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1月7日(土) 七草 旧暦12月10日
スペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿にて。 窓の外にひろがるのはグラナダの街。 わたしはもう20数年以上にわたって一ヶ月に一度整体師の片山洋次郎氏より整体を受けているのだが、今日はその日。 片山氏はわたしの身体にふれて、 「昂奮してテンションがあがりっぱなしですね。一度ゆるめてリセットしましょう」とおっしゃる。 「ああ、やっぱそうですか。夜眠れなくて」 「そうですね。寝ても眠りが浅いはずです。まだ旅行の昂奮が醒めないのでしょう」 ということで一時間ほど整体をうけてきた。 身体がかるくなり気分が大分落ちついて、帰りは眠くて仕方がなかった。 片山洋次郎氏は、野口整体の思想に触発されながら独自の整体理論を編み出した整体師である。 著書も多く、『整体 楽になる技術』(ちくま新書)、『骨盤にきく』(文春文庫)、『身体にきく』(文春文庫)などなど数え切れない。 その片山氏が、いつもわたしの身体を見て「丹田に力がありますねえ」と笑いながら言う。 わたしが時々このブログでも冗談のように「丹田に力がある女」って言うのは根拠あることなのよ。 その片山氏についてだが、わたしが片山氏のものの考え方で好きなところは「自然(じねん)流」であるということ。 わたしたちって多くの場合、こうでなくてはならないっていう考え方に縛られてしまいそれで自身を苦しくしてしまいがちなのだが、片山氏は「あるがままでいい」という。 と言ってそういうことを声高に言う方ではなくて、その在り様や著書から伺い知るのである。 整体とは、自身の意識で身体を判断するのではなく、身体そのものに聞くということ。 すると自分が思っている身体とは違う声を身体が発しているのである。 さて、新聞に掲載された記事について紹介したい。 12月26日付けの讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、中原道夫句集『一夜劇』より。 スウェターは悉く穴穴を着る 中原道夫 セーターは穴でできている。セーターを編むとは毛糸で次々に穴を作ってつないでゆくこと。その多数の穴が空気を溜めて温め、人間の心と体を寒さから守る。というべきところを一挙にいったところがこの句の要。句集『一夜劇』から。 おなじく讀賣新聞の同じ日の「枝折」には、大島史洋著『斎藤茂吉の百首』が紹介されている。 医学生だった明治末期から晩年の昭和25年の作まで、全17冊の歌集から100首を選び、茂吉の人生をたどる。 27日の讀賣新聞の仁平勝さんによる「俳句とことば」には、 中原道夫句集『一夜劇』の評が載っている。他の句集とともに全文を紹介したい。タイトルは「命の重さ リアルに表現」俳句の主題とその表現について考えてみたい。 正木ゆう子が句集『羽羽(はは)』(春秋社)に、母親の死を詠んだ一連がある。とりわけ「尋常の死も命がけ春疾風」「死にゆくに息を合はする春の星」「今生の息を噛みしめたる暮春」など、臨終の場面をリアルに表現した句が印象的だ。 主題は、作者の悲しみではない。命というものの重さである。 天寿を全うした死を「尋常の死」としたうえで、その最期を「命がけ」と詠んでみせた。逆説ともいえる措辞に、一度きりの生が凝縮されている。 その「命がけ」の息に、自身の「息を合はする」ことで、文字通りふたりが一体となる。息を引き取る場面を、」「今生の息を噛みしめ」と詠んだ例をほかに知らない。絶唱である。 中原道夫句集『一夜劇』(ふらんす堂)は、「景にさへ貸し借りのあり松の芯」「夏近し磁石のSとS不仲」など、俳諧味のある作風が持ち味。借景という造園法を世俗の「貸し借り」に、S極どうしの反発を「不仲」に転化している。 一方で、パリ同時多発テロの直後に現地で詠んだ句が収められている。 「血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は」の句は、前半の常套句が「絨毯」という日常を通して、比喩から現実に転化する。俳諧的手法の変奏といえる。「主犯にも新年圍むはずの家族」の句は、そこに善悪を持ち込まない。主題は、異常な殺戮が日常と同居している理不尽さである。 高野ムツオ句集「片翅(かたはね)』(邑書林)は、「地震の話いつしか桃が咲く話」「人住めぬ町に七夕雨が降る」など、自身が身近に体験した東日本大震災を詠み続ける姿勢を貫いている。 「地震の話」が「桃が咲く話」に変わるのは、いわば生活者の無意識の知恵である。逆境を克服していくには、そうやって災難の苦痛を日常の中に解消していくしかない。 放射能汚染で「人住めぬ町」になった、その責任を問うのではない。以前と同じように、七夕が来て雨が降る。ただし、その町には生活がない。そういうアイロニーである。 紋切り型の主張は俳句にならない。俳句の主題は、もっと微妙な感情を読者と共有することだ。 グラナダについては明日もう少し紹介したい。
by fragie777
| 2017-01-07 23:09
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Comments(4)
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moriya-yamaokaさん
まねをして丹田に氣合をかけてみました。効くやうです。 「丹田に力を込めし老いの春」(kensuke)
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kensukeさん
丹田に力があるかどうかは、本人はとんとわからないのです。整体師の片山さんがわたしの身体にふれてそう言うのです。 本人の意識とは別に身体は身体の声がある、それを聞くことが「整体」であるとわたしは考えております。 興味があるなら片山洋次郎さんの著書を読まれてみては。 斬新な身体論のようです。 (yamaoka) ![]()
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