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12月23日(金)天皇誕生日 旧暦11月25日
午前中に仕事をし、昼食後は抜け出してクィーンズ伊勢丹の二階にある茶房で一時間半ほど本を読んで過ごす。 ここ数日のうちにどうしても読み上げてしまいたいのである。全四冊本のうちやっと四冊目に入ったところ。 ここの茶房には始めて入ってみた。 お茶を飲ませるところらしいとは察していたが、メニューにあるのは聞いたことのないような不思議な飲み物ばかりである。 「人気、おすすめ」と書かれた一行目にある「岩塩チーズ鉄観音茶」というのを頼んでみた。 それがこれ。↓ 飲み方もあるらしい。 この通りにやってみたのだが、なかなか美味しいぞ。 お値段は一杯500円(税込) 女性客が多く、ゆっくりと本を読んでいられるというのもいい。 仙川にいらしたら、ご案内しますわよっ。 新刊句集を紹介したい。 著者の上中光(うえなか・てる)さんは、昭和7年(1932)和歌山県生まれ、和歌山市在住。平成6年(1994)「狩」入会し、平成15年(2003)「狩」同人となる。本句集は平成6年から27年の21年間までの作品を収めた第一句集である。序句と帯と鑑賞2句を鷹羽狩行主宰が寄せ、跋文を桑島啓司氏が寄せている。 杉の秀の上は天なり秋高し 狩行 葉先よりこぼれ螢となりにけり こぼれて分かる螢の美しさは、たちまち消えてしまう美しい虹のようだ。 コスモスや思ひ思ひの風えらび 一面のコスモスが風によって、てんでんばらばらに揺れている。まるで万華鏡。 杉箸の香りを割つて冷奴 「香り割つて」が眼目であり、香りが冷奴の味覚まで連想させて涼しげ。 夢や希望といった美しいものを求める姿勢が、著者の根幹にあることが伝わってくる楽しい一冊である。 「鑑賞二句」からは一句のみ紹介。 齢問へば十指ひろげて生身魂 お盆で年長者をもてなしているところ。浮世のことを何も彼も忘れてしまったおだやかな顔の生き仏のような人。いくつになったのか訊くと、童のように十本の指をひろげた。百歳になるという。少し恍惚気味の無邪気な生身魂の姿が浮かぶ。 本句集には、おなじ和歌山支部で句座をともにする桑島啓司さんが昵懇な跋文を寄せておられる。 抜粋して紹介したい。 爽やかや吉野は杉の秀を正し 吉野杉は日本三大美林の一つに数えられる銘木で、奈良県吉野郡には現在も樹齢四〇〇年の杉が残っている。その杉がすっくと姿を整えている様を肩肘を張らず捉えたところが実に爽やかである。この句は狩近畿大会で狩行主宰の特選に入った。 「狩」入選八〇六句の中から抽出した、三四二句には繊細な気息、時に華麗に時に剛直に、対象を描き続ける精神力が凝縮されている。これは日本舞踊で鍛え上げた芸魂によるものであると確信する。上中光さんの作品を読み続けて二十二年の年月が経った。この度、御主人の励ましにより、句集『杉の秀』が誕生することになり、俳句仲間の一人として、この上ない歓びに浸っている。 この句は本句集の集名となった一句である。 本句集の担当はPさん。Pさんの好きな句を紹介したい。 夏つばめ農家は吊すもの多し 台風が来る機関車の胴震ひ 丁寧に食べし蜜柑の皮たたむ 花柄の散るほど打たれ干蒲団 乱れずに鳩立つ十二月八日 爽やかや吉野は杉の秀を正し 水温む鱏はマントをひるがへし 儘ならぬこと多々ありて穴惑ひ 遅れ来て月の大きなことを告ぐ 綿虫やあるかなきかの風の中 平成六年三月、かねてから知り合いの桑島啓司氏より、狩和歌山支部の行事、和歌山市加太「淡嶋神社で行われる雛流し神事」の吟行へお誘いを受け、初めて狩行先生にお目にかかり、その後の句会にも参加させて頂き「狩」に入会しました。その年の六月号に入選した「おみくじをしつかと結び芽吹く枝」が懐かしい思い出となり今日に至っております。 それから、「狩くらべ」「狩同人総会」「狩関西句会」など、各地の句会に参加して参りました。 句集名「杉の秀」は奈良県東吉野村での狩近畿大会で、狩行先生の特選をいただいた「爽やかや吉野は杉の秀を正し」からとりました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 上中光さんは、今年で84歳になられる。60代で始められての第1句集、感慨深いものがおありだと思う。 夏つばめ農家は吊すもの多し 身の上は語らずじまひラムネ飲む 膝のばすたび骨の鳴り半夏生 名刹の裸電球かなかなかな 落蟬の生きてゐるいや死んでゐる 腕白も利口もわが子豆の飯 立冬や背筋のばせば影も伸び 御自愛の程をと言はれ麦こがし 逸るる矢は田の神が受け弓始 対岸に鉄打つひびき葦の角 家中に風を通して更衣 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 「杉の秀」という集名から、杉の色にちかい濃い緑色と藤色の二種類の色校正を用意した。 上中さんは、「藤色」がお好きということ。 「杉の秀というタイトルなのに藤色はへんかしら?」とおっしゃったのだが、色校正をご覧になってやはり「藤色」の方を選ばれたのだった。 わたしたちも「緑色」ではちょっと当たり前かなと思っていたので、「藤色」はかえって新鮮だった。 タイトルは金の泊押し。 糟糠と夫がのたまふ芒種かな 「糟糠」とは「酒粕とぬか」のことだが、これはきっと「糟糠の妻」の「妻」が省略されている。ご主人が笑いながら上中光さんを「糟糠の妻だね」と、からかうように言われたのかもしれない。そんなこと言われたって、妻の方は傷ついたりはしない。余裕である。「芒種」という大きな時空を感じさせる季語を配したのがいい。とぼけた味わいがあり、ながい歳月をともにしたご夫婦のゆるぎない信頼関係がそこはかとなく伝わってくる。 「糟糠の妻」を電子辞書で引いてみた。 「後漢書(宋弘伝)」貧乏な時から連れ添って苦労を共にしてきた妻。 これは広辞苑。 (「糟糠」酒かすと米ぬかのことで、そまつな食べ物の意)貧しいときから苦労をともにしてきた妻。そのような妻は、裕福になってもたいせつにしなければならないという意味で使われる。 これは標準国語辞典。 うむ。 あくまで男の視点での物言いである。 「たいせつにしなければならない」とあるのは、「たいせつにしない」男が多いんだろう、きっと。 ただし(この接続語妥当か)、女の身であれば、「糟糠の妻」ってはあまり言われたくない、な。 イメージがね。 色香がぬけてすっかり古びてしまった感があるじゃない。 「糟糠の妻」なんて言われたくないわよねえ。 いや、考えてみるといろんな意味でわたしにはその資格(「糟糠の妻」たる資格)がないかもー。。。 まっ、いいや。
by fragie777
| 2016-12-23 19:29
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