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4月25日(火) 霜止出苗(しもやんでなえいずる) 旧暦3月29日
名栗の山里ははくれんがまだきれいに咲いていた。 こんな色の白木蓮があったのかと。 わたしはそっと花びらの一枚を外側に折り返してその場を離れたのだった。 どうなったかな。 あの花びら。。。 数日前の明け方、重くれた気分で目覚めた。そしてふたたび眠った。 悲しい悲しい夢をみた。 かなりリアルな夢だった。 ああ、わたしこんなに悲しかったんだって、思ったら目が覚めた。 そして昨日、やはり重くれた気分で目覚めた。そしてふたたび眠った。 怒りが腹の底から突き上げてくるような夢をみた。 これもリアルな夢だった。 怒りの真っ只中で目が覚めた。ああ、夢だったのか。。。。 夢で自分の感情に気づくっていうこともあるのだろうか。 わたしはこんなにも悲しく、こんなにも許せなかったのか。。。 今度きっと二度寝をしたら、ゲラゲラと笑う自分に目覚めたいと思っているのだけど。 果たして。。。。 新刊紹介をしたい。 著者の木村日出夫(きむらひでお)さんは、昭和7年(1932)香川県高松市生まれで高松市にお住まいの俳人である。昭和35年(1960)に「萬緑」に入会し中村草田男に師事してより俳句を始める。昭和62年(1987)「未来図」入会。昭和63年(1988)毎日新聞香川県俳壇選者となる。平成4年(1992)「未来図賞」を受賞されている。現在は「未来図」同人。また地元の高松市にて文芸の育生につとめ、活躍をされている俳人である。本句集は第二句集となる。全体を四季別にわけて5句組にて1000句以上を収録している。「自序」があり、村山由斉さんによる「はじめに」がある。本句集はおもにお弟子さんである村山由斉さんのお母さまの正恵さまのご尽力によって刊行の実現となった。まず「自序」より紹介したい。 終戦も間近な昭和二十年、旧制中学一年生になった頃、疎開先での母の交通事故死、更に父の病気が重なり、六人兄弟の末っ子の私は、すでに独立していた末姉の家に寄寓の身となった。 当時は食糧難の時代でもあり、父母なき後の淋しさは格別なものであった。その頃、背戸の川面を彷徨(さまよう)椿の落花を見ては、その落花が殊のほかいとおしく、拙い詩を書いたりもした。 また、その後読んだ三木清のヒューマニズムにも惹かれつつ、色々と文学書を読みあさる中、すでに志学の齢も越した頃、当然のごとく邂逅したのが、中村草田男句集であった。 一読、その根底をながれる愛と祈りに深く感銘、また、ニーチェなどの西欧哲学の影響を受けた詩精神にも惹かれ、草田男俳句の虜となるには時間がかからなかった。 以上、少壮時の私の一端であるが、以下、草田男の数多い私の愛誦句の中から五句をここに抜粋した。 川波さへ強きにすぎて初野菊 草田男 ふる里の春暁にある厠かな 妹の嫁ぎて四月永かりき 子は唄ふ母の白足袋光るとき 泉辺のわれ等に遠く死は在(あ)れよ 村山由斉さんからの「はじめに」も紹介したい。 木村先生の俳句はそれぞれの景観を実にうまく思い浮かべさせてくれる。このこと自体が驚くべきであり、また賞賛されるべきなのであろう。さらに、分かりやすく優しく共感の世界へと誘うだけでなく、新たな世界を気づかせる。非常に難しいことと思うが、平易さの中にある奥深さは、決して奇をてらったものではなく、読み手に感動を与え、そしてそこからまた新たな一句を詠んでみようという意欲を駆り立ててくれる。 つかまへるごとくに千切り烏瓜 烏瓜の花を見た人はいるだろうか。夕暮から日没後に咲く花は人目に触れることも少ないが、晩秋に熟す朱色の実が枯れはじめた蔓にポツンとぶら下がった姿は誰の目にも鮮やかであろう。見つけた時の感動が人を動かす。「つかまへるごとくに千切り」、なんとも爽やかな動きのあるタペストリーではないか。 (略) この句集の俳句を一つ一つ嚙み締めることで、高松市に在住し、木村先生とともに俳句作りに専念してきた方々はもちろんのこと、多くの読者の方々も、さらに新たな俳句の世界へと導かれるはずである。 本句集には、数句ではあるが著者による自解の句がある。一句のみ紹介したい。 消えさうな小雲が一つ長崎忌 この句は、原爆投下による悲惨な事実を詠んだが、単なる傍観者的見地からの発想ではなく、高松大空襲という惨憺たる実体験を踏まえての、心底からの叫びの一句であることをまず伝えておく。 十五年戦争の末期(一九四五年八月九日)、長崎に原爆が投下されたが、その破壊的惨状の中を報道員が焼け死体をよけながら歩いていると、呻きつつ手を伸ばし「水をください、水を……」と言いながら事切れたという話を以前、本で読んだことがある。私はそれ以来毎年、八月になれば当時の凄惨さを思い「水を水を」の声を幾たびも想起して嗟嘆の念に駆られるのである。 掲句は、炎天に張り付くごとく浮かび、今にも消えそうな小さな雲と、当時の悲惨さとが重なり合い、畏くも咄嗟に出来た一句である。ここに私の鎮魂の一句として提出させて頂いた。 収録句より。 土の匂ひ母の匂ひの七日粥 晩年の身を弓なりに梅仰ぐ 京雛海の男に買はれけり 肉饅のうす皮めくる春の街 春風の灯台に似て耳若し いつの世も仰ぐ高さに桐の花 家一つに犬小屋一つ夏岬 アカシア散る人のいのちも斯く軽く 岬より岬見てをり夏帽子 疲れ鵜にべたべた水が貼りつきぬ 葉桜やいまさらさらと知命の血 フランネル草咲いて緻密にもの思ふ 汐にのる空瓶一つ牧水忌 秋風や目を見ひらきて魚乾く 秋遍路波引くごとく去りにけり 吹く風や秋より白き蕎麦の花 秋簾むかうに子規が寝て居さう 大寒や人に背骨といふ柱 降る雪のちちよははよと地へ急ぐ 冬滝と一対一に老詩人 仰ぐたび人は老いゆく寒桜 吊したる白足袋に日が廻りけり 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 文庫本サイズのなかなか渋い装釘である。 風合いのある紙をもちいたこの材質感が本に格をあたえている。 この用紙は見れば見るほどいい。と思う。 文庫本サイズであるゆえか、びっちり組まれていてもうるさく感じないのが不思議である。 すっきりした本になって「木村先生も大喜びです」と村山正恵さん。 村山正恵さんは、あとで知ったのであるがなんと90歳になられるという。 村山正恵さんがおられなかったら、この句集は世に出なかっただろう。 「先生の句集がこうして出来て、わたしたちもこの句集で勉強しようと思っているのです」と。 90歳の村山さんは、「今晩は仲間達とネット句会なんです」と。パソコンもじゃんじゃんおやりになるというのには、本当に驚いてしまった。 余生なほこのゆたかなる白息よ 木村日出夫 老いてなほこんな風に詠めるとは、よき人生をおくってこられたのだろうと思う。いい句だなあって思う。 ご自身の今をこのように肯うことができる、素晴らしいことではないか。なにが豊かかって「白息」なのである。こう吐いて吸う息である。それを豊かと思う余生のいま。豊かなのはその作者の「こころばえ」なのだと思う。
by fragie777
| 2017-04-25 19:20
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