりに漂っている。句集『静かな時間』から。 おなじく山中正己句集『静かな時間』が、関悦史さんによる週刊俳句「水曜日の一句」で紹介されている。 夢精てふ言葉は美しき桃の花 山中正巳 夢精という現象が、ではない。言葉「は」である。 この語が何を指すかを知らなかったとして、その内容を想像し、夢の精と取った場合、たしかにファンタジー的な美しさを持った言葉と捉え得るだろう。 ただしこの句は、ひるがえってその実態の汚さを皮肉に笑うことが主眼といった作りにはなっていない。「桃の花」が情調を決めており、その桃色が句の方向を夢精自体から逸らし、くつろげさせ、夢精ひいては生そのものまでをも桃源郷的な華やかな明るさに染め上げていくからである。 つづきを読む→週刊俳句「水曜日の一句」 そして「船団の今日の一句」の5月13日で、坪内稔典さんがやはり山中正己句集『静かな時間』を紹介しておられる。 玉子かけご飯が好きで風薫る 山中正己 句集『静かな時間』(ふらんす堂)から。「ぜいたくは素敵だ千疋屋のメロン」という作も句集にあるが、玉子かけご飯も千疋屋の高級メロンも同格であるところがこの句集の見どころ。作者は1937年生まれ。楠本憲吉に師事した。現在は「野の会」「船団の会」などに属して活動する東京の人。 実を言うとわたしは「玉子かけご飯」が苦手である。 黄味がどうも生臭いのである。 だから、玉子かけご飯は多分21世紀になってから食べていない。 このことは「玉子」に内緒にしておいて。。。
by fragie777
| 2017-05-15 21:00
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