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5月13日(土) 旧暦4月18日
雨がたっぷりと降る朝がはじまった。 青葉雨という美しい季語があることを思いだした。 二階の寝室の窓をあけると山法師が咲いていた。 この花も愛おしい花である。 二階の窓から手をのばせば触れる近さである。 私のひどい寝姿をきっと知っていると思う。この山法師の花は。。。。 えごの花、山法師の花、あおはだの花、令法とわが家には山の木が所狭しと植えられている。 それらが花をつけていくときが一年でいちばん美しい季節かもしれない。 今日も新刊紹介をしたい。 前句集『天使の涎』(邑書林刊)で、第7回田中裕明賞を受賞した北大路翼(きたおおじ・つばさ)さんの第2句集となる。『天使の涎』以降の2015年から2016年の二年間の作品を収録。一頁10句組で200頁ほどの句集であるからその収録句数の多さは推して知るべしである。多作な作家なのだ。 カバーを飾るインパクトのある装画は、柏原晋平。若き実力派アーティストである。京都・本能寺への襖絵を大胆な日本画で描き、その奉納のドキュメンタリーをわたしは見たことがある。 装画は柏原晋平氏にお願ひした。彼も僕と同じ歳。四十代を迎へる孤独と絶望を共有できる数少ない友人である。今回は個展前の忙しい時期に無理を言うて描き下ろしでカバー画を描いていただいた。 「あとがき」の言葉である。北大路さんとおなじ歳であり、「孤独と絶望を共有できる数少ない友人」と、書かれていて、いやはやなんとカッコいいことよ、 帯に言葉を寄せられたのは、二村ヒトシ。AV監督にして実業家とある。 「翼の句、歌舞伎町には モテている。」 ふ~む。 帯をいただいた二村ヒトシ氏にも、心からの感謝を捧げたい。実のことをいふと「屍派」結成時に一番最初に反応してくれたのが、彼であつた。対抗して「クリトリ派」を立ち上げてくれて、飲み屋で大いに盛り上がつたことが懐かしい。変はらぬご交友を願ふ。 「あとがき」にある。 この句集の担当はPさん。 Pさんはたくさんの句を抄出した。(と言っても収録句数が多いから割合としては少ないかもしれない) ★印はとくに好きな句であるということだ。 体温を詰め込み電車あたたまる ★足跡を踏みゆく遊び冬帽子 湯気の立つものが食べたしビニル傘 二股やインフルエンザ流行す 一月の背骨一本頼りなし たくさんの春がつまつてゐる枕 男はつらいよ春の土手長いよ 熱湯をくぐりし海苔の明るくて 酒抜けぬふらつき梅の芽つんつんと 春の日をいただきながら記者進む どこにでも恋のきつかけ春セーター ★コウジエンブルーと名づけ春帽子 二・二六吊革が掴めない ★ありえないレベルで雛祭が進化 指名用写真が遺影朧月 内定が決まつたあともよく笑ふ ★好きな人と同じ病気や春の昼 ★抱きしめるたびに男になる弥生 下萌や涎光らせ犬戻る ★新緑の靴紐結ぶ段差かな 吐きたくない本人と吐かれたくない白詰草 ★重力に色を抜かれて藤枯るる てのひらで試す蠅叩きの威力 街灯に目が慣れ月が遠くなる ★鮟鱇の重さで二日酔ひが来る 揃ひたる上下の下着淑気満つ 一冬を寝てゐたやうな服の皺 袖口に附箋をつけて春の昼 ミニスカートでボート漕ぐ人ありがたう ★一匹でゐるのは酔うてゐる蛍 冷やし中華始めました恋終はりました ★繰り返すこと美しき晩夏かな 憧れはモノクロの世や柿の白 ★切つてある柿なら食べるから切つて 焼き芋を食ふ彼の指彼の口 カーテンに冬が来てゐる好きな歌 鋤焼の肉の疲れて鍋の底 海鼠の酢体の悪いとこ通る ★日向ぼこぼこぼこ圧倒的黄色 切つてある柿なら食べるから切つて この句に出会った時、Pさんはゲラゲラと笑い出した。「これってまったくわたしとおんなじ」と。つまり、彼女は果物を切って出されてはじめて手を出すというタイプ(?)の人間なので、えらくこの句に共感したらしい。この句、「切つて」が頭と後におかれ、カ行の韻も踏んでいて北大路さんのレトリックの巧みさがわかる句である。一度聞いたら忘れられないような口誦性もあってあなどれない一句だと思う。 同じようなレトリックの句で、 手袋の手が手袋の手をさする わたしはこの句が好きである。いろいろな場面を想起できるし、読者は勝手に好きなようにここから物語を組み立てていいのだと思う。わたしは、北大路さんが標榜するエロはあんまり得意分野じゃないので(ということにしておくわ)、この手袋の主は二人の老いた人間を想像した。素手じゃないからこそのぬくもり、手袋をした人間の手が手袋をした人間の手に触れて温かさが二乗になる。しかも「さする」である。やさしくいたわった行為だ。しみじみとした温もりが伝わってくる。いやいや、もっと淫靡な場面を想定したっていいのであるから、お好きなようにどうぞ。 本書は作品の多さにもかかわらずどんどん読める。一挙に読めてしまうと言ってもいい。それは北大路翼という俳人のエンターテインメント性によって編集された世界だからだ。息をはくごとに一句つくるような旺盛な作句力、つぎつぎと生み出された作品を自身のしたたかな編集魂によってひとつの世界へと作りあげていく。新宿も歌舞伎町も絶望も孤独もエロもタナトスも彼の表現のためのツールかもしれない。弱者への連帯もまた、彼のアイデンティティを獲得するためのツールかも、と言ったら北大路さんは怒るかな。。要は五七五で表現したい主体があって、その飽くことなき表現への欲望がすごいとわたしは思うのだ。歌舞伎町という坩堝にエロもグロも清楚も可憐も虚無も崇拝もなにもかも放り込んで、俳句の言葉をたちのぼらせたいのだ。己の魂と身体を削るようにして俳句をつくる。その言葉をどれだけ遠くまで飛ばせるか。北大路さんにとってそれが問題なのだ。 『天使の涎』から二年が経つた。 たつた二年と思ふ方もをられるだらうが、そのたつた二年の間をどれほど大事に過ごせたのか。忸怩たる思ひが捨てきれない。 今年は僕の三十代最後の一年である。八十歳まで生きるとしても人生の半分が過ぎたことになる。もつともこの調子だと健康でゐられるのはさう長くないだらうから、勝負できるのはあと十年もない。競馬でいふ最後の直線だ。府中の長い坂を登り切ることはできるのだらうか。 いま僕は焦つてゐる。 時の流れに抗ひきれないことに恐怖すら感じる。新宿の根城を砂の城と名づけたのも、さらさらと崩れていく時間を砂に准へたのが由。焦るほど、傷口は広がつてゆく。瘡蓋といふのはせめての強がりである。 「寸感」と書かれたあとがきを紹介した。 本書の装丁は和兎さん。 北大路さんの希望のピンクを強調したものとなった。 表紙もショッキングピンクで。 ここにサインをされるということゆえに。 扉。 写真と散文が効果的に用いられて、ここにもまた北大路翼の才能のきらめきがある。 帯の真ん中ほどにある小さな活字の帯文がいい。 かたっぱしから口説くが如く、 どんどん句を作る。 歩いて、すれちがっても作る。 酔っていても作る。 夜だけでなく、昼も作る。 朝は寝ている。 寝ていても作る。 口説いたらやれる率けっこう高い。 これってまさに北大路翼さんだと思った。これは才能というしかない。 ボジョレーヌーボー両親が日本人 この句、なんというか訳わかんないというか、上七と中五以下がなんの関わりがあるのかと思うのだけど、このすっとぼけたノンシャランとした一句にやられてしまった。面白いんじゃない。他の人はどう思うのかな。。。。 白菜をざくざく切つて死は甘美 これは好きな一句である。調子の良さだけで出来上がった句であるかもしれない。「死は甘美」って言ったってあなた、死んだこともないのに分かってるの、と言いいたくなるのだが、「死は甘美」というまことしやかなフレーズ(でも好き)をちょっと茶化しているのかもしれない。 今日も午前中からほとんど仕事場ですごす。 もう雨は止んだのだろうか。。。。
by fragie777
| 2017-05-13 20:22
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