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ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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西脇順三郎と芭蕉

1月29日(日)  旧暦1月2日


西脇順三郎と芭蕉_f0071480_22044691.jpg
東京タワーのみえる慶應大学前の通り。

今日は慶應義塾大学アートセンター主催による「西脇順三郎 生誕記念 アムバルワリア祭Ⅵ」の「西脇順三郎と芭蕉」という公開講座(?)に行く。

西脇順三郎と芭蕉_f0071480_22044136.jpg
慶大キャンパス。

西脇と芭蕉について、詩人・俳人による発表があり、登壇するどなたもふらんす堂にご縁の深い方々ばかりである。

そのレポートを簡単であるがすこし紹介したい。
きっとこの登壇者によるお話は纏められると思うので、是非にそれを読まれることをおすすめしたいが、まず。

まずは、西脇順三郎の研究者として知られる新倉俊一氏の司会によってはじまった。

西脇順三郎と芭蕉_f0071480_22045156.jpg
「この会を通してこれまでの西脇観が一変されるような会にしたい」と新倉氏は語られた。


最初の登壇は詩人の吉増剛造氏である。

西脇順三郎と芭蕉_f0071480_22045572.jpg
まずは詩人の吉本剛造氏による「雑神と雑草」。10年前に山寺に行った時のフィルムを映像を公開しながらご自身の西脇体験を語った。18歳の時に西脇順三郎の詩を読んで脳髄が麻痺してしまうほどの衝撃を受け西脇の詩を暗唱してしまった。その体験から今詩人をどう思っているか。言葉の奥にあるもの、あるいは音、感触、言葉を超えてゆくものを西脇の詩にふれ芭蕉の俳句にふれ、柳田国男の西脇への影響などに言及しながら、生きることの隠された奥義をふっと垣間見せてくれるようなお話だった。
それは会場のわたしたちを魅了するのに充分だった。
「人間存在の寂しさ」なんていう言葉ではとても捕まえられないもの、それがありそうだなということに気がついて、なにか変なところで気になっている、西脇さんの言葉のなかにそういう気配はないかなあと幾つか何かひっかかっているんですよ。詩を読むということはそういうことですから。
だからたとえば、「正月三田」の詩の

 眼だけ残っている
 考えることも感じたりすることも
 危険な海の限界線である
 友人からもらった梅に白い花が
 咲きかけたこの暗い室で
 この山の上で人生を終わることは
 情(なさけ)ないことだがしかたない

こういう口調がとても頭に残るんですよ。「情けないことだがしかたがない」という他の口調とは違う少しなんかねえ、捨て鉢ないやもっと深い、そうしたところに寂しさと言うよりももうひとつ違う寂寞たる自負(?)というよような原始的な動物と子どもの間にあるようなそういうものが現れる。
それはただ寂しいなどというありきたりなものでなく、「動物的と子どもの間にあるような原始的な寂寞感」というようなもの。言語の香りのたつ、あるもの、そして芭蕉のキイワードのひとつは病である。

 病雁の夜寒に落ちて旅寝哉
 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

西脇順三郎と芭蕉_f0071480_22072984.jpg
吉増さんの資料である。
びっしりと言葉が書き込まれているが、これ自体が資料の枠をこえて作品となっている。





そして俳人の高柳克弘さん。

西脇順三郎と芭蕉_f0071480_22050140.jpg
俳人の高柳克弘さんは「旅人ふたり」というタイトル。まず西脇順三郎の俳句への影響として、高柳さんの俳句の師藤田湘子が西脇の詩の理論に共感して「想像力の回復」を唱えたと言うことを紹介した。芭蕉の俳句における取り合わせについて句をあげながら、芭蕉における「取り合わせ」とは技術論ではなく認識論であることとし、西脇がその観点から鑑賞している句を紹介し、西脇の芭蕉理解が高柳さん自身にとっても刺戟的なものであることを示した。また西脇の「旅人帰らず」の詩を紹介し芭蕉あるいは陶淵明への思いが込められていると語った。芭蕉における淋し、西脇における淋しは、旅人が究極的に行き着くところではないか。それはただの淋しということではないということを見つめる必要があると。一個人の感情としての寂しさというよりもあるいは自分の目から見た寂しさというより何か高みからみたもう一つの眼からみた寂しさではないか。芭蕉と西脇はその「もう一つの目」を持っていたのではないか。


芭蕉の俳の精神的意味は栄達利得の世界に対する一つの抵抗である。自然詩も一つの抵抗であるから、芭蕉の俳句は二重の抵抗を示して一つの強力な抵抗となる。「はせをの芸術」
西脇(……)俳諧というのはげらげら笑うことじゃないんですよ。かくれていくほうが高度なんですよ。ほんとうの俳諧というのはさびしさをもっていなければならない。
(座談会・加藤楸邨・西脇順三郎・安東次男「芭蕉の俳句」
芭蕉の「淋し」として
 見送りのうしろや寂し秋の風
 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
 手にとらば消えん涙ぞ熱き秋の霜
 塚も動け我が泣く声は秋の風
 寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋





最後は詩人の杉本徹さん。

西脇順三郎と芭蕉_f0071480_22050426.jpg
タイトルは「超『名利栄達』主義詩論」
芭蕉と西脇は250年の差がある。西脇は晩年になるにつれて芭蕉にのめりこんでいった。その要因は直接的には加藤楸邨との出合いと交流が大きかった。
「名利栄達」という意味は、単純に名誉とか名声を求めると言うことだけでなく人間社会全体の生存競争的な営みのすべてあるとし、詩によってそういう現実は超えられなくてはならないものと捉えられている。最初は「超現実主義詩論」であったものが、半世紀ほどの歳月をかけて「超名利栄達主義詩論」となっていった。これがはっきりと顕わになっていく時期と芭蕉にのめり込んでいく時期があきらかに重なっていく。西脇は芭蕉を二つの側面で捉えていた。それは「不易」の側面と「流行」の側面と。
「不易」においては自然詩人としての側面、芭蕉の背後に老荘思想と陶淵明という二つの存在を見、その自然詩人的な在り方を「風雅」として受け継いでいく、晩年の西脇は芭蕉を直系の先達として畏敬していたのではないか。
「流行」の側面として芭蕉を俳諧の詩人として捉えている。俳諧とは滑稽諧謔の意味であり、名利栄達の世界を俳諧精神で笑いとばす、そういう意味における「流行」。
現実の変化によりそい同化し変化そのものとなっていくなかに不易の道を浮かび上がらせる。そのような変化を志す。芭蕉から250年ののちに生をうけた西脇順三郎という詩人が実現したのは、口語自由詩というスタイルでも芭蕉詩学のかなり正統的な継承ではないか。

 狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉

ひとすじの細い道につらなる芭蕉の覚悟の詩であり、芭蕉から西脇へと時代を貫通しているこの凩の音、自然詩人の道の音、を一瞬でも感じとって欲しいと思います。熱く語った杉本徹さんだった。






感想から言えば大変面白かった。
ただ、どなたも時間が足りなかったのではないだろうか、もう少し、お一人お一人にたっぷりと話して欲しかったとも思う。
最後の質疑応答も良かった。これは吉増剛造という詩人が並大抵の詩人ではないことを感じさせるに十分なそんな質疑応答となった。
なんなのだろう、吉増剛造という詩人は、、、、




そうそう、存じ上げている方々がたくさんいらしていた。

このブログを見てと言う方も何人かいらしてお声をかけてくださった。

また若い俳人さんもいて、

存じ上げている詩人の方々もいらした。

それぞれの方に感想を伺いたいところである。





会が終わって急いで仕事場に向かったのであるが、その前にどういうわけかラーメンが無性に食べたくなってしまった。仙川に最近美味しいラーメン屋さんができたのでそこに入ってラーメンを食べた。
ラーメンは本当に久しぶりである。
わたしは一杯500円の豚骨ラーメン(それがいちばんポピュラー)を頼んだのだが、ほかのお客さん達は、麺は◯◯、茹で方は◯◯、味は◯◯、替え玉◯◯といろんな注文をしている。(へえー、そんなにいろんな食べ方があるんだ)びっくりしたyamaokaであった。

ラーメンをぺろっと平らげたあげく、今度はコンビニによってアイスクリームを買った。「ノワールショコラアイス エクアドル産カカオ」っていうヤツ。ドミニカ産っていうのもあったけど、エクアドル産にした。

カロリーの高いラーメンとチョコアイスを食べてしまった。

これも芭蕉と西脇の所為かもしれない、

って、いったいどんな因果関係よ。。。。。。










 

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by fragie777 | 2017-01-29 22:47 | Comments(2)
Commented by 蓬 at 2017-01-30 14:13 x
高校の国語の授業で、西脇順三郎の詩を習いました。「太陽」「天気」「雨」という詩です。詩は苦手でしたのに西脇順三郎の詩には感じるところ大だったこと、「太陽」の感想を書いて、どういう訳か小室善弘先生からA+のお点をいただいたことを、懐かしく思い出しました。
また、西脇と芭蕉との取り合わせに、今細々ながら俳句と係っていることの不思議を感じます。

最後に、体重をお気になさることなく豚骨ラーメンとアイスクリームを召し上がれるyamaokaさんを、たいへんたいへん羨ましく思いました(^_-)-☆
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Commented by fragie777 at 2017-01-31 21:07
蓬さま

いやいや豚骨ラーメンとチョコアイスはその結果天罰がくだり、体重が増えました。

どちらかにするべきでした。

コメントをありがとうございます!


(yamaoka)
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