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2月1日(水) 旧暦1月5日
自転車に展示してカードを売っていた。 2月である。 あっという間に過ぎていく2月である。 別名如月(きさらぎ) 「生更ぎ」の意。草木の更生することをいう。 と広辞苑。 2月のはじまりの日にわたしは若草色のセーターを着て出社した。 (わたしも更生したい……) さっ、新刊紹介をしたい。 歌集である。 著者の佐藤理江さんは、1967年東京生まれ、現在は埼玉県入間市在住。1985年に短歌をはじめる。1999年にネットサイト「お気楽短歌生活」を中心に短歌をつくり2000年短歌研究臨時増刊「うたう」企画で佳作。2003年「未来短歌会」入会。2012年「未来賞」受賞。本歌集は、前歌集『西日が穏やかですね』につぐ第5歌集となる。 「あったこともない人々」というすこし謎めいた集名である。 集中に、「あったこともない人々」の一首がある。 あったこともない人々の働きでダイヤ遅れて再開します すこしばかり謎が解けたような思いがする。 だが、「誰かの原因」で、と手っ取り早く言ってもいいことを「あったこともない人々の働き」と詠んでいることにちょっとこだわりたい気分になる。 どこかの誰かではなく「あったこともない人々」とは、これから「あうかもしれない人々」でもあり、あるいは永久に「あうこともない人々」かもしれなくて、前提に「あう」という人間のつながりが意識されている。 「働き」ということばも立ち止まらせる。 これも人間にかかわることばである。 佐藤理江さんは、自分をとりまく世界との関係性を問い直し、もう一度新しいことばで捉え代えそうとしているのだろうか。 丁寧に世界をみつめようとしている視線を思うが。 しかし、ふっと思った。 「あったこともない人々」とは「会ったこともない人々」の意味なんだろうか。 あるいは、「在ったこともない人々」であるかもしれない。 いや、そうなると、、、、俄然、歌が不条理性を帯びてくる。 白いのは灰ではなくて雪だから安心をして息も出来るよ 「あったこもない人々」の短歌の前におかれた一首である。 すんなりと目の前の事象をすぐに受け入れることができず、ためらいながらそのものの実体を確かめている。 私には視力不足で正確な輪郭という概念がない 前提でありすぎるから言わないが止まって見える運動ばかり 明け方の水溜まりから立ち上がる今日つくはずの嘘とわたくし 魂が足の裏から抜けてゆく下り階段踏み出すときに 雨粒の中に嫌いな人がいて家族四人で暮らしています 遠くから吹く風だろう遠くからざわめく人の声が聞こえる 何もかも焼き棄てたって書き残す 真面目な人は押し入れにいる あなたにも樹が見えますね七〇パーセントの人に見えたあの樹が ふれ合った羊さんとのさよならのあとは石鹸で手を洗いましょう 振り向くといなくてすでにわたくしは上から見られる者なのだろう 逃げ惑う群にて我は名も持たず著名な日記(にき)に「群」とあるべし リモコンの四色ボタン押せというそれがつながる力だという 日暮れとも夜明けとも見えわたくしと彼らに白夜のような戦前 その男背広着たまま棄教して爪を地面に切り散らし、去りぬ 歯が抜ける夢を続けて見たことを予約電話でいちおう話す 実をつけた柿の枝にはうなだれたあなたの影の輪郭がある この部屋の全てを外に出さなくちゃ薄縁蓙をはやく捨てなきゃ 静電気帯びたコートに包まれた私と私以外のみんな ポケットに入れたいものが何もない糸のほつれは勝手に伸びて 本歌集全体を覆っているのは、この世界に安住することを許さない不穏な空気感である。 本歌集の担当はPさん。 Pさんの好きな短歌を紹介したい。 日の当たる面ばかりでない墓石の後ろ涼しき土の湿り気 間違えて印刷された名簿から作られてゆく人格がある 本人に意識されない風景が映ったままの死者の網膜 我が内に沸き立つ雲がこんなにもあなたの上に雨降らす午後 お当番お当番が回ってくる大人になって最初に冬に 鉛筆の尖った芯をできるだけ寝かして浅き河口をたどる 「羊刈ったよ」と電話に言えばおどろきて母は「餌は?」と真剣に問う 山頂にななめの穴を開けるのは余所から空を接ぐ手順です 一番好きなのは「羊刈ったよ」の一首ということ。 「全体としては現代の閉塞感を感じました」とPさん。 第五歌集出版に当たっては、以前からケジメケジメと思っていたのに、どうもケジメを付け損なってしまった。この本が出る頃の私は、「今の倍生きて百」に届くようになっているし、私がわざわざ予言するまでもなく、先頃二〇一八年の改元は既定の事実と化してしまった。かくなる上はそれが大晦日と元日にまたいで行われるくらい誰にだって予想のつくことであり、実に間抜けな話である。ああ、この感覚も私の心の中にアーカイブされてゆくのだなあ、前向きに考えれば。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「あとがき」によると佐藤理江さんは、ここ数年、毎日寝る前にツイッターで一首作ることを続けていて、そろそろ五年目に入る。とある。ハッシュタグ#毎日歌 で、理江さんの歌集には収録していない新しい短歌に出会えるということである。 本歌集の装丁は君嶋真理子さん。 この歌集の謎めいた集名にふさわしい装釘となった。 このイラストの不思議さは、「あったこともない人々」という謎めいたイトルによく合っている。 暗幕の隙間に午後のひかり射しななめに空とつながるピアノ ひときわ印象的な、映像的な短歌である。しかし、やはり不穏なものを呼び起こす何かがある。 シュールな一首である。 余談ながら、 今朝のこと、着替えようとしたら、昨夜遅く帰って脱ぎすてたままのセーターがあった。 そのセーターを見て、おもわず笑ってしまった。 あっちこっちに付箋がついている。 ブログを書くためにわたしは付箋を貼りながら句集や歌集を読むのだが、どうやらその付箋がセーターに付いてしまい気づかずに家に帰って脱ぎすてたらしい。 わたしはこんな感じで付箋まみれになって悪戦苦闘してブログを書いております。 擦り切れて惨めったらしい。 わたしん家の二階の和室の畳よ。 畳替えもできていなくて、、、お恥ずかしい次第。 でも、笑えるでしょっ。 今日は付箋ついてないかな?
by fragie777
| 2017-02-01 20:44
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