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5月2日(火)八十八夜 旧暦4月7日
雨に濡れた碇草。 休み前のふらんす堂は殺気だっている。 やらなくてはならないことが山積みだ。 しかし、明日からは連休にはいる。 焦っているのだろうか。 銀行に行き、両替機の前に並んだ。 やっとわたしの番だ。 一歩前にふみだしたところ、うしろの女性から 「お金を落としましたよ」っていう声。 みると1000円札が落ちている。 「あらま、有り難う」と拾って、 両替機にカードを差し込んだところ、また、うしろの女性から 「また、また落としましたよ」という声。 みると1000札が足元にひらりと落ちている。 「まあ、有り難うございます」と女性をみるとすこし呆れたような顔。 再び1000円札を拾いながら、 yamaoka とても恥ずかしゅうございました。 新刊句集を紹介したい。 俳人・小町圭(こまち・けい)の精選句集である。小町圭は、1938年横浜生まれ、横浜市在住。巻末の年譜によると俳句を始められたのは1975年頃でご近所の句会や新聞欄への投句などで10年ほど楽しむ。1987年に俳誌「風鈴」(故青木千秋主宰)に入会、このころから現代俳句を意識するようになり、1995年「現代俳句協会」に入会、同人誌「ぽお」を経て2000年に「夢」に入会し前田吐実男の指導を受けるようになる。現在は「夢」を中心にいくつかの句会で俳句をつくる一方、吟行を主体とした会「パストラル」を始めたと年譜にある。本選集は、既刊句集『切株』『鬼は内』『一億円』より抄出した作品と『一億円』以後の作品をいれた380句の精選句集であある。ほかにエッセイと解説を収録し、解説は村井和一、前田吐実男、北迫正男、下川成、大井恒行によるものである。 おじいちゃんはとてもあたたかな切株 この句は1995年に現代俳句全国大会で、毎日新聞者賞を受賞されたものであり、小町圭さんの代表句ともなる一句である。いい句だ。第1句集を「切株」と名付けたのも、この句によるものだろう。 解説を書かれた各氏の評を少しずつ紹介しておきたい。 「その切株に坐るな」村井和一。 ぱっぷうぱっぷう雄太が羽化するよ 雑木山冬ホチキスが忙しい 三寒四温上り電車が草っぽい 四十一体目腹痛の案山子 啓蟄やみんな睫毛をつけて来る さくらんぼ議論の外へ種を吐く 小町圭の方法的実験を不毛と見る向きもあるだろう。俳句がたえず正統であり続けることの退屈を作者は知ってしまったのだ。 「序に代えて」前田吐実男 句集『鬼は内』序 小町圭さんの個性は知の作家と認識している。知性のおもむくままに自由奔放に俳句を創り出す。あまりにも自由奔放なので、はらはらさせられるのだが、知性の若さとはそういうものである。だから作品が新鮮で、取れたての魚のように、いつもぴちぴちとしていて生きがよい。そして飛びっ切り面白い。 鬼は内福は内九十二歳 天高く九十六歳馬券買う 孔雀に羽広げられても困るなり あふれる湯二人で入れば柚子が邪魔 風邪を引く閑あり金が少し有り 蓑虫に意見しておりホームレス 人妻に守宮が全裸晒すなり 「虚構の中に真実が見える」北迫正男 句集『一億円』評 全編スリルと驚きを満載。シャイにして大胆。過去の形式に拘らない発想の自由さに満ち溢れています。甘口辛口醤油味。何れもサービス精神の現れです。 大滝の猛烈射精おぼろの夜 これがそのハンカチの木の生殖器 谷間から谷間へ遊ぶ紋白蝶 秘仏ならひとりで見たし実むらさき 銀杏を拾う女と見る阿呆 「俳句の理不尽さ」八木忠栄 句集『一億円』評 自句自解など不要、勝手に愉しみ戯れたい俳句の山である。たっぷり愉しんで率直に乾いた笑声をあげよう。この一億円という値段のなかには、「悪戯っ児と同じ遊び心」(前田吐実男)がたっぷり詰まっている。お茶目でドライな精神が、遊び心の声をあげて躍っているようだ。 一億円金魚を作ろうと思う 啓蟄や大きな皿を用意せよ 秋の山そろそろ猿に戻るかな 亀が鳴く千葉でカステラ採れるって 「『鬼は内』を読んで」6年1組下川成(なる) 著者のお孫さんも文章を寄せている。気に入った句を二句紹介している。 俳句は、五七五というとても短い文です。その中には、季語や情景が浮かぶような言葉を使って、作者の想いを表しています。祖母は、気がついた時にすぐに俳句帳に書いています。曾おじいちゃんのお葬式の時にも書いていました。私も六年生になって春と移動教室の時に俳句を作りました。季語がなかなか出ず、又いい喩えとしようとばかり考えていたので、難しく考えすぎてしまいました。 組み体操 てっぺんは 野ねずみ 天高く 九十六歳 馬券買う 「俳句の花」大井恒行 苦瓜を食べてしまうましまうまし 雪女お尻にプラと書いてある みかん金色持って行きなと手に落ちぬ 秋思ふとわいわい石棺撫でもして とりとめもなくとりあえずあれはせきれい 小町圭にはいささかの覚悟が窺われる。それは、いわゆる俳句の王道のように書くのではない。通俗と紙一重のところでのせめぎ合いを恐れずに、これまで流布されてきた俳句とは違う、少しでも新しみのある俳句を書こう、詠もうとしているのである。それこそが現代俳句の在り様だと信じているのである。古人曰く、「新しみは俳諧の花也」と。しかも「新しみはつねに責むるがゆゑに」ともいい、その道は困難な道行でもある。思えば千差万別、俳句を極めて行くにはさまざまな道がある。それにしても、小町圭はつくづく難しい道を選んで歩んでいるのではないかと思う。 こうした様々な試みのある、かつ困難な道行に奮闘した小町圭のおおよその来し方の句業が一望できる本選集の刊行は、まことに現代俳句の一角に咲いている花として、その姿を顕わしているはずである。読者はそれらの事々を目にし、楽しむことができるだろう。 この選集のために書き下ろされた大井恒行さんの一文は、小町圭の俳句に向き合う方法と覚悟をよく言い得ていると思う。「通俗と紙一重のところでのせめぎ合いを恐れずに」俳句の新しさを求めて書く道は「つくづく難しい道」であり、小町圭はその道を選んでいると。大井恒行さんは小町圭の良き理解者だ。 金色に枯れたものから箱にしまおう 花前線ただいまくわんおんの頭上闇ざわざわ百足と息が合ってしまう 嗅覚のところどころが蝗なり 朝だか昼だか六月の蝶交る がらんと八月しまうまの思索の目 溜まった時間がいちめんのいぬふぐり 四月一日そうっと開封する いちにちの冷え抱え込む深夜バス 動くもの沖ゆく船と膝の蟻 ドドンコドンドン夕焼けのマンドリル バウムクーヘン春風何枚伸ばしたら 真新しい春だそっと手を通す パワーシャベルぐるっと回って立春 声がでかくて萍に囲まれる 金木犀歯車きげんよく回る 担当のPさんによる選集よりの紹介句である。 「読んでて楽しい句がたくさんありました」とPさん。 本集は、三句集の抄出句と以後の作品からの抄出句を収めたものです。 七十代も後半に入り、最後の句集は、大井恒行氏にお世話になりました。氏は、「針は今夜かがやくことがあるだろうか」の作者です。自分にはとても手の届かない作品です。これも俳句なのだ、ずしんときました。大井氏には解説文を頂きました。 『切株』は村井和一氏、『鬼は内』は前田吐実男氏、及び下川 成、『一億円』は八木忠栄氏及び北迫正男氏の各解説文を転載させて頂きました。 なお、集中に、歴史的仮名遣いにした句が二、三あります。又、解説文は、各執筆下さった方々の意向を尊重してそのまま収録させていただいています。 四十年の間、多くの方々のご教示を受け感謝申しあげます。 四百句足らずの収録句、ペーパーバックで、小さな句集なら読み易いと考えました。圭選集、寝っ転がって読んで頂けたら幸いです。 「あとがき」を紹介した。 40年間の句歴とあるが、なんとも若々しい句を書く方である、と改めて思ったのだった。 この本の装丁は和兎さん。 美しい一冊となった。 素足にてゴリラの弟子にしてもらう 涼しくて淋しい夫婦別姓 ほかにも好きな句はあるが、(なんといっても「切株」の句は一番好きかも)今回はこの二句を選んでみた。「ゴリラ」の句は、小町圭さんが素手で世界に立ち向かう、人間世界のヒエラルキーなど裸足でぶっとばして、存在するものの確かさに向き合う、そんなラディカルなありようがみえる一句だ。そのラディカルさは俳句に向き合うときもそうだと思う。 「夫婦別姓」というのはあたらしい夫婦の在り方だ。その在り方を「涼しく」て「さびしい」と見抜いた目がある。「涼しい」という季語がいい。これってよくわかる。「夫婦別姓」を獲得したことによる夫婦関係における微妙な温度の変化あるいはやや複雑な心情、言葉では言い表しがたい、その温度差を言い得たとおもう。
by fragie777
| 2017-05-02 20:27
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Comments(2)
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しなだしん
at 2017-05-03 18:01
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山岡さん、しなだです。
こちらから失礼します。 お葉書、ありがとうございました。 ご心配いただき、恐縮です。 腰椎ヘルニアから左脚が動かない状態です。 たぶん、あと1週間~10日程度で何とかなるような気がします。 御礼まで。
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fragie777 at 2017-05-03 22:37
しなだしんさま
大変でしたね。 どうされたのかと心配をいたしました。 じっくりとお直しされた方がよろしいと思います。 くれぐれもご無理をされませんように。 ご快癒をお祈り申し上げております。 (yamaoka)
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