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4月5日(水) 玄鳥至(つばめきたる) 旧暦3月9日
大きな柳を見上げた。 柳は春の季語。 今日は思いきってヒートテック下着をやめてみた。 温かくなりそうな気配。 そして、一日を過ごしてみたが、 わたしの両腕がしんしんと少し寒がった。 わたしのハートはヒートテックを欲していないが、わたしの両腕はヒートテックを欲していることが判明した一日となった。 明日は両腕のことをもっと考えてあげよう。 新刊紹介をしたい。 著者の藤森万里子(ふじもり・まりこ)さんは、昭和14年(1930)三重県名張市生まれ、昭和42年(1967)に「濱」入会、大野林火に師事、平成9年「アカシヤ」入会、松倉ゆずるに師事、平成12年「百鳥」入会、大串章に師事、現在は「百鳥」同人、平成17年に「百鳥」賞を受賞している。本句集は平成13年(2001)から平成28年(2016)までの作品を収録した第一句集である。序句を大串章主宰、跋文を句座をともにされている小田玲子さんが寄せている。 今年竹空をたのしみはじめけり 大串 章 春光に紐組む糸の色合はせ ひたすらに紐組み花の過ぎにけり 汗の手を清めて紐を組み始む 帰省して紐打つ音に目覚めたる 稲の花嫁入りの荷に紐の台 紐を組む合間秋刀魚を買ひに出る 月に座し新しき紐案じをり 平成十六年、「百鳥」創刊10周年記念コンクールには、百六十一編の作品が集まった。その中から万里子さんの作品「組紐」二十句が、最優秀賞の栄冠に輝いた。 受賞二十句のうちの四句がこの句集に収められている。これらの句には、家業の糸の色や組む音、織子さんや父の姿が詠み留められている。純真な子供の目に映った懐かしい光景を思い出し、一句一句丁寧に生き生きと描いている。 作品には、技巧は必要がないと思わせられるほど外連味がない。組紐という特異な句材を、万里子さんは当事者の視点で、力むことなく色付けすることなく描いた。万里子さんの体には今も組紐が染みついている。 中断しながらではあったが、万里子さんの五十年を超える句歴を考えると、この二十句には五十年の確かさが下支えをしているのだろう。 帰省子に力仕事を頼みけり 共に見しひとの逝きけり秋夕焼 秋刀魚焼き一人つきりの湯を沸かす 底冷えや遺品の時計動きゐて 着る人のなきセーターをたたみをり 何かしてをらねば淋し去年今年 子に支へらるる日日なり二月尽 夫逝きて湯たんぽ一つ残りけり 寒卵母を労る子となりぬ 「遺品の時計」、それは夫の腕時計である。裏面に平成三年と刻まれていて、今も正確に時を刻んでいるその腕時計は、会社から贈られたペアウオッチであり夫婦で愛用していた。主を失っても狂いなく動いている時計に、万里子さんは改めて残された身を実感したのではないか。季語の「底冷え」に万里子さんの気持ちが表れていて、私もしんみりとしてしまった。 全てをモノに託して、感情を押し殺したようなこの句からは、逆に万里子さんの心情が溢れ出ている。(略) 誰からも愛される万里子さんの円満な人柄は、家族のみならず、私たち仲間をほんわかした気分にしてくれる。今、三人の子供に見守られながら、自立した日々を過ごしている万里子さん。その穏やかな暮しが一日でも長く続くことを心から願っている。 小田玲子さんの懇切なる跋文の一部のみ紹介した。 短日の母子並びてよく眠る 生まれたる日に印あり古暦吾が歳の母を知らざり初鏡 朝顔の鉢を残して転校す 地下鉄に並びて座る祭髪 北窓を開けカーテンを膨らます しぐるるやふるさとの山やはらかき 帯締の紅きを選ぶ初句会 若者は若き音たて餅を搗く 父の日や生まれし日より父似なる 香水をつけて何処へも行かざる日 戸を少し開けて商ふ余寒かな 羅や帯解きてより力抜け 担当のPさんの好きな句をあげてもらった。「初鏡」の句は、句集の表題ともなった一句だ。跋文によると著者の藤森さんは13歳のときにお母さまを亡くしておられる。新しい年をむかえるたびにひとつ歳をとっていく。鏡にうつった我が顔をながめ、若かった母の面影がクローズアップして、その母の歳と新しい年をむかえるごとに離れていく自分がいる。この「初鏡」の背後には幾層もの時間の堆積があるが、「初鏡」であることによって、その感慨が手垢のつかない感慨となった。つねに著者は新しい気持でその感慨に浸るのだ。 『初鏡』は私の第一句集です。「百鳥」の平成十二年から二十八年までに掲載された作品の中から三百五十句を収めました。句集名は集中の次の一句より付けました。 吾が歳の母を知らざり初鏡 私の生母は若くして亡くなりました。私は生母の倍以上も生きていますが、いまだに母が生きていたら……と思う時があります。 家業の組紐業を継いだ父は、七十七歳で亡くなりましたが、家業のかたわら、よく詩や俳句を作っていました。長女の私はいつもそばにいて、滑稽味のある父の俳句に自然に親しんでいました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。藤森万里子さんが俳句を作るようになることは、十分な素地があったのである。「あとがき」もまた丁寧に俳句を中心としたご自身の来し方に触れておられる。ご主人のこと、出会い、教師を辞められたこと、育児と家事があり何度ものご主人の転勤があり引っ越しを繰り返されたこと等々、そのような日々の暮らしのなかで俳句を手放さず今日まで来られたこと、その俳句との日々がこうして第一句集『初鏡』となって結実したのである。 これからは、しなやかに、のびのびと俳句を楽しんでゆけたらと願っています。 最後に、この句集を亡き父と夫に捧げます。 「あとがき」こう結ばれている。 ほかに、 花嫁の母となる足袋買ひにけり 浴衣着て浴衣売り場に立ちにけり 朝顔や猫つぎつぎと出てきたる 蛍火の向かうに母の在るごとし 夫よりも嵩の増えたる賀状かな 草餅や水の音する門前町 ふらここや決断を迫られてをり 受けて立つ他なし髪を洗ひけり ランドセルきれいに使ひ卒業す 冬たんぽぽ一人の暮し始まりぬ 遺されし一人の月日鳳仙花 新装の店は古着屋山笑ふ 本句集の装釘は和兎さん。 であるが、本句集の装釘の魅力はなんといっても、装画にある。 この絵を描かれたのは、藤森さんの姪御さんで画家の黒木美希さんである。 この絵をいかに効果的に活かすか、それがすべてだった。 表と背のローマ字のみ赤をおく。 帯の文字も赤にした。 そして赤メタルの箔をもちいた。 カバーに配した赤と表紙の箔の赤。 扉は光沢のある用紙に墨の一色刷り。 多くの色を使っていないのだが、どこか華やいだ雰囲気がある。 著者の藤森万里子さんの心の陰翳を蔵しながらも華やかな一冊が出来上がった。 ふらここや決断を迫られてをり 受けて立つ他なし髪を洗ひけり 著者の身辺に何が起こったのだろう。ドラマチックな二句がかなり近いところにおかれている。著者のあとにはひけぬ状況ではあるが、おかれた季語がどちらもいい。硬直してしまう心をやわらかくして状況にしなやかに向き合おうとしている女性像が見えてくる。 余談であるが、この二句、心情的によくわかる句である。 そうなのよね、決断を迫られたり、受けて立ってやろうじゃないの、って思う事ってありません? わたしは結構あるな。かなり生きてきちゃったからね。
by fragie777
| 2017-04-05 20:31
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