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3月22日(水) 社日 旧暦2月25日
慎ましい感じが愛おしい。 この花が咲くころは、まだ朝の空気が冷たい。 新刊書籍がたまってしまった。 紹介をしたい。 四六判ハードカバー装。 258頁。 著者の安部菁女(あべ・せいじょ)さんは、1939年(昭和14)盛岡市生まれ、現在宮城県大崎市在住。俳句は1979年(昭和54)に「暖鳥」に入会し新谷ひろしに師事、1987年(昭和62)に「小熊座」に入会、佐藤鬼房に師事、1988年(昭和63)「小熊座」同人となる。本句集は、第一句集であり、高野ムツオ主宰が序文を寄せている。序文によると、50年近い句歴でおられるが、「本集に収録した作品はここ十五年ほどのもので、その前はきっぱりと捨ててある。潔さもまたこの人らしい。」ということである。 冬眠の大蛇の息が雪降らす 扉を開きたちまち想像力がかき立てられる句が並ぶ。一句目、作者が幼年期を過ごした鳥取の米子には八岐大蛇伝説に連なる蛇の話が残っているので、そこからの発想とも考えられる。しかし、みちのくにたくさん残る蛇女房の話を元とした方が自然だろう。産室を覗かれ蛇の正体を見抜かれた女房が、夫との別れに子どもために自分の目玉を置いてゆくという筋立てである。蛇は地母神、子どもを思う母親の象徴であるのだ。その冬眠の息が降らす雪が、そのまま米を連想させる。雪が豊作の吉兆であるのは大伴家持の和歌を引き合いに出すまでもないだろう。神話に連なる昔話を背景としたスケールの大きな世界が広がる。 鍋釜につらなるわれや雁帰る 〈鍋釜につらなるわれ〉というフレーズから石垣りんの「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」の詩を想起するのは私だけでないだろう。無名の女性の一人として、しかし、同時に今を生きる人間の一人として世界を見つめ生き方を考えていこうとの意志が籠められている。 (略)住まいの宮城岩出山で生まれた句。岩出山は奥羽山脈を間近にした中山越えの出羽道筋の宿駅で、市が立つほど賑わった所。芭蕉も尾花沢へ向かう途中で通った道でもある。菁女さんには、その地の生活を丹念に掬い上げた句も多い。 高野ムツオ主宰の序文の一部を紹介した。 田遊びの豆幹(まめがら)が鳴る雪の原 凍大根雁の羽音の中へ吊る われにうなづく霜焼の驢馬の耳 寒明けの光となつて羊の仔 しょっぱなから冬のみちのくの寒さをともなった暮らしの風景が詠まれている。東北の凍土のなかで培われた詩心が切りとった風景である。立ち上がってくる音も匂いも色もみちのく固有のものだ。そしてそれは著者の安部菁女さんが慣れ親しんだ生活の風景なのだ。東北の土壌のなかで育てられた緊張感をともなった厳しい精神が一貫しているのが本句集『素足』であるとわたしは思った。 土塊のひとつぶづつに冬が来る とりわけ好きな一句である。 「土塊(つちくれ)」のひとつぶづつに冬が来るというのがいかにも北国らしい。冬というものが並々ならぬものであるがゆえに目を瞠って冬を迎えようとしている人の心も見えてくる。生活者にとって土は近しいものであり、おそらく冬の到来は足元よりはじまるのだろう。土塊のひとつぶからやがて万物へと、冬が漲り満ちていくのだ。 句集名となった「素足」もまた、大地にかぎりなく近い身体の一部であり、土塊の声を聞き分けるものとしての「素足」なのではないか。 本句集の担当はスタッフのPさんである。 Pさんが好きだという句を紹介したい。 雨音もよし岩茸の三杯酢 着ぶくれの半身を入れ甕洗ふ 沈丁の香を追ひゆけば大熊座 目八分に鈴を振る巫女夏つばめ 草餅に小鳥の声を搗き混ぜる あをあをと耳立ててゐる畝の蕪 りんご剥く雪降る音を刃の先に 中尊寺より吹き出して稲雀 風花を山の寝息と思ひけり 山藤は水瓶座から垂れてゐる 眉ひらくごと夕顔の咲きいでし 考へた末こほろぎの貌となる 唐黍を食べ磯漁の話など 雨催ふ私が菫つんだから 角巻に火のごとき身をつつみけり 鍵盤に指触るるとき涼新た 種山の薄こそわが旗印 「行きはよいよい、帰りは怖い。怖いながらも通りゃんせ、通りゃんせ」この童唄は、俳句の道にそのままあてはまるようです。勧められるまま足を踏み入れた俳句の道は、入るのは容易いけれど、じきに怖さを知るようになるのです。句帳片手に家事、育児の合間に始めたものの唯事俳句、報告俳句の轍を踏み続け、四苦八苦の日々でした。 毎月の句会で佐藤鬼房先生の厳しくも含蓄豊かな御指導を頂いたことが、今では何にも替え難い宝となっております。そして同じ俳句の道を歩みながらも身体障害者だった亡き母や、同じく志半ばにして早世した弟の分までも私は努力精進しようと考えて参りました。 この度幸運なことに、高野ムツオ主宰の選を頂き、その上序文まで書いて頂けましたこと、心から感謝の念に堪えません。益々御多忙を極める主宰が、御自身の健康面の不安をものともせず、俳句のために尽力される姿を拝見するにつけ、私はなお一層の精進を決意致します。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに、 裏口は上げ潮の海薺打つ 水汲の手桶に凍る流れ星 雪雲の端まで鯛の鱗とぶ 草の穂や生きてこの世を戦はむ 日を浴びて須恵器の色に鴨眠る 写譜のペン初ひぐらしに休めをり 父の骨拾ひし夜の祭笛 包丁の刃をまだ当てぬ鱈の腹 一枚づつ蛇の鱗の動きゐる 蓮根の穴が寂しい四日かな 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 「素足」という句集名はなかなか難しい。 表紙のクロスは紺。 横にすじが走っていて紬風。 透明感も涼感がある。 扉。 ブルーで統一感を。 赤はこの花布とカバーの名前に使われていて句集に華やぎを添えている。 嫌味のない上品な一冊となった。 帯をやや紫がかった色にしたのは、大人の女性の趣をあらわしたく。。。 帰らざるもの山彦と草の絮 句集の最後から2番目におかれた一句である。句集中に「東日本大震災」を詠んだ〈火のごとく椿が咲いて激震地〉などの作品も数句あることから、鎮魂の一句としても詠まれたものかもしれない。しかし、それにとどまらず、過ぎ去っていく時間を愛おしむ一句であり、自身の存在もまた帰らざるものとして一介の土塊と化していく、そのような、ただ一度の生を輝かせて消えていく万物への切なる思いをこめた著者からの呼びかけの一句としてわたしは読んだのだった。「草の絮」が季語がいい、「山彦」は句に時空をもたらした。 今日は午前中にお二人の男性がいらっしゃった。 中村重雄さんと岡崎寅雄さん。 おふたりとも俳誌「いには」(村上喜代子主宰)に所属しておられる俳人である。 この度句集を上梓されることになってそのご相談に見えられたのだった。 中村氏は、「いには」の同人会長をされていて、55歳から俳句を始められたということである。 現在は80歳になられるという。25年目にしての句集ご上梓である。 岡崎氏は、今年90歳になられるという。 とてもそんなお歳には見えないが。 77歳で俳句を始められたという。 やはり句集の刊行を予定されておられる。 岡崎寅雄さん(左)と中村重雄さん。おふたりとも素敵な紳士でまたとても若々しい。 岡崎氏は、ここ50年以上、毎朝30分間座禅をなさるという。 「長生きの秘訣です。昔は何も考えずということをひたすらにしておりましたが、最近は音楽を聴きながらですね」ということ。 「どんな音楽を聴かれるのですか」と伺うと即座に、 「モーツァルト」という答えが返ってきた。 中村氏は、かつては文武両道でなんでもこなすことができる方であるようだが、趣味も多く、ゴルフ、麻雀、将棋などなど。そして社交ダンスにも力をいれておられるようだ。 「学生の時にすこしやって、それからまたやるようになりました」 「社交ダンスをなさるのは女性の方が多くありませんか」と伺うと 「確かに女性の方が多いですね。それに女性は巧くなる人が多いのですが、男性はちっともうまくならない」と言って笑われたのだった。 おふたりとも「俳句に出会って本当に良かった」と明るくおっしゃられたのが印象的だった。 担当の文己さんは、人生の大先輩の男性お二人を前にして「すごく緊張しました!」ということ。 頑張って! 文己さん。
by fragie777
| 2017-03-22 20:32
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