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1月30日(日) 雞始乳(にわとりはじめてとやにつく) 旧暦1月3日
一人のご婦人が入って行った。 いったいどんな間取りが展開しているのだろうか。 昨日は、ふらんす堂より昨年第3句集『金剛』を上梓された草深昌子さんの出版記念会が霞ヶ関ビル「東海大学校友会館」にて行われた。 担当スタッフであったPさんが出席。 草深昌子さんが主宰をされている「青草」の会員の方々が発起人となり、草深さんとご縁の深い方々が集まって、楽しいお祝いの会が催されたのだった。 俳人の岩淵喜代子さん、岸本尚毅さん、木村定生さんなどわたしもよく存じ上げている方々は、草深さんとは句座を共にする俳句仲間である。 (すこし長いが猛烈にして面白いご挨拶なのでそのままご紹介します) 皆様本日はご列席頂きまして本当にありがとうございます。この霞が関35階、誠に高いところからではありますが、心より御礼を申し上げます。 今日ご列席頂きました俳人の皆さま、句友の皆さまを前に致しまし、私って何てここまで多くの俳句の先生、俳句の皆様に恵まれて来ましたことかとつくづく幸せに思いました。それでちょっとその一端を語らせて頂いてもいいですか、語るほどのこともないんですけれども(笑) 私が初めて句会に参加いたしましたのはもう40年前のことです。このように春も間近な頃のことでございました。先生は飯田蛇笏の高弟で植村通草先生です。先生はいつも美しくお着物をお召しでございましたけれども、私にとりましてはとても何ていいますか、「おばあちゃん」という印象が強くありましたね。いつもおばあちゃんと思っておりました。よく思えば私の今の年齢だったんですね。ところが私は厚かましいことでございますけれども、自分のことを少しもおばあちゃんとは思ってないんですね。本当にあっという間に日が経ちました。十年一日の如しといいますけれど、私にとりましてはまさに四十年一日の如しというところでございます。 早春やニコライ堂の薄緑 これが私の初めての俳句でございます。これを出しましたとき先生が「参った参った、もう私にはこんな俳句はできないわ」とすごくほめてくださったんですね。それですっかり俳句にはまってしまいました。でもその喜びもつかの間で、すぐその後からは出句するたびに「それがどうしたの」って言われてとても厳しくて、それで何回も泣きましたね。まだ30ぐらいの若さでしたから。とことん「それがどうしたのよ」って責めてくるんです。でも今はその厳しさを懐しく思い出されます。この初めて入りました「雲母」という結社は何千人も会員がいまして、飯田龍太先生が遠くはなれてお住いでしたから郵送で作品を送るだけなんですね。そうしますと、自分で「今回はうまくいった」って、すごくいいのができたと思うのは全部アウトでしたね。それでふっと見たまま感じたままを書き付けたような句がどういうわけか入選するんですね。自分のほんとうに正直なことをふっともらしたような句が。それが私は遠く離れているのにどうして飯田龍太先生は私のことがわかるんだろうってずっと何かこう、目をつけてくださっているような気がして、それが私の初学時代の飯田龍太選というものが非常に不思議でしたね。それから私は「鹿火屋」に入会いたしました。「鹿火屋」は原裕先生の結社です。そこで出会いましたのが本日ご列席の岩渕喜代子先生です。岩渕喜代子先生は当時の「鹿火屋」のトップの俳人でございましたけれど、恐れ多くも、毎日毎日俳句の交換を葉書でいたしましたね。今だったらiPhoneとかでやるんでしょうけれども(笑)毎日毎日一句を葉書に書きつけて投函することもやりましたし、テーマも出して何十句何百句と競泳するというのもやりましたし、全国津々浦々吟行にいきまして、本当に切磋琢磨ということをさせていただいたんですね。俳句っていうのはただ黙ってつくるしかない、そういうことを教えて頂いたんです。黙ってつくるしかないという純粋無垢の精神を養って頂いたんですね。今以てそれを徹底して教えられています。それから出会いましたのが、「晨」の大峯あきら先生、山本洋子先生に出会いました。この幸せな出会いを機会に、私は俳句を一から勉強し直すことにしたんです。その大きな力になっていただいたのが、先ほどご挨拶をされた岸本尚毅先生でございます。私は普段「尚毅さん、尚毅さん」と呼ばせて頂いていますが、いつも心の中では最大の尊敬の念をもって「岸本尚毅先生」でございます。先生なくして今の私はございません。こういうことを初めて申し上げますけれども、尚毅さん、本当にありがたく思っております。岸本尚毅先生はもう20代の頃から俳壇屈指の俳人として高名の先生でいらっしゃいましたから、私が初めて句会に参加するときはドキドキしましたね。それからもう20年近く経ちますけれど、未だにドキドキというか緊張の連続ですね。慣れ合うということがないです。その割にはビールを飲んでふてぶてしいんですけれども(笑)気持ちの中では非常にドキドキしてるんですね。いつまで経っても慣れることがないです。ですから句会で先生の作品に触れるたびに驚かされますし、選者の御選があるたびに驚かされますし、俳句の醍醐味ということをそこで味わっています。考えてみましたら先生は長身でスマートな方ですから、「俳句の実作」というのが右足にあたるんでしょうかね。それから「俳句の鑑賞」というものが左足にあたるのでしょうか。その自然な歩き姿が俳句の鑑賞と実作というになるとおもいます。その俳句の鑑賞と実作が不可分の関係で繋がっていてああなるほどと頷かされますね。そこで私は、初めに申し上げました飯田龍太先生の「俳句の選の不思議」がだんだん解けてきまして、今頃になって選のありかたがようやくわかってきたように思います。これはすべて岸本尚毅先生の句会に出させて頂いておかげで、今更ながらありがたく思っております。 それで申し遅れましたけれども、本日このような会をお作り頂いた松尾まつをさま、松尾さまは松尾家の子孫だと私は勝手に思っておりますので、松尾まつを様は、先生をしながらなおかつ私の句会「青草」に入って来て下さった方なんですね、そういう方を含めまして、ここにお集まりの、青草の私の教室にずっといらしてくださっている皆様に一番心から御礼を申し上げたいと思います。今になって通草先生の気持ちがわかるんですね。私は皆様の元気いっぱいの俳句に対して、「参った参った」の連続です。本当に老いている暇もなくて歳をとってる暇もなくって、いつも清新な気持ちで立ち向かわなければなりませんでした。青草の皆様にお会いすることもなければ、今日このように「金剛」という俳句出版にはいたらなかったと思います。生まれなかったとおもいます。 「金剛」というタイトルは、金剛山のことではありますけれども、金剛石という極めて硬い石を連想するとおもいます。これも参加してくださっている方に伺っている「金剛石も磨かねば玉の光も添はざらん」というような昔の歌もあったそうです。金剛石も磨かねば光ることがないでしょう、という意味でしょうね。これからも俳句は一人ではできませんので、皆様のお力を借りまして、俳句という堅牢なるものをひたすら磨いてまいりたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。最後にはなりますけれども、私の青草の中で、最高齢の吉田良銈様という90歳の方がいらっしゃいます。その方の年賀の1句をもってご挨拶に代えさせていただきたいと思います。 青草や青いやまして草深く 良銈 本日はどうもありがとうございました。 会場の方々を笑わせながらもいかに俳句と真剣に取り組んできたか、溢れる情熱を以てご挨拶をされた草深昌子さんであった。 草深昌子さま、句集『金剛』のご上梓おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 鷹よりもはるけく鷹のこゑ来たる 草深昌子 (『金剛』より) 新刊紹介をしたい。 著者の井田美知代(いだ・みちよ)さんは、昭和32年(1957)千葉市柏市生まれ、現在横浜市在住の俳人である。昭和54年(1979)に俳誌「槙」(平井照敏主宰)に入会し、平成4年(1992)に同人。平井照敏氏亡きあと平成16年2004)「翡翠」(鈴木章和主宰)創刊同人、現在は「燕俳句会」(笹本千賀子代表)に所属。本句集は第1句集『雛納』につぐ第2句集となる。跋文を笹本千賀子代表が寄せている。タイトルは「やわらかな存問」。 毎日が毎日ひらく梅の花 平成二十二年 梅の花の特性を詠んだこの作品は、おのずから季節への存問、言い換えれば挨拶の句となっています。「毎日」は梅の花を咲かせている日々(早春)であり、自分の生きている日々でもあります。この柔らかな存問の句に、井田さんの俳人としての素晴しい資質が表れていると思います。 井田さんの句には、無理なことばや気負いがありません。いつもきわめて自然なのです。先に述べた感性と併せて、井田さんの天性の資質と言っていいでしょう。平井照敏は〈自然(じねん)とはただ沈丁花桃の花〉と詠みました。井田さんの生きる姿勢は先師のこの願いに通ずるものだと思うのです。この道をまっすぐに進んで行って欲しいと切に願っています。本句集が多くの方々の心にとどまり、愛されますように。 跋文の後半の部分を紹介した。井田美知代さんも代表の笹本千賀子さんも、平井照敏を師としともに「槙」で学んだ俳人である。師の教えはお二人の心に深く根ざしている。 遠い木のやうに子のゐる弥生かな 平成二十年 本句集のタイトルにもなった「遠い木」は、句意から言えば成長した吾が子でありましょう。第一句集で〈乳やるはいのちやること春立てり〉と詠んだ三人の子供たちもそれぞれ成長し、反抗期を経て自立してゆきます。心配は尽きませんが、今は少し離れて見守ることしか出来ません。 子育てのしまひは祈り種浸す 平成二十年 同じ年に詠まれた作品です。三人の子供たちはみんな若木へと成長しました。まだ幹の細い木(子)を、母は祈りの木となって見守るのです。 車間距離ではありませんが、人と人との間の距離の取り方はとても難しいものです。「遠い木」の比喩には、井田さんの人に対する自分の在り方、その望ましい立ち位置を求める思いがあるのかもしれません。そこにはきっと涼やかな風が吹いているのです。 笹本代表の跋文より再び紹介した。 「遠い木」に籠められた井田美知代さんの思いを掬いとった一文である。 遠くにすくっと立っている木の存在を思う時、満ち足りた静かな気持ちになってゆきます。 「遠い木」は、三人の我が子であると同時に、私の憧憬でもあります。 「遠い木」に籠められた井田美知代さんの思いである。 本句集は文己さんが編集担当であった。 文己さんの好きな句を紹介したい。 待つことを大切にして二月かな どの道も帰り道なり落葉踏む つくづくし誤植はひとつひとつ摘む 毎日の中に未来や実梅漬く 天からの妻の手からの柿を受く 寒晴のただそれだけの誕生日 私を休みて少し螢かな 七夕やムーミンママでありたきを 子の噓に頷いてゐる秋桜 さらさらと今をこぼして母は花 ややこしき男の美学鰯雲 遠い木のやうに子のゐる弥生かな この句ふたたび引用した。わたしも好きな句である。 ただ、この句を読んだとき、この子どもは著者のお子さんのこととは思わなかった。 我が子を遠き木とし、心象を読まれているということであるが、わたしは眼前の景として良い句だと思ったのだ。わたしは我が子でなくても目の前に子どものいる風景と読んでもいいのではと思ったのだ。「弥生」という季節がもつうらららかな時間の流れが子どもの姿をどこか遙かなものにさせている。そんな不思議さを伴った句である。「弥生」という季語が断然良いとおもう。もちろん心象句として読んでもいいし、目の前の景を詠んだ句としてもいいのではないだろうか。 ほかに、 黒豆を煮上ぐるひかり初昔 放つておくことも子育て瓜の花 疑ひのごとくによぎり秋の蜘蛛 凍土にこぼしてゐたり国訛 老い母に蛇の冬眠少し欲し 寒林を標本室のごと歩む どこ向いてゐても家族やさくらん坊 毎日が毎日ひらく梅の花 子は二十まぶしき今日の雪しづく 蝿虎(はえとりぐも)熟知してゐるうらおもて 初明り紙のごとくに母眠り 蟬の森きれいな耳になつてゆく 乳液をたつぷり春のうすぐもり 春の風邪底の見えくる砂糖壺 五月雨のミシンをかけてワンピース 本句集の装釘は第1句集『雛納』と同じデザイナーの君嶋真理子さん。 そして前回とおなじくフランス装である。 井田さんは感性の作家です。自身のアンテナに触れたものをことばに変えて、俳句を詠み続けて来ました。「春は泡」と端的かつ詩的に表現したこの作品の誕生に居合わせたことを幸福に思います。(笹本千賀子) 帯に書かれている。 魂は涼しきものや美術館 「美術館」のあっけらかんさに驚いた句。魂が涼しいものか熱いものかあるいは生ぬるいものかちょっと分からないけれど、たしかにだだっ広い美術館のなかにいると「魂は涼しき」と思えてくるのかもしれない。だが、美術館に展示されているものには魑魅魍魎が宿っているものもありそうだ。そうなると魂は冷え冷えとしてきそうであるが、あくまで器としての美術館であることが有無を言わせない感じ。
by fragie777
| 2017-01-30 22:06
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