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1月13日(金) 旧暦12月16日
スペイン・セビリアのスペイン広場。 1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場としてつくられたもの。 建築家アニバル・ゴンザレス。 以上はわたしのにわか知識である。 今日は京王プラザで俳人協会の「新年の集い」があった。 「俳句をユネスコ無形文化遺産に登録をという動きがあります。そういう文化にたずさわっているという意識でつくっていきたいと思います。」 第23回俳句大賞と第3回新鋭評論賞の授賞式もあった。 夕張の闇の真中に踊の灯 で、第23回俳句大賞を受賞された後藤ひさし氏。今日は北海道・夕張から来られたという。 夕張は今日は零下16度とのこと! 演劇が専門で大学ではフランス語を教えておられるとのこと。 さてと、 今日はまだまだ「通信」編集期間である。 今日も遅くなりそうである。 そうだ、思いもかけない素敵なプレゼントをいただいた。 「鷹」の若手俳人で、このブログにも登場したことのある(ふらんす堂友の会の会員にもなって下さっている)蓜島啓介さんが、すばらしいピアニストであることが判明。 ご自身が演奏するシューマンとリストのピアノ曲のCDを送ってくださった。 ひゃあー、とわたしたちはびっくりしてさっそく仕事中であるけれどかけた。 そして仕事をしながら聴いた。(仕事しながらでごめんなさい) 「ああ、いいですねえ。仕事がはかどるう!」とあるスタッフ。 「ああ、なんだか落ちつくわあ」とあるスタッフ。 「クラッシックもいいもんですねえ」とあるスタッフ。 そんな感じで、がさつなふらんす堂に静かにピアノ曲が鳴り渡ったのである。 で、 蓜島さんの経歴を見て、これまたびっくり。 ここでつまびらかにはあえてしないけど、なぜかっていうとそのきらびやかさに頭がクラクラしてしまうから。 T大学のH学部を卒業しいまやB護士。(ってわかっちゃうか。。) そしてピアニストであり指揮者もつとめられている。 俳人としても「鷹」で有望な新人として一心に期待されている。 し、しかもである。これも公開はしないが、CDジャケットにご本人がいるんだけどなかなかのイケメンである。 「なにもかも持ち過ぎ!!」とスタッフのPさんが叫んだ。 わたしたちもふか~く頷いたのであった。 新聞記事を紹介したい。 すこし前になるが7日付けの東京新聞の川口晴美さんによる「詩の月評」に、小社刊行のそらしといろ詩集『暁を踏み割ってゆく』が紹介されている。タイトルは「素敵な詩との出あい方」。全文を紹介したい。 私たちが詩と出あう場所はいったいどこにあるだろう。 たとえば放課後の教室。先輩が置いていった教科書で読んだ吉野弘の「I was born 」を私は忘れられない。 「……受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ」という一節の無邪気で残酷な響きが、午後の光に似た重さで制服を着た高校生の身体に染み入ってきたこと。 たとえば新聞の片隅。昔、地方紙に載ったコラムで紹介された辻征夫の「落日――対話篇」が気になった私は、大学進学後に東京の大きな書店でその詩の入った詩集を買った。ノートに挟んだ新聞の切り抜きは、ずっとそのまま。 現在、町の書店で手に取れる詩集は少ない。だが詩人は今も現在進行形で活動しているのだ。〈文学フリマ〉や〈ポエケット〉という文学系の同人誌即売会に行けば、自ら詩誌や詩集を売る詩人たちの姿も見られる。紺野とも作『きゅん』は昨秋、東京での文学フリマで私が買った一冊。開くとハート形になる表紙デザインは、詩人のカニエ・ナハが手がけた。詩が書店で流通しにくいならいっそ書店には並べられない凝ったモノを、少部数でも手作りで届けようという気概が感じられる。 紺野の第3詩集『海峡よおやすみなさい』(港の人)なら、書店で注文できる。お菓子や化粧品などの固有名詞、パソコン用語も自在に織り交ぜたドライブ感あふれる言葉の流れに、東京という都市で仕事をし、恋をする日々の痛々しさや切なさが、きらきらと瞬く。 繊細なレースを思わせるカバーが詩に似合っていて、素敵。 魅力的なモノとして存在感ある本を手に取り、詩と出あうのは格別な喜びだ。そらしといろの第2詩集『暁を踏み割ってゆく』(ふらんす堂)は、青井秋のカバーイラストのイメージと言葉の透明感が溶け合い、詩の世界へと誘う。 「萌え」をテーマに、儚い輝きで彩られた「僕」や「君」の一瞬の場面が、ガラスで切り取ったように鮮やかな断章形式で綴られ、甘く、苦く、胸がときめく。 この連載を、詩や詩人と様々な形で出あえる場所にしていきたい。 13日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、草深昌子句集『金剛』より。 うれしさはひつくりかへる歌留多かな 草深昌子 歌留多取りの場面。あまりに勢いよく取ったので、隣の札がひっくり返ってしまった。しかしこの句を読めば、札がうれしがってひっくり返ったようではないか。命なきものにも命がやどる。これも言葉の力の一つ。句集『金剛』から。 ちょっとまたスペインのことね。 セビリアでは、高い鐘楼に登った。 はあ、はあ、言ってアール体で登ったの。 大聖堂に隣接していて、セビリアの象徴的搭となっている。 かつては驢馬も登ったという塔は、頂上まで階段がなく、ひたすらゆるい傾斜を登っていくのである。 四角い塔なので、そう、35回ほどだったかしら角を曲がって行った。 今回の旅行は天候に恵まれどこもおおむね晴れて暖かかった。 これはわたしの日ごろの行いとは絶対に関係しない。 断じて、命かけて、そう思う。 ということは、日ごろの行いがどれほど御粗末かが分かるというもの。 反省しても反省しきれないyamaokaである。
by fragie777
| 2017-01-13 21:38
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