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12月12日(月) 熊蟄穴(くまあなにこもる) 旧暦11月14日
このブログに材木座海岸のウインドサーフィン風景をアップしたところ、俳人の仙田洋子さんや折勝家鴨さんから、ウインドサーフィンをやれって勧められる。 とんでもない。。。 いったいどこにそんな時間が、、、 日々死に物狂いで仕事をしてるんですってば。。 呑気に見えても。 ウインドサーフィンは、彼岸のたのしみとしてとっておきましょう。 ウインドサーフィンのようなまぶしいスポーツではなく、太極拳のような宇宙の気息に呼吸をあわせてゆったり体を動かすような運動の方が老体には合ってます。 仙田さんも家鴨さんもお若いですこと! 今日は新刊句集を紹介したい。 著者の中村光声(なかむら・こうせい)さんは、昭和22年(1947)東京生まれ、現在は東京都江戸川区在住。東京人である。平成19年(2007)「河」入会、平成21年(2009)「河」同人、平成23年(2011)「第32回角川春樹賞受賞」、平成24年(2012)「河 角川源義賞受賞」、平成28年(2016)「第15回銀河賞受賞」、現在は「河」(角川春樹主宰)の編集委員でもある。 本句集に角川春樹主宰が懇切な跋文「花といのちと挽歌の詩系」を寄せている。 本句集は「聲」という集名であり、「水の聲」「天にこゑ」「母のこゑ」「春のこゑ」「雁のこゑ」の5章からなり、「聲」が全体を貫いている。 「聲」が象徴するものは何か。 跋文を紹介したい。 ひた走る水の聲あり夏木立 句意は、夏木立の中に立っていると水が流れていくように感じられる、ということ。右の句は、「河」作品抄批評に取り上げられた中村光声の記念碑となる作品。 中村光声の処女句集『聲』は、「水の聲」「天にこゑ」「母のこゑ」「春のこゑ」「雁のこゑ」の五章からなる。この内「天にこゑ」「母のこゑ」「雁のこゑ」は、死者たちの声である。歌人の福島泰樹さんの随想集『追憶の風景』が刊行され、平成二十八年三月二十日の朝日新聞のインタビューで、次のことを語っている。 「この年齢になってありがたいのは、思い出がいっぱいあること。思い出に向き合うことが、どれだけ楽しくて豊かなことか。記憶の中の死者は死んでいないのです」 私もそう思う。生者は死者に生かされているからである。 「聲」とは、生者と死者にまつわるさまざまな思い出であるのだ。本句集には生者と死者の領域の境界線がない。時としては死者の声の方がリアルに届く。死者たちの声にこころを通わせながら今を生きる著者である。 空蝉の眼にヒロシマの空澄めり 日の名残り路地にありけり健次の忌 敗戦忌軍手の色の日暮来る 天にこゑ泰山木のひらきけり (ロダンの首泰山木は花得たり 源義) 壊れゆく母抱き母の髪洗ふ 羅針盤すべて過去さす星月夜 雁月夜いのちふたつの過(よぎ)りけり (’悼 森澄雄先生) 夕鶴忌花野の雨となりにけり (「夕鶴忌」は、歌人辺見じゅんさんの忌日) 母恋へば秋海棠(しゅうかいどう)より昏れゆけり 藤の実や日の当りたる母の部屋 生きるとは大きな遊び実南天 雪来るか軍手がドアをノックする 箱船のごとくバス来る聖夜かな 父の日の大き夕日が椅子にあり ふたたび角川春樹主宰の跋文を抜粋して紹介したい。 句集『聲』の一番の特徴は、死者たちを偲ぶ「挽歌」を中心に据えたことである。(略)句集『聲』には、二百三十三句が収録されているが、「原爆忌」「敗戦日」「東日本震災忌」を含め百句が「挽歌」から成る。その中には、中村光声の父と母、太宰治、寺山修司、石田波郷、森澄雄、辺見じゅん、わけても中上健次に対する追悼句が圧倒的な位置を占めている。 と記し、 冬の雁光りのこゑを残しけり 句集『聲』の全体を眺めて言えることは、源義がこころざした「抒情詩の恢復」の、正統な後継者の作品集と断言出来ることだ。 と書くことによって本句集『聲』を抒情詩の系譜に連なるものとして位置づけている。 後半の句を紹介したい。 コンビニの離陸しさうな花月夜 蝶一頭追ひて彼(か)の世へ深入りす 修司忌やエンドロールに傷の雨 父の日といふ平凡な一日かな あぢさゐのうしろは海の暮れてをり 八月の少年蟬になりしかな カーブミラーに振り切る秋思ありにけり 文化の日椅子軋ませてカレー喰ふ 冬日差すテラスに父の椅子を足す 弥彦嶺(やひこね)に遠くしづみぬ冬オリオン (悼 本宮哲郎氏) 平成十七年一月、故本宮哲郎氏の句集『日本海』をたまたま読み、導かれるように平成十九年四月、結社「河」へと辿り着いた。そこで、角川春樹主宰の「魂の一行詩」運動に参画する機会も得て、俳句は一種の運動の中で作られる時、熱気を持つのだと確信した。 思い返せば、私が学生のころ、我が家では月一回、母の催す句会が開かれていた。俳人という風貌の男女が集まり、短冊に筆で句を書き、廻しながら選句をしていたのを覚えている。あるとき母の遺品の中に、句友の方々が、私の娘たちの誕生を詠まれた祝句をみつけた。母は俳句を通して充実していたのだと思った。 時が巡り、私も俳句の世界に入り、良き師に出会い、良き句友にめぐまれた。今般、妻の一言に背中を押され、表現者の証しとして句集上梓の運びとなった。 これからも精進を重ね、はるかなるものに「生かされている」という感動を、詩の言葉に昇華できるよう、心の若さを持ち続け、いつまでも青春でいたいと思う。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 太宰忌や昭和のひかり書架にあり 青春時代を昭和の高度経済成長時代に過ごされた中村光声さんである。若者たちは元気よく明日の未来を信じそして自身を束縛するものに反発抵抗した。若者は総じて未来の時代へのオプティミズムに貫かれていた。中村さんにはその青春期におけるロマンティシズムがいまもなお息づいているように思える。とこう書くわたし自身もあるいはそうなのかもしれない、とふっと思った。余談ではあるが。 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 「聲」という抽象的なものをどう形に表すか、そこが難しいといえば難しい。 鳥の図を配し、声を赤いメタル箔で押した。 「赤」が本句集をつらぬくテーマとなった。 布クロスも燃えるような赤である。 シャープな造本のフレキシブルバックである。 「聲」空押し。 背はカバーと同じ赤メタル箔。 扉はモノトーン。 生者と死者の声のハーモニーが織り成す句集『聲』である。 死者が呼び生者が応え、生者が呼び死者が応える。 彼岸と此岸を声が往来する。 本句集の担当はPさん。 Pさんの好きな句をあげたい。 ダンディズムとはもののふのパナマ帽 ニンゲンの管の突つ立つ原爆忌 革命があかんべしてる浮いてこい 秋蝶の触れたるものに触れにけり 青梅雨の夜がピアノを弾いてゐる 初雁のひかりとなりて過ぎゆけり 秋の蝶堕ちれば荒涼たる地平 今ここにゐる淋しさの蘆火かな まつすぐに花の師系を生きてをり カーブミラーに振り切る秋思ありにけり わたしは次の一句に立ち止まった。 三月十一日手紙のやうな雪が降る 「手紙のやうな雪」 この比喩をとても新鮮に思った。 この頃の雪は大きくてゆっくりと空から降ってくる。 いったいどんな伝言が籠められているのだろうか。 悲しみの雪ではなく、未来へ向けた救済の雪のように思えてくるのが不思議だ。 今日は税金を払い、多くではないがスタッフにボーナスも支給できた。 スタッフ達はとてもよく頑張ってくれている。 でもご存じ? 経営者ってボーナス貰えないんよ。 払うばっかり…… わたしもボーナスが欲しいなあ! ヤケクソで宝くじでも買うか。。。。
by fragie777
| 2016-12-12 19:42
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