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4月28日(金) 旧暦4月3日
夕方、コンビニに飲み物を買いに行ったついでに仰ぎ見る。 ふらんす堂とともに頑張ってきた印刷機の OKI マイクロラインがとうとう壊れてしまった。 もう何度も修理をしスタッフの緑さんが大事に大事に使ってきたものである。 印刷業界では、OKI マイクロラインといえば知らない人がいないくらいその仕上がりの美しさでは定評があった。しかし、業界的には複合機に押され気味の昨今である。 20年以上ふらんす堂はOKI マイクロラインとともにあったと言っても過言ではない。 今日はそのOKI マイクロラインとお別れをする日である。 働いてきた OKI マイクロライン。 かつてはふらんす堂の心臓部だった。 わたしは、このマイクロラインにそっと触れながら「今までご苦労様、そして有り難う」と心の中で呟いたのだった。 マイクロラインは、わたしの言葉を理解したかのようにカタッと音を立てた。 (ということは残念ながらなかったけれど……) 向こうにある複合機の補佐的役割としてやってきたのである。 これからガンガン働いてもらいましょ。 新刊紹介をしたい。 著者の小笠原眞さんは、1956年青森県十和田市生まれ、十和田市在住の詩人である。本詩集は第5詩集となる。 第2詩集『あいうえお氏ノ徘徊』(2002年刊)では、第24回青森県詩人連盟賞を受賞、第4詩集『極楽とんぼのバラード』(2008年刊)では、十和田市文化奨励賞を受賞、詩人論『詩人のポケット』(2014年刊)では、青森県文芸賞を受賞、本書は朝日新聞紙上の読書欄の「著者に会いたい」で紹介され、わたしもはじめて詩人のお顔を拝見したのであった。小笠原さんは、耳鼻咽喉科のお医者さまでもある。詩の作品には医師としての体験から生み出されたものもあるが、それのみならず多くは生活を基板にして書かれたものだ。 日常のことを詩に書いて、それが面白い作品になることが、目下のぼくの目指すところである。それが淋しさであれ、ユーモアであれ、驚きであれ、読み手の心に何かしらの化学反応を起こすことができれば本望なのである。詩的リズムがその反応を、共振し増幅してくれればなお嬉しい。 「あとがき」の言葉である。 本詩集のタイトルは「父の配慮」。 亡くなるまでの16年間をともに暮らしたお父さまのことを詠まれた作品が少なからずある。 タイトルとなった作品も収録されているが、ここでは、別の作品を紹介したい。 父は身一つで 父は亡くなる数年前から 少しずつ身辺整理をしだした もともと整理整頓の 得意な父ではなかったが コツコツと身の回りのものを棄てていった 書籍から書類そして親書まで 思い出までもどんどんと棄てていった 生地の切れ端の一片でさえ 棄てることのできなかった母とは対照的に 鮮やかに気持ちがよいくらいに棄てていった それは諦念なのだろうか 悟りなのだろうか 未練などないのだろうか 亡くなる一か月前には もう着ることも無いからと 今まで着ていたコートや背広やら なんとベルトまで棄て始めたのだ きっと 身一つで 旅立とうと思ったのだろう 父は どんどん生まれたばかりの 何も持たない人に戻ろうとしている 言葉のない世界に戻ろうとしている あの世に行ったとき それじゃ あんまりかわいそうだと 妻は 棺桶に入れる品々を 父に確認しだした 時計 父は首を横に振る 文庫本 父は首を縦に振る 薬 父は首を横に振る 眼鏡 父は首を縦に振る 万年筆 父は首を横に振る 入れ歯 父は首を縦に振る 父は ゆっくりと首を振る どうやら 妻の声は聞こえるらしい どうやら あの世でも 好きな読書は続けたいのだ なんと、小笠原眞さんのふらんす堂より刊行された是までの詩集4冊と詩論1冊すべてが君嶋さんの装釘である。 今度の装画は、なぜか猿。 担当の文己さんが、「小笠原さん、申年生まれなんだそうです」ということ。 そうか、小笠原さんは今年60歳の還暦を迎えられ、今年は申年、年男でもある。 記念すべき年であり、猿なのだ。 文己さんが好きだという詩を紹介したい。 犬猿の仲 ぼくは申年だから 猿知恵が働くのは当然のようで いつも小賢しいことを考えながら 目先のちょっとした幸せを 追い求めているような気がする それでいて臆病だから始末が悪い 父は寅年である いつもは借りてきた猫のように おとなしいのに怒ると怖い たまに咆哮するから威力があるのだ 母は酉年だった 直感が鋭い人であったが 三歩歩けば忘れるというのは本当だった 子どもの幸せを考えるありがたい人だった 長男は子年である 人一倍警戒心が強いのだが コツコツやりながら いつの間にか大成するタイプだ 次男は未年だ 誰からも好かれる好青年なのだが 見た目と違って意外と硬派 時々父も母もお手上げになる さてさてお次は妻なのだが 何と何と戌年なのだ 忠犬ハチ公の例が示すように 人を否猿を疑うことを全く知らない 若い頃は猿も悪事がばれて 時々噛まれもしたのだが 最近は老獪になったせいか 吠えられることさえ少なくなってきた いわゆる犬猿の仲であっても お互い静かな老後を夢見ているのだ 表紙にも猿がいる。 もう一篇、作品を紹介したい。 小笠原さんの詩は、人間の体温が伝わってくる詩である。 そして背後にいつも小さなドラマを秘めている。 盗み聞き 父は町の教育委員長をしていたから 我が家には学校の先生が たまに挨拶にみえることがあった ある日小学校の校長先生がいらして 長々と話をしていかれた ぼくはどうして先生が来られたのか 不思議に思って 何故かその時に限って 父の居間の横にある階段に 身を潜めて盗み聞きをしてしまった 延々と世間話をした後 ぼくら兄弟の話になって ぼくは緊張して 強く手を握りしめた 弟の方は活発で頭もよく 優秀なんだが 兄貴の方は いまいち覇気がなくていかん と校長先生がおっしゃった 先生に言われなくても 劣等感の塊であったぼくは 深くこうべを垂れるしかなかった 隠れてこそこそ聞いていること自体 とても恥ずかしいことであった 多少は父が 弁明してくれることを 願っていたのだろうか 否そんなことはないと 味方になってくれることを 期待していたのだろうか 先生の言葉に同調するだけの父に ぼくはがっかりしたのであった 母が亡くなって 実家で弟と飲み明かした時 その話を持ち出すと 高校受験の合格を報告した時 兄貴の時はあんなに喜んだのに ぼくの時は ああそう の一言だけだったと 弟は涙ながらに語った 磁石で言えば同極の 父との確執が弟にもあったのだと その時初めて知った 父との十六年に及ぶ同居は そんな確執を氷解するために 与えられた時間だったのだろうか もうあの当時のことを 父に聞くことはできないが 最後まで懸命に生きた 父を見送って 不思議に ぼくのわだかまりは 消えてしまっていた 人間が生きて行くことの悲しいまでの切なさをいささかのユーモアをこめて詩の作品に昇華させるのが、小笠原眞さんである。 この詩集は第六詩集となるが、何はともあれぼくらのことを永い間支えてくれた父に捧げたい。天国で、やっと俺のことを書いてくれたかと微笑んでくれたら、それはそれでぼくは満足である。 「あとがき」の言葉である。 今は亡きお父さまに捧げる詩集『父の配慮』なのだ。
by fragie777
| 2017-04-28 19:35
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