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2月21日(月) 旧暦1月25日
早春の小川に長柄杓が置かれていた。 今日はさっそくに新聞記事を紹介したい。 20日付け東京新聞の「句の本」には、 渡辺紀子句集『銀の櫂』が紹介されている。 夕暮は銀の櫂欲しすすき原 渡辺紀子 白布裁つ冬の扉を開くごと 〃 合歓の花あの泣き虫が母となる 〃 「夏日」の編集長が介護生活の中で自身を見つめ、まとめた第一句集。 おなじく20日付けの讀賣新聞の「枝折」では、脇村禎徳句集『而今』が紹介されている。 読初は赤福餅の伊勢だより 脇村禎徳 2012年から3年間の作品を編んだ第10句集。日々の景を自在に詠む。 同じく20日付けの読売新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、 棒きれで掻き混ぜてみる水温む 廣岡あかね 春、そこら辺の水が温んでくる。それが何となく嬉しくてならないのだろう。だから棒切れを拾って掻き混ぜたりするのだ。水が温んだかどうかを掻き混ぜて確かめた。などというのは大人の屁理屈的解釈。句集『りつしんべん』から。 新刊句集の紹介をしたい。 著者の渡辺紀子(わたなべ・のりこ)さんは、1947年福島市生まれ、松戸市在住。1987年より「松戸市民俳句会」に入会して望月百代に師事。1996年「夏日」(望月百代主宰)創刊と同時に参加し、1996年に同人。松戸市主催の賞などを受賞し、現在は「夏日」の編集長である。本句集は1988年より2015年までの27年間の作品を収録した第一句集である。序文を望月百代主宰、栞を神野紗希さんが書かれている。 白墨の汚れ手に染む遅日かな ライ麦パン香ばし二百十日かな 夕立きて少年砂のにほひせり 白木槿軒小さくして海の町 野分後の雲を映して潮だまり サフランや姑の明るくこはれゆく 姑の手の透けゐるごとし春障子 遠花火鏡中の眼くぼみをり 足元に猫の息あるすすき原 感覚の冴えと透明感があり、身辺句から飛躍し、明るさと品格のほどよさが作品の個性。よい作品には季節感がただよっているといわれるが、まさにそうなのである。 帯文に引用された序文の言葉を紹介した。著者の特質をよく捉えた言葉である。 夕暮は銀の櫂欲しすすき原 句集名となった一句。この句には著者の渡辺紀子さんは、特別の思いを寄せている。 私は夕暮れ時が好きで、句ができなくなると近くの川原に行き、夕風に身を晒します。茜色の空がやがて夕闇に溶けてゆくのを眺めていると、なぜか詩人になれるような気がするのです。句集名となった一句もそんな折にできたものでした。 「あとがき」より紹介した。 神野紗希さんの栞のタイトルは「代わりに、言葉がある」。抜粋して紹介したい。 顔吹かれ九月の沼のさみしとも 三月の沼の明るさ人に逢ふ 紀子さんの句には、抑制の効いた文体の底から、静かに湧き上がってくる何かがある。まるで、ひそかな森の底にいきづく沼のあぶくのように。 雛納めをりラヂオよりビートルズ 花冷の駅に喪服を届けたり 白布裁つ冬の扉を開くごと 足元に猫の息あるすすき原 銀の櫂で漕ぎ出さなくとも、世界はあちらからやってくる。ラジオから流れるビートルズの懐かしいメロディ、花冷のころに届いた訃報、白布を裁つときに開く冬への扉、足元に寄ってくる猫。私たちの日常と、ほかの世界との、交差点の指標たちを、紀子さんは丁寧に、短い言葉の器に注ぐ。 式部の実こぼれて言葉生れにけり ここに銀の櫂はない。でも、代わりに、言葉があるのだ。 表現者としての自覚を促すような栞文である。 ほかに、 麦秋や笑ひ皺てふ美しきもの ゆふがたの空のざらつく山廬の忌 泣き止まぬ子を抱き上ぐる花菜風 朝顔や海に出てゆく雲迅し 波が波砕き八月果てにけり 蛇笏忌の嶺より風のまつしぐら 躓いて己が見えてくる冬の虹 街古りて人古りて梅真白なる 駄菓子屋の店先蝌蚪の生るるなり 十薬の芯のさみどり母訪はな 冴返るオリーブオイルの浅みどり わが影のピアノに折れる寒夜かな 雨の日の声上げてゐる踊子草 晩夏かな羽化のごとくにシャツ脱いで 春隣ともに川見て老いゆけり 「ゆふがたの空のざらつく山廬の忌」「蛇笏忌の嶺より風のまつしぐら」などほかにもあるのだが、本句集には忌日としては蛇笏忌のみが詠まれている。師系ではないように思えるので渡辺紀子さんが個人的に蛇笏がお好きなのか、この二句には、蛇笏の俳句に対する著者の姿勢が伺い知れる。蛇笏の俳句の質の高さを仰ぎ、いっぽうその作品がもっているある不穏さを感じとっている。二句とも好きな作品だ。飯田蛇笏という俳人をその心の秘かなる指標としているのだろうか。 句集『銀の櫂』は、一九八八年から二〇一五年までの作品をまとめました。改めて読み返してみますと、その時々の出来事が呼び起され、頭を過っていきます。(略) 介護生活はまだまだ続きそうですが、胸の中の遥かな虹に向かって歩み続けるつもりです。そしてこれからも一日一日を大切に、季節の風や光を感じながら、師の提唱する「のびやかに自分史としての俳句」を紡いでいきたいと思います。 「あとがき」の言葉である。 本句集の装釘は和兎さん。 赤のシリーズはすでにもう多くの句集を刊行してきたが、今回は落ちついた仕上がりとなった。 著者の渡辺紀子さんにふさわしいシックな一冊となった。 切山椒降る雨に音なかりけり 新年の季語である切山椒が繊細に美しく詠まれている。「キリザンショウ」という音の響きが音もなく降る雨のしめやかな世界を支配しているかのようだ。「り」の余韻がいつまでも心に残る。 切山椒は繊細な甘さのお菓子であるが、今日のおやつはエクレアをみんなに振る舞った。 クィーンズ伊勢丹に安くて美味しいエクレアがある。 で、それを食べながら、わたしはポケモンgoの話しを夢中でしていたのだが、いま新しいポケモンたちが登場してなんと80種類よ、それを夢中にゲットしているわけ。スタッフのPさんもちょっとやっているみたいなので 「ああ、それも獲ったよ、ああそれもね!」などと椅子にふんぞりかえっおおいに自慢していたところ、 「yamaokaさーん、鼻のあたまにチョコついてますよ!」と笑いながらスタッフに指摘されたのだった。 「ひゃあ、どこ!どこ!?」 もう、わたしったら、 なんとエクレアのチョコを鼻のあたまにつけてポケモン自慢をしていたらしい。 みんなに大笑いされちゃった。
by fragie777
| 2017-02-21 20:14
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