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1月10日(火) 水泉動(しみずあたたかをふくむ) 十日戎 旧暦12月13日
ふらんす堂は目下「ふらんす堂通信151号」の編集期間中で大忙しである。 助っ人愛さんもやってきて、いまなお熱心に校正中である。 その「ふらんす堂通信」に「蕪村心読」の連載をされている詩人の吉増剛造氏より、担当スタッフのPさんにカレンダーのプレゼントがあった。 あまりにも素敵なカレンダーなのでちょっと紹介したい。 きわめてシンプルであり、なんと(牛乳パック製)とある。 牛乳パックとはとても思えない、和紙のような風合いの手触りがあある。 やっぱり、良いなあ…… 今日も新刊紹介をしたい。 帯に「野鶯」発会八十周年を祝ぐ、とある。 80年とは長い歴史のある「俳句会」である。 俳誌「河内野」を主宰し、「野鶯」のメンバーのお一人でもある山下美典(やましたみのり)氏の「序にかえて」によれば、 野鶯会は昭和十二年に発会した句会で、来年「河内野」五十周年時には八十周年を迎える古い句会である。当然の如く会員の顔ぶれはすべて入れ替ってしまっているのだが、最初から十名を少し超す程度の会員数だったという点はずっと維持されているという。戦争の激しい時には防空壕に避難し乍らも句会を続けたという話も伝えられ、毎月の句会は続けられて来たと聞いている。いくら俳句好きと言っても結束力がなければそうは続けて来られないものと考える。この度第四集の出来るのも当然のように思われるのである。 戦前に発足し、戦時中も休むことなく続けられていたという。今回の参加メンバーはおおよそ10人、この数はメンバーが入れ替わってもほぼ変わらずに来たようである。 「序にかえて」よると、合同句集の第一集は昭和40年に刊行、第二集は昭和55年、第三集は平成2年、そして26年を経ての第四集のこの度の刊行となった。「この二十六年間の隔たりは野鶯会の顔ぶれを一変させる程のものとなった。」と山下氏は言う。しかし、 けれど伝統的俳句を一途に守って行きたいという気風は一貫したものがあり、いわゆるホトトギス俳句を中心にして作句上達のための集会を続けてゆく、この主旨は変わることなく続けて来たのである。「河内野」が五十年という大きな記念大会を迎えるに当り、我々の野鶯会は実に八十周年を迎える事になる。勿論これは一つの通過点であり、大きな足跡として「野鶯合同句集」第四集を刊行することになったのは大変意義のある事だと考える。 我々は今後も作句に努力し野鶯会を継続して、さらに百周年を目指し努力を重ねたいと誓うものであり、常に新しい会員を加えて新しく深い作句を目標に切磋琢磨を続けたいと決意するものである。 今回合同句集に参加された方々の作品を紹介していきたいと思う。 10人の方々がそれぞれ50句を寄せ、題名をつけその同頁に章題句を一句挙げている。 「河内源氏 」 山下美典(やました・みのり) 昭和3年(1928)生 大阪・八尾市在住 ホトトギス同人・河内野主宰 万緑や河内源氏の始祖の塚 寒林といへどほのかに色づきし 梅の香の日当る方へ濃く流れ 引鶴の一族といふ数で翔つ 平凡といふは逞し茄子の花 昭和2年(1927)生 奈良・奈良市在住 ホトトギス同人 丹頂の舞ふ雪原の煌めきに 柊挿す花街名残りの格子戸に 日を返し日を裏返し銀杏散る 齟齬多き介護の手順日短 酔ふ程に人褒め殺し年忘れ 「木下闇」 河野石嶺 (こうの・せきれい) 昭和7年(1932)生 京都・京都市在住 ホトトギス同人・河内野参与 下闇の精かとも見ゆ黒揚羽 読み返し諾ふ吉の初みくじ 吐く息も共に戦ふ寒稽古 息止めて聞く白梅の息づかひ 買ひ替へし眼鏡に灯下親しかり 「春の雪」 出水青陵(でみず・せいりょう) 昭和10年(1935)生 大阪・松原市在住 ホトトギス同人 丹比野の記紀の宮址春の雪 ゆれてこそ枝の先まで糸ざくら ひさびさの父に出合ひし紙魚の辞書 夕空の縫ひ目のやうに鳥渡る 電飾の御堂筋混む冬温し 「春愁」 西浦司(にしうら・つかさ) 昭和4年(1929)生 大阪・八尾市在住 河内野同人 春愁や楊貴妃観音伏し目なる 雪しろの色を広げて海に果つ 開扉して若葉明りのほとけかな 秋さぶや音を消したる余呉の湖 魚板の音鈍き音立て霜の朝 「木槿」 角野桂治郎 (かどの・けいじろう) 昭和13年(1938)生 大阪・大阪市在住 河内野同人 日替りに咲くだけ咲いて散る木槿 梅探るてふ俳諧の誘ひ水 蓮浮葉余白をうめる空の青 子蜘蛛とて一糸をたぐる登りやう 易易とゴンドラ霧におぼれゆく 風音を率ゐて神の還りけり 「句に遊ぶ」 堀江信彦 (ほりえ・のぶひこ) 昭和19年(1944)生 大阪・豊中市在住 河内野同人 句に遊ぶ浪花七坂翁の忌 一礼を返す下校子花蘇鉄 走り来てセーターの胸波立てり 網戸より出入り自在となる寝言 枝豆にひよいと飛び出す裏話 「花楝」 丸尾義男 (まるお・よしお) 昭和17年(1942)生 大阪・八尾市在住 河内野同人 大空に雲と溶けゐし花楝 膝元に油断のありしかるた取り 毛虫とて金色の衣まとひをり 風鈴の眠気をさそふ風であり おでん屋の年季と言へる合づちを 「闘牛」 梶田高清 (かじた・たかきよ) 昭和23年(1948)生 大阪・東大阪市在住 河内野同人 闘牛の返り血垂らし勝名乗り 三猿の世渡る術や年新た 海苔搔女夜は民宿の若女将 鞦韆を漕がぬ二人に世の更けて 昂ぶりの犬寝かし付く狩の宿 「冬桜」 中田豪起 (なかた・ごうき) 昭和17年(1942)生 大阪・大阪市在住 河内野同人 冬桜古刹の空を寂しめず 寒明といふもこころの解けぬまま 蝌蚪群れて暗さを深む山の池 蟇鳴けば山の水音のにごりけり しもつけの錆びてより情出でしかな この度、俳誌「河内野」の創刊五十周年を迎えるに当たり、相呼応するかに野鶯発会八十周年を迎えることとなり、記念して第四集を刊行することとなった。ただ、第三集に名を連ねられた方々のほとんどが鬼籍に入られ、わずかに美典先生と私が残るだけになった。(略) しかし幸いにも、河内野の次代を担う若い俊英作家の参加で、歴史と伝統は守り継がれている。この句集刊行を機に更なる精進を重ねられ、河内野の中心作家として活躍されることが、俳誌「河内野」の栄えある未来に繫がるものと期待している。 参加者のお一人である村上唯志氏による「あとがき」を抜粋して紹介した。 また、本合同句集は参加者のお一人である堀江信彦氏とのご縁によって実現したものである。堀江氏がふらんす堂にアクセスしてくださり、何度かのやりとりをしていくことで合同句集の刊行をお手伝いさせていただくことになった。正直なところ、私は不見識にも俳誌「河内野」も「野鶯の会」も存じあげていなかった。 この度のご縁によって、ホトトギスの伝統をつぐ歴史ある「野鶯の会」の合同句集を刊行させていただいたことを改めて御礼を申し上げたいと思う。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 グラシン巻き、糸綴じ製本の瀟洒な一冊が出来上がった。 80年の歴史をもつにふさわしい品格のある一冊となった。 今年の5月28日に、大阪帝国ホテルにて俳誌「河内野」創刊50周年のお祝いの会がある。 わたしもお祝いに伺う予定である。 きっとその時に、この『野鶯合同句集』にご参加されている俳人の方々にお目にかかることができるのではないかと今から楽しみにしている。 今日の「船団 ねんてんの一句」は、中原道夫句集『一夜劇』より。 握りては鳴かす雪玉さあ投げよ 中原道夫 句集『一夜劇』(ふらんす堂)から。感情の高ぶりが感じられて、雪玉が生き生きとしている。「さあ投げよ」は今から投げる、投げてこい、の両用に読めるが、私としては後者がよい。誰か(何か)を受け止める気配がいいと思う。 今日は十日えびす、久しぶりに大阪・今宮えびすに参詣して福笹をもとめたい。 そして9日の相子智恵さんによる「ウラハイ 月曜日の一句」は、和田耕三郎句集『椿、椿』より。 ひしひしと星哭く夜の寒の山 和田耕三郎 続きを読む→「ウラハイ 月曜日の一句」
by fragie777
| 2017-01-10 20:50
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