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5月9日(火) 旧暦4月14日
今朝わたしは、出かける前に上に着る黒のTシャツをなんと三度も取り替えた。 あんまり言いたくないが、わたしの三段腹を隠すためにである。(凄いの) 三度目にしてようやくと言っても、いやいや角度をかえれば隠しようもないのであるが、時間切れとなったのだった。 このところ三日間外食がつづいたせいか、二㎏も太ったことを今朝体重計の上で知ったのだった。 薄着になる季節、この見事なお腹をなんとかしなくては。。。。。 「昴」6月号が届く。 本年度の詩歌文学館賞の発表がされている。 ふらんす堂刊行の後藤比奈夫句集『白寿』が俳句部門での受賞となった。 後藤夜半そっくりである。 最初は夜半だって思い、ああ、比奈夫先生だって思ったのだった。 (わたしは夜半に直接会ったことはないが、残された写真がちょうどこういうお顔をされている。) 掲載記事を拝見したことをさっそく比奈夫先生にお知らせすべく、お電話をした。 いらっしゃらない。。。 ……… どうされたのだろう。 午後ふたたび電話をする。 やはりいらっしゃらにない。 ……、ご入院でもされておられるのだろうか。 かなり不安になった。 夕方またしてみようと、電話を切った。 すると午後三時が過ぎた頃、比奈夫先生からお電話をいただいた。 「比奈夫先生! いらっしゃらないので心配をしておりました」 「いやね、実は緊急入院して今退院してきたところなんです」といつもどおり優しいお声である。 「連休の前に胸がいたくなって入院して、いろいろと調べたのですがとくに心臓は大丈夫のようで退院してきまいした」ということである。 「ああ、そうだったのですか。良かったです。お声が聞けて本当に安心しました」 強い生命力をお持ちの比奈夫先生である。 ご無理をなさらずに、ますます自在に俳句を作られていって欲しいと思う。 さて、新刊紹介をしたい。 私家版であり、ご本人も希望もあってオンラインショップにはのっていない。 渡邉喬子句集『星の雫(ほしのしずく)』。 四六判ハードカバー装。 著者の渡邉喬子(わたなべ・きょうこ)さんは、1944年熊本生まれ、東京・府中市在住。1985年に俳句の通信講座を通して俳句を始める。2015年「ますみ俳句会」「府中中央俳句会」入会、2010年「やまざくら俳句会」入会するも2013年終会、2015年「仙川句会」に入会され現在に至る。本句集は昭和60年(1985)から平成28年(2016)までの作品を収録、序文は「ますみ俳句会」にて指導をされている成田清子さん、跋文は「府中中央俳句会」の句友の寺田明紀さんが寄せている。 渡邉喬子さんとの初めての出会いは、かなり以前のことになりますが、横浜の「ますみ俳句会」でした。この会は神奈川県立横浜平沼高校の同窓俳句会で、喬子さんとは先輩、後輩の間柄でした。その時の喬子さんはグリーンのスーツを気持よく着こなしてとても淑やかだった記憶があります。 成田清子さんの序文の書き出しである。成田さんはやさしい眼差しで渡邉喬子さんを見つめ、細やかな心配りをなさりながら指導をされている。成田さんが序文で鑑賞されている句を数句選んで紹介したい。 読み聞かすアンデルセンの雪夜かな テーブルを大きく使ひ夏休み 雪ふれば雪の明るさ子の瞳 校庭の兎抱き合ひ卒業す ビアホール覗けば夫のゐるやうな 砂糖黍畑や基地のうす埃 (沖縄) ひとことを悔ゆる一日や花木槿 冬の雨いのちの音を潜ませて 乳ふふむ嬰身じろがず稲光 さくらんぼ墨ふつくらと児の手形 成田清子さんは、渡邉さんの作品のもっている瑞瑞しい叙情性と透明感に触れ、その眼差しの温かさについて語っておられる。そして、 最後に私の一番好きな一句をのせて、結びにさせていただきます。この句はこれからの喬子さんが目指される境地を予感させるとてもいい句だと思います。 天に星地に十薬の白さかな ああ、良い句だなあ。「十薬の白さ」が空の星と呼応して美しい世界を作りあげている。「天に星」の措辞がいいのかなあ、天と地に充ちた光に身体を照らされているような、清浄な空気があたりを支配している。 跋文の寺田明紀さんは、句友としてこの度の句集の上梓を心より喜んでおられる。 喬子さん句集の完成、真におめでとうございます。 喬子さんが日常の生活、育児から現在に至る様々な事柄に、常に俳句と向き合い、真摯に取り組んでこられたことが読みとられ深く感銘を受けました。素晴らしい句集になりましたね。 と書かれ、渡邉喬子さんと句座をともにできる喜びを語っておられる。 本句集の担当は、Pさん。 テーブルを大きく使ひ夏休み 雪ふれば雪の明るさ子の瞳 ドストエフスキー読む枯芝の温みかな わが足のいよよ母似の柚子湯かな 喪に籠る日々に数増す冬木の芽 新米の一粒づつの光かな 母の忌やいちばん赤き柿を捥ぐ 路地裏に風のつまづく蜘蛛の網 ときめきは不整脈とも蜜柑食ぶ 新涼の水に添ひゆく試歩の杖 はるかなるものを呼びつつかなかなかな 色鳥も来よ針箱に糸の山 「テーブルを大きく使ひ夏休み」の句は、成田清子さんもPさんもあげているがわたしも好きな一句である。とても夏休みらしい。夏休みを満喫している子どもの姿も見えて来る。作者の童心も感じさせる一句だ。 俳句は私の日々の記録です。後から読み返すとその場面が目の前に蘇ってくる様です。(略) 今、私が育って実家のある横浜、すでに四十年以上も住んでいる府中、結婚当初を過ごした仙川の地で俳句を楽しんでいます。若い時の文学への興味が俳句につながって何よりも嬉しい思いです。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 著者の渡邉喬子さんのイメージをできるだけ再現してもらうものとなった。 タイトルは「星の雫」。集中にある一句からのタイトルである。 満天の星の雫や梅を干す 表紙は淡いブルー。 金とブルーがテーマ色である。 「星の雫」という句集名をもった句集が神秘的な佇まいのもとに出来上がった。 昨日、渡邉喬子さんは、わざわざご来社下さって句集上梓の喜びを伝えてくださった。 ドストエフスキー読む枯芝の温みかな この句、Pさんも選んでいた一句。「ドストエフスキー」と「枯芝の温み」が面白い。ドストエフスキーは、人気あるロシアの作家でわたしもいっときあの素晴らしい(?)長編を何度も何度も夢中になって読み、夜昼もなかった少女時代があった。ちょっと中毒になる作家だ。19世紀的命題「神はいるか」と念頭に、人間心理に深く分け入り人間の醜悪さと高貴さに迫り、魂の救済を渇望しつつ悪魔の不敵な笑いにも迫る、そんな世界をめくるめくような文体で展開していく、と言ってもわたしは日本語で読んだのだが、なんというかかなり見方によってはヤバイ小説であるとわたしは思っている。この一句、「枯芝の温み」がなんとなくドストエフスキーの小説の批評ともなっているように思えておかしいのだ。ドストエフスキーの灰汁のつよい世界を枯芝の温みでちょっと骨抜きにしてしまう、そんな風にわたしは読んで面白かった。この本を読んでいるのが少女だったりしたらなおさらいいな、って意味もなく思っている。 このブログの冒頭で、三日間、外食が続いたと書いたが、三日目の昨夜は実はPさんと編集会議だった。 何についてかというと、 「田中裕明賞」について、とくに冊子「田中裕明賞」についてである。 その結果、「そうしよう」ということになったことがある。 ちょっと思わせぶりになってしまうが、今日はもう疲れたので、明日このつづきを書きたいと思う。 断っておくが、これまでの「田中裕明賞」に問題があるということでは決してない。 とくに選考委員の方々のご尽力には感謝申し上げるばかりである。 「田中裕明賞」をより開かれた魅力あるものにしていきたいと思っているのデス。
by fragie777
| 2017-05-09 21:39
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