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2月9日(木) 黄鶯睍睆(うぐいすなく) 旧暦1月13日
この聖堂の荘厳華麗さには目を見張った。 今朝は雪となった。 まだ降っているのだろうか。。。 今週末にかけて雪が降り積もるらしいが。 新刊紹介をしたい。 著者の脇村禎徳(わきむら・ていとく)さんは、1935年和歌山県生まれ、和歌山市在住の俳人である。森澄雄の主宰する「杉」で「杉賞」を二度にわたって受賞され、本句集は前句集『素心』につぐ10冊目となる。評論に『森澄雄』があり、現在は毎日新聞の「毎日紀州俳壇」の選を担当しておられる。本句集は平成24年から26年までの3年間の作品を収録したものである。 句集名の「而今」は、「じこん」ではなく「にこん」と読ませる。 集名の『而今(にこん)』は、道元がいう「行持現成するをいま(いま=傍点)といふ」を、私はそれを命のひらめきの「今」と捉えて句集名としてお借りした。むろんそれは私の願望である。 「あとがき」にこう書かれている。 この「而今」という道元の言葉を、もう少し調べてみるとこんな説話が出てきた。 只、今日今時を過ごさずして、日日時時を勤むべき也。 (正法眼蔵随聞記)今日、この時をぼんやりと過ごさず、その日、その日を、 その時、 その時を、勤めなければならない。 著者の脇村禎徳さんが、この句集に籠めた思いがおのずと見えて来る。 「而今」という言葉を以て一句一句が立ち上がってくるのだ。 今年このいのちのありて薺粥 身のうちの癌飼ひ馴らす寒の内 句集のはじめの方におかれた二句。この句集における「今」の重さがまずはこの二句よって読者に知らしめされる。 そんなある種の緊迫した気配を感じさせながらも、著者の脇村さんには、どこか遊心とでも呼ぶべきゆったり感がある。 それはやはり森澄雄という俳人を師とするその俳句のこころに通うものなんだと思った。 読初は赤福餅の伊勢だより 外(そ)れてゆく畔やはらかし御行(おぎやう)かな 今日ばかり我もあたらし初燕 チエホフを声出し読みぬ夕桜 隣る間の妻にもの言ふ暮春かな 湯上りの踝(くるぶし)ありし秋の風 枯菊を毟りて匂ふ寒土用 雛祭るこの子に銃後など勿れ 牡丹の奢る日向のありにけり 見ていつも遠きと思ふ桐の花 この句、「桐の花」を詠んだものであるが、この気持がそっくりわたしには分かる。「桐の花」の咲きようや佇まいがそう思わせるのかもしれないが、わたしにとっては好きな花は好きと思う分だけ遠くなる。見上げる高さに咲く花であることもそう思わせるのだが、「桐の花」は一種不思議なオーラを放つ花だ。「桐の花」をよくとらえた一句だと思う。 この句集は、私の十冊目の作品集である。平成二十四年から同二十六年までの三年間の作品四百二十四句をもって編んだ。十冊目ということもあって一応私の句業の一区切りをつけるもの、といえるが、齢を取った所為(せい)か作品の出来はともかくとして、句となったひとこまひとこまの景色が捨て難く、そのために自選の箍(たが)をやや緩めたという思いもある。 ふたたび「あとがき」を紹介した。 句集を一貫して流れるのは、遊心のもつ悠揚感と雄心もつ端正な気魄とも呼ぶべきものである。つまりは「遊心」と「雄心」。そしてそこに限りある命の陰翳が深く刻まれる。 わたしは脇村さんにお目にかかったことはないが、俳句の作品をとおして、背筋がすっとのびた品格あるお姿を垣間見ているような思いがしている。立ち居振る舞いにも気品のある方なのではないだろうか。 ほかに、 働きて直(ぢき)に一生夏椿 生きねばやいざ炎天へ打つて出ん 死ぬるかや柿の実の生(な)るこの家に 丈草と名のみの墓や雪降れり 冬薔薇はリルケの墓標わが庭にも 妻言ひて箸とる日脚伸びにけり 一としめり一としめりして春もはや 新涼のわれにそふ影なつかしき 粥ばかり食うておのれも秋澄みぬ 川のなか川のゆくなり十二月 本句集の装釘は前句集とおなじに君嶋真理子さん。 作品にふさわしく骨格と品性のあるものをと願った。 君嶋さんが「而今」の面白い字を見つけてくれた。 脇村さんも気に入って下さった。 文字は黒メタル箔。 見返しはグレーに白の斑入りの和紙風のもの。 花布は黒。 水仙に倣(なら)ひしづかにゐたりけり 集中の一句。好きな句である。こういう繊細な句もよくする著者である。さきほどの「桐の花」といい、この「水仙」といい、すごく好きな花なのだが、わたしからはるかに遠い花だ。「水仙」の花のもつ清潔な静謐さ。きっと著者のこころに適うものであろう。 今日は家から伊予柑をひとつ持ってきてお昼に半分食べた。わたしはよくそうするのであるが、半分食べて半分は翌日にと、机のそばの抽出の上に置きっぱなしにしたりする。するときれい好きなスタッフが片付けようとしたりするのだ。「待って!それまだ食べるの」と慌てて行って伊予柑の半分はゴミ箱行きから免れた。するとあるスタッフが、 「わたしは、食べ残したものをどうしても食べられません。」と言う。 「ええっ!なんで?」とわたしは尋ねる。 「もうそういうものは、美味しいと思えないんです。味が変わっちゃうようで」 「そんなことないよ、美味しいよ」と言ったのだが、なんだちょっとか侮蔑的な目で見られた気がしたな。 ブログを読まれている皆さんは、どう? もっともモノによるかも。 わたしだって何でもというわけじゃないわよ。
by fragie777
| 2017-02-09 20:14
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