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3月1日(水) 旧暦2月4日
今日から3月である。
先日雛めぐりをしたときに、めずらしいお雛さまが飾ってあった。 その雛たち。 そして、このイケメン雛。 このお雛さまだけ男っぷりに気をとられて名前の札まで撮らなかったのである。 管原道真と言えば、理不尽な左遷によってその地で死んだ後、怨霊となって平安京の都に顕れ、大暴れして多くの厄災をもたらすのだ。 と言ってもこれは、岡野玲子の漫画『陰陽師』で仕入れた話であるが。。。 北野天満宮はこの菅原道真の怨霊を沈めるために、建立されたのではなかったかしら。 新刊紹介をしたい。 著者の大河内冬華(おおこうち・とうか)さんは、1951年(昭和26年)神戸市生まれ、現在は新潟市在住。教育関係のお仕事に従事されているが、民俗芸能史の研究者でもいらっしゃる。1977年に村松紅花に師事し俳句を始め、2000年前後俳句から一時遠ざかるも2008年に友人の水澤秀子さんの誘いで再び俳句を再開、岸本尚毅選をあおぐようになる。2015年の超結社の「こもろ・日盛俳句祭」の句会上にて初めて岸本尚毅に会う。ふらんす堂主催の岸本尚毅指導の「ふらんす堂句会」の熱心な会員であられる。本句集は、1978年から1996年までの作品と2009年から2016年までの作品を5つのパートにわけて編集収録、序文を岸本尚毅氏、跋文を塚田采花氏が寄せておられる。 岸本尚毅さんの序文が的確な大河内論となっているので、抜粋して紹介したい。 たくさんの句を取り上げられているのだが、その一部となってしまうがご了承を。 大河内冬華さんは略歴にあるように、高濱虚子・高野素十にゆかりのある俳人村松紅花のもとで俳句を学ばれた。 素十に代表される「写生」の本質は、極力シンプルな言葉遣いにより、読者の想像力を最大限に喚起するところにあると思う。作者の関与は極力少なくし、景や事柄の最小限の要素だけを提示する。あとは読者の想像に任せるのである。冬華さんの句の句にも、そのようなタイプの佳句をいくつも拾うことが出来る。 コスモスに国境警備兵に雨 たうたうと冬浅からず最上川 かはらけの沈む新樹の奈落かな メール来る神有月の出雲より 背のやうに中洲を見せて春の川 芋虫のごと腹這ひて俳誌読む その人を助手席に乗せ雨月かな 昼寝より戻りてもとの老女かな 「昼寝」の間は夢を見ていた。「昼寝人」は目が覚めると「もとの老女」に戻った。作者自身のことでも、他人のことでもよい。誰のことでもよいのである。読者は「昼寝より戻りてもとの男かな」「昼寝より戻りてもとの翁かな」などと勝手に読みかえて鑑賞してもよいのである。ただし「老女」という語に独特のニュアンスがあることも忘れてはならない。たとえばお能で「老女物」というときの「老女」という言葉の響きをこの句から連想してもよいのである。 表現意欲があって俳句に携わる人の句はどうしてももの言いたげになりがちである。評する方も、もの言いたげな句は評しやすいので、いきおい作意のはっきりした句が世上にもてはやされがちである。 それはそれで止むを得ないことであるが、俳句の中には、一見作意を感じさせないけれども、落ち着いて読むと、読者の想像(もっと言えば「察し」)を誘うようなタイプの句もある。そのような句として、本句集の句を読んで下さる読者が一人でも多からんことを願っている。 跋文を寄せられたのは、塚田采花氏。精神科医の塚田氏は、新潟大学医学部俳句部「若萩会」の世話をしてこられた方で、そこで著者の大河内さんと知り合った。その時のことをこんな風に跋文に書かれている。 冬華さんに初めてお会いしたのは、昭和五十七年の正月。新潟大学医学部法医学教室の教授で医学部俳句部「若萩会」の部長をされていた茂野六花(録良)先生(後、新潟大学長)に誘われて、私が俳句を作り始めてから二年程経った頃のことであった。この法医学教室は高野素十が教授をしていたところであり、外科学教室には中田みづほという素十と東京大学同級で「まはぎ」という俳誌を主宰されていた教授がおられ、俳句の盛んな医学部であった。 その六花先生から突然電話があり、珍しい人が来ているから来ないか、と言われて法医学教室の医局へ出向くと、断髪のうら若い女性が、和服でにこやかに座っていた。そこで、彼女が埼玉に住み、新潟で発行されている俳誌「雪」の選者村松紅花先生(東洋大学短期大学教授・後、学長)のお弟子さんであり、「雪」誌にも投句されていて、新潟市に帰省されたついでに年賀に来られたのだ、と紹介された。 これが冬華さんとの最初の出会いであったが、この翌年の二月には、紅花先生率いる東洋大学の春雪会と新潟大学の若萩会との合同句会が新潟県湯之谷温泉郷の葎沢温泉で行なわれ、ここでも冬華さんとご一緒した。 塚田氏は、大河内さんの主に若いころの俳句をとりあげて丁寧に鑑賞をしておられる。 山笑ふ中に失語の母笑ふ 母住まぬ家の暗きに枇杷の花 遠蛙つひに盲ひし母に鳴く ふと消えし鳰のごとくに母死せり こうした母上に寄り添うような句を読むと、この句集は最愛の母上への感謝と鎮魂の句集なのだ、と思わざるを得ない。 向後は、素晴らしい師と仲間を得て、冬華さんは再び穏やかな序の舞を舞い始め、新たな冬華さんらしい佳句を紡ぎ出すことであろう。 「俳句以前」という素十の言葉もある。俳句そのものを産み出す日頃の生き方が大切だということである。意は尽くせないが、冬華さんの若き日の「俳句以前」に触れ、冬華さんの句についていささか感想を述べた。 この句集の魅力は岸本さんが、序文で書かれていることにつきると思う。「景や事柄の最小限の要素だけを提示する。あとは読者の想像に任せる」ということ。一見、とおり過ぎてしまいそうになる句も立ち止まって味わえばその世界が広がってくる。 本句集の担当は、文己さん。 好きな句は、 凩や二つの耳の後ろより 芥子崩る不意の落涙あるごとく羅を着て男にはなき度胸 もう話すことなどなくて息白し 一と晩の汚れにあらず恋の猫 仰向けの貝殻引いて秋の潮 切りだしておき春愁の口重き 大粒の雨が似合ひて紫木蓮 昼寝より戻りてもとの老女かな 片蔭に少し後引く阿波言葉 砲弾の掠めし日記秋暑し こうして紹介すると、わたしの好きな句とけっこうダブル感がある。 羅を着て男にはなき度胸 この句、気持ち良くて好きである。「羅」がこんな風に詠まれたことがあるだろうか。だか、こう詠めるのは、なんといっても若い女子ではない。やっぱり或る程度歳をくった女性である。ただ、このモデルとなっている女性の歳は老若どちらでもいい。若い女性が羅をかっこよく着ているのを讃えるように詠んだとしてもいいし、それなりに歳を重ねてきた女性が羅を着て、人生に清々しく向き合っている、そんな景でもいい。どっちにしても度胸があるのは、「女」よね、と、批評性もある一句である。 蓋すれば箱暗がりに古雛 受け唇の華やかなりし古雛 五十代の殆どを暮らした山形県庄内地方では、北前船でもたらされた雛人形を大切に扱い、現在の暦の四月三日(旧暦の三月三日)にお祭りをする。そこでは、雛の家の主が雛を飾り、客をもてなし、また雛を仕舞うということが、毎年繰り返されている。 俳句を詠むということも同じで、年を、季節を、月日を、迎えては見送らなければならない人間が、その一刻を書き留めることなのだと思うようになったのは、その頃からである。初めての句集を編むにあたり、若い日に作った句も並べることにした気恥ずかしさもあって、句集名を『古雛』とした。 「あとがき」を抜粋して紹介した。句集名の由縁が書かれている。 ほかに、 暮れかぬるカステラは黄の重たさに 草の絮ジャングルジムの中も飛ぶ ぼうたんを渡りし風に今吹かれ 夕桜夜桜となる白さかな 吾のごと忘れられゐし春炬燵 う巻き食ふ女二人に花の冷 蟻が蟻運ぶ葬送かも知れず 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 著者の大河内冬華さんのこだわりを見事に可能にしたのではないだろうか。 帯は淡い光りを放つものに。 白の斑入りである。 横顔に冬の海あり読書室 好きな一句は「昼寝より戻りてもとの老女かな」が響いてくるものがあって(わかるでしょ)好きであるが、岸本さんが素晴らしい鑑賞をされているので、わたしはこの「横顔」の句を選んでみた。 不思議な一句である。ややシュールな味付けをされた油絵などが浮かんでくるような、横顔は女性で明るい絵ではない。そんなことを思わせる一句である。上五中七下五がばらばらにおかれているようで、しかし、一読後ありありと場面が立ち上がってくる。「冬の海」だからいい。知的な横顔をもった無表情な女の顔が遠近法を無視して迫ってくる。「読書室」で女性の顔に精神性がやどり、冬の海の奥深い暗さも伝わってくる。 本日、「俳句文学館報」が届いて、俳人協会賞の選考経過報告を読んだ。 俳人協会新人賞において、高柳克弘句集『寒林』もその候補の一つであったが、選者の方たちが『寒林』の無季の句に触れて選評されていた。 選評を読みながらわたしは、ふらんす堂通信151号の野村喜和夫さんとの「エロス対談」で、高柳さん自身が無季の句について語っていたことを思い出していた。 わたしはもう一度、それを興味ふかく読み返したのだった。(69頁くらいから) そしてこれはお詫びです。 『寒林』のなかの一句の「捕虫網」が「補虫網」となっていたということ。 よく間違えるのである、これは。 その誤植が指摘されており、これはもう版元が気づかなくてはいけなかったと、深くお詫びします。
by fragie777
| 2017-03-01 21:08
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