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1月31日(火) 旧暦1月3日
はるか彼方にいたのを思いっきりのズームで撮ってみた。 牛肉のめっぽう美味い処に向かうのかと期待したのだが、ぜんぜんそうじゃなかった。。。。。 新聞記事などを紹介したい。 28日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、栗原公子句集『銀の笛』である。 淋しさの正体冬の薔薇に棘 栗原公子 薔薇園は冬の薔薇の花ざかり。その花にもまして、みごとなのが幹や枝に並んだおびただしい棘である。薔薇は何ゆえに棘で身を守ろうとするのか。薔薇の淋しさが棘になったのか。棘があるから薔薇は淋しいのか。句集『銀の笛』から。 29日の東京新聞の「句の本」では、ふらんす堂刊行の二冊が紹介されている。 まず、 田島健一句集『ただならぬぽ』。 ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一 パパは太鼓じゃないんだ雪止んで晴 〃 なにもない雪のみなみへつれてゆく 〃 「炎環」同人で同人誌「オルガン」などに参加する著者が紡ぎ出した新感覚の世界。 そして、 廣岡あかね句集『りつしんべん』。 八卦見のきつねの襟巻してをりぬ 廣岡あかね あれ聞かむこれ尋ねむと栗御飯 〃 悴みて立心偏のゆがみたり 〃 団塊の世代の著者が移り変わる家族や日常を軽やかに詠んだ第1句集。 昨日(31日)の朝日新聞の「風信」では、中原道夫句集『一夜劇』 が紹介されている。 蠅帳の中より匂ふ一夜劇 中原道夫 第12句集。日常と非日常の裂け目に触れるよう。2015年秋、テロ直後のパリ滞在の句も。 昨日の毎日新聞の新刊紹介には、ふらんす堂刊行の二冊の句集が紹介されている。 まず、井田美知代句集『遠い木』。 春の風邪底の見えくる砂糖壺 井田美知代 第2句集。著者は大学時代に平井照敏の俳句の授業を受けたのがきっかけで俳句を始めた。本句集は平井照敏没後の作品をまとめたもので、50代の日々の哀歓を綴る。 そして、山本惠朗句集『みづほ』。 夕立のあとをとどめず丸の内 山本恵朗 第1句集。著者は1936年生まれ。銀行業界の第一線で活躍した後、2004年から俳句を学んだ。その成果をまとめた一冊で、俳句との出合いが人生にもたらしたものを思う。 新刊紹介をしたい。 著者の酒井紀三子(さかい・きみこ)さんは、昭和10年(1935)静岡市生まれ、現在横浜市在住。俳句は昭和58年(1983)に「琅玕」に入会し、岸田稚魚に師事、平成2年(1990)「鶴」に入会し、星野麦丘人に師事、麦丘人亡き後、鈴木しげをに師事。現在は「鶴」の同人である。本句集は、昭和58年から平成28年までの33年間の作品を収録した第1句集である。序文を鈴木しげを主宰が寄せている。 病院へ夫帰りけり雛納 夫の椅子に夫坐りゐてあたたかし ががんぼや夫の寝顔に侍しをれば 木犀の香と覚えけり二た七日 最愛の夫との細やかな情愛が静かに、胸にたたみこまれるように詠まれている。こうした哀切な作の中にあってぼくは 立ち止るとき風のあり葛の花 川舟を繕ふおとや草の花 の作に注目する。人の温もりをふっと感じさせる葛の花の風や川舟を繕う閑かな音。これらに心をとめている作者に感銘する。 句集『金木犀』は 金木犀夫の命日旅にゐて から取られたのであろう。このほかにも木犀が咲き出せばすなわち亡き夫を思うという句があってこの句集は亡きご主人に捧げる一書なのだなとしみじみと思うのである。 序文を紹介した。「金木犀」という句集名は著者の酒井紀三子さんの亡き夫への思いを託したものであるがわかる。そして、 念珠買ふ旅となりけり冬紅葉 長く句作の道を励んできてふと顧みた時、自分の生きてきた折々の句を一集にしてみたいと思った。これは作者紀三子さんの正直な気持であろう。念珠買う清廉な旅ももちろんいい。しかし句作の旅路はまだまだ続く。江戸の町を笑いの渦に巻きこんだ南畝や紀定丸の風狂にこれから挑むのもいい。 酒井紀三子さんの略歴には、岸田稚魚に師事することによって俳句をはじめるとあるが、「あとがき」を読むと俳句に導かれる下地があった。 俳句をはじめるもといとなったのは清水基吉氏とのご縁があります。 北鎌倉の谷戸の上に越してきて間もなく友人の師である基吉氏をかこむ団欒のなかにいて、波郷のこと、「鶴」のこと、俳句のあれこれを伺いましたが、それらの話は、子育て最中の私にはわくわくする魅力のある世界でした。 清水基吉との出合い、さらには波郷へと繋がる思い、敢えて言えば酒井さんの俳句のはじまりは波郷とそれをとりまく俳人たちの作品との出合いによるものかもしれない。波郷によって導かれた韻文精神が、若き酒井さんの胸に俳句の小さな火として灯されたのだと思う。 それゆえか、本句集に収録された俳句はどれも俳句の型を信頼し無理がなくすっきりと詠まれている。 白梅の煤けてきたる日差しかな 雁来紅空の青さのまだ足りず 章魚とりの棒の先より暮れにけり 立ちつくす公孫樹落葉のかぎりなき (悼 稚魚先生) 荒梅雨の傘傾けて納骨す 沙翁は女嫌ひか日雷 岩たばこ雨のち雨の切り岸に 粒胡椒嚙みくだしたる余寒かな 晴れにけりわが受洗日のザビエル忌 大根煮てだいこんくさくなりにけり 夕風やミントの花と気づくまで 白南風や縞着こなすに気を張つて どこからも教会見えて麦の秋 降りだして睡蓮百の白蕾 春寒や汲み置く水につまづきて 師の亡くて小判草にもかぶれけり 金雀枝やシスターいつも二人づれ 夜叉五倍子の実や屈託の顔さらし 作者が屈託の顔をさらした「夜叉五倍子の実」っていったいどんな実だろう。「夜叉五倍子=ヤシャブシ」と読む。調べてみたら、花は「木五倍子=きぶし」の花に似ているようだがもう少し太い。字も似ているから同類かとおもったら、夜叉五倍子はカバの木科、五倍子はキブシ科でどうやら違うようだ。実は黒くて松毬を小さくしたような感じ。殺菌作用があって薬用として売られている。決してうつくしいものではなく、ちょっと毛虫を思わせる。熟した果穂が夜叉にも似ていることからヤシャブシと呼ばれるようになったとも。ヤシャブシいう音の響きとこの有り体に向けた屈託の顔がおもしろい。歳時記にはなかなか載っていない季語である。 本句集の担当は、文己さん。文己さんの好きな句を紹介したい。 栗拾ひ尻餅つかぬこと大事 目は死んでおらぬ蝮に近づきぬ あつ湯好き熱燗好きも父ゆづり 落椿掃除地獄を僧の言ふ 栗を剝くだけのなまくら小包丁 鍋焼や老いてきしこと猫舌も 実際に句をつくるようになったのは昭和五十八年「琅玕」で岸田稚魚先生に教えていただいたのが私の初学です。 稚魚先生には六年間ご指導いただき、先生亡きあと平成二年「鶴」に拠り星野麥丘人先生の厳しく、あたたかいご指導をいただきました。 「鶴」に入って間もなく夫が癌に冒され、二年あまりの闘病の末に亡くなり、その前後は夫を詠む句が多くなりました。 その頃『鶴』同人会長の多田薙石氏に、ご自宅での句会、吟行に声をかけていただき〝連衆と俳句で遊ぶ〟愉しさを経験させていただきました。 麥丘人先生亡きあと「鶴俳句」の本道をゆく鈴木しげを先生のご指導を仰ぎ、この度は本句集の選句、帯文、序文を賜り厚く御礼申し上げます。諸先輩・連衆の皆様に支えられた歳月であったと感謝でいっぱいです。 「あとがき」のことばである。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 著者の酒井さんのご希望は、できるだけ色を使わずにモノトーンでということ。 しかし、タイトルは「金木犀」である。 伺ったときはちょっと怪訝におもったのだった。 句集を拝読すれば分かったことなのだが、「モノトーンで」という著者の心には夫を悼む思いがあったのだ。 タイトルのみ金箔を用い、あとはモノトーンの配色に。 表紙は金木犀を思わせるあざやかな金色を提案させてもらった。 著者の酒井紀三子さんは、「望んだとおりの本となりました」と喜びの声を聞かせてくださったのだった。 春寒や汲み置く水につまづきて まだ充分に寒い春先の空気感を感じる句だ。汲み置いた水はすでに四温の水で氷ることもなく、春になったのだからと心は油断してしまったが、身体は春寒を敏感に感じとって動きがにぶくなっていた。つまづいてその不覚を悟ったのだ。 まったくよくわかる。 寒明けの間近いこのごろ、わたしは本当によくつまづくんだもの。
by fragie777
| 2017-01-31 21:01
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