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1月8日(日) 初薬師 旧暦12月11日
ここにはたくさんの野良猫がいて、この猫もそのうちの一匹。 アルハンブラ宮殿はグラナダを代表する建物である。 1492年にカトリック教徒のイサベル女王に宮殿を明け渡すまで、スペインにおける最後のイスラム教徒の王国として輝かしいイスラム文化を築きあげたグラナダ王国の宮殿である。旅行ガイドによれば、 会見は無骨ながら、一歩中に入れば幻想世界が展開する、イスラム芸術の結晶だった。そのあまりの美しさに「王は魔法を使って宮殿を完成させた」とさえいわれた。 その魔法の一端を写真で示すことができればよいのだたが。。。 王は第一夫人から第四夫人まで持つことができたという。 それぞれに部屋がおなじようにある。 戦乱の世に子孫を残すためであるということであるが。 窓はすべて中庭に面している。 ライオンもすっかり牙を抜かれている。 この宮殿には部屋の随所に噴水があり、水は豊かに行き渡っている。 名前はたずねたところ、「白ポプラ」という返事だった。 名著『ゴヤ』などのを代表とするスペインについての多くの著書をものした作家の堀田善衛は、アルハンブラ宮殿についてこんな風に書いている。「グラナダに住むことは、生涯の夢であった」という一行から始まるエッセイである。 宮殿は、舟型の丘の上に位置していて、四季を通じて雪を頂くシエラ・ネバータの山脈から流れ下る二つの川にはさまれ、最高の導水技術を駆使して作りあげた、大理石とタイル、水と煉瓦と木材と、何十種類かの樹木と花卉(かき)による庭園のアラベスクのようなものである。砂漠の民にとっては、”水”は最高の贅沢であり、、二つの川の源泉の近いところから、長大な導水路を山腹に作り込んで、モーターも何もない時代に、この宮殿内と庭園とに、数々の噴水がしつらえられていた。 この宮殿を鑑賞し、かつての栄華をしのぶためには、庭ででも室内ででも、東洋風に坐ってみるのが一番よいのである。かつてのアラブの公達や王女、後宮の女性たちもすべて、クッションを敷いて腰をおろして暮していたのである。椅子、テーブルの生活ではなかった。 またこの宮殿は、外見がそのような印象を与える、防備のための城塞ではなかった。それはもっぱら生の愉悦のためのみに建てられたものであった。 (略) グラナダ王朝最後の王であったボブディル青年は、無血開城で城を去るに際して、涙を流して振りかえり振りかえりして、しかもその涙を女々しいと母親に叱られながら、二度とこのアルハンブラ大宮殿の見えなくなる”嘆きの丘”を越えて行った。(略) ロルカの詩に、 グラナダの水には 溜息ばかりが櫂を漕ぐ と言う、その所以の一つであろうか。 それにしても、首都も宮殿も持ったことのない、流浪の王と女王(アラゴン王フェルナンドとカスティーリア女王イザベル yamaoka註)に、この美と技術の粋を尽くした建築が、果たしてどんなものとして目に映じたかは、やはり尽きぬ感興を呼ぶのである。 この町に”グラナダ”と名付けた者が誰かは知らないけれど、グラナダ=柘榴の実、とは、如何にもふさわしい名であった。そのむくつけき皮のなかの真紅の実の数々にも似て、むくつけき赤褐色の外壁のなかに、あれだけのものを擁している町は、グラナダと呼ばれるに価している。 「生の愉悦のためのみ」の宮殿とは。。。。 確かにそうかもしれない。 享受するのはもっぱら男で、女はその供給者であったのかもよ。。。 この堀田善衛のグラナダについてのエッセイは、実はこのあとの「王と王女」の次女「狂女王ファナ」をめぐる話に展開していって、息もつかせぬ面白さがあるのだが、それはここでは紹介しない。
by fragie777
| 2017-01-08 23:18
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