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11月27日(日) 旧暦10月28日
![]() ![]() 「枇杷の花っていい香りがするわよ」って友人のRさんが教えてくれた。 「どこどこ…」とわたしは懸命に花の香りを嗅ぐ。 なかなか奥ゆかしい香りがただよってきた。 しかし、あとで友人のKさんが笑って言うには、私は匂いを嗅がんと鼻の穴の中に枇杷の花を突っ込んでいたのだそうだ。 (枇杷の花、可愛そうに……) ![]() 花の匂いを嗅いでいる友人たち。 この枇杷の花、わたしを含めた友人たちによって全部の匂いを嗅ぎ取られてしまったのではないだろうか。。。。 さて、中島みゆきの「夜会」であるが、 なんということよ、 開演時間に遅刻してしまった。 会場を間違えてしまったのである。 まっ、わたしの人生においてはめずらしくもないことであるが、「原宿のシアターで」という言葉を鵜呑みにして付いて行ったところ、なんだか閑散としている。 「あっ、間違えた、赤坂ACTシアターだ」ということでタクシーで駆けつけたのであるがすでに始まっていて、途中からの入場ということになったのである。 「夜会」 いやはや、下調べもなにもしないで行ったもんだから、こういうものとは知らず、驚いたしだいである。 どういうものかと言うと、中島みゆきによるミュージカル的演劇ともいうべきもので、タイトルは「橋の下のアルカディア」。 3人の登場人物を中心とした昭和初期あたりであろうか、しかし、時間はあってないようなもの、人柱がテーマであるような、猫と人間との絆がテーマであるような、わたしはてっきりコンサートのつもりであったので、(ホントもっと調べろよ)ともかく驚いたのである。 これはもうシャーマンみゆきの天啓をうけたストーリイ以外のなにもでもなく、奇想天外な芝居展開にそれはもう目を丸くして付いて行ったのである。やりとりされる歌詞は直裁的すぎる感があるが、中島みゆきをふくめ中心となる3人の歌唱力はすばらしく、旋律もよくて十分に聴かせてくれる。ともかく最後はゼロ戦が出てきてぶったまげた。 しかし、これは中島みゆきさまの有無を言わせぬ「夜会」であり、シャーマンによる託宣のような力強さのある「夜会」であった。 チケットはなかなか手に入らず、そして決して安いものではないが、会場は満席で熱気に満ちていた。 この「夜会」に魅せられた人はきっと癖になるかもしれない。 わたしは、生(なま)のみゆきさまを拝顔できたので、もういいわ。 顔が小さく身体は思いっきり華奢なのに、すこぶるエネルギッシュで最高の歌唱力だ。 その伸縮自在な歌声はわたしの脳下垂体を直撃し、目をつむればよみがえってきて身体を心地くしびれさせる。 ただものではないシャーマンみゆきである。 さりながら、今後は家で中島みゆきのCDを聴くことにしよう。 みゆき生洗礼をうけたわたしは、もうそれで十分かな。。。。 今日は髙柳克弘著『芭蕉の一句』より、11月25日のものを紹介したい。 本書は、2007年にふらんす堂のホームページに連載されたものを一冊としたものである。 若き俳人の髙柳さんが渾身の力をこめて取り組んでくださったものである。 凩に匂ひやつけし返り花 「後の旅』 「耕雪子別墅即時」と前書。冬枯れの大地を吹きすさぶ凩の中、ほのかに色づくものが見えたのは、このあかあかとした返り花だろうか、といった句意。帰り花とは、思わぬ陽気のために、季ならぬときに咲く花のこと。「匂ひ」とは、古典の世界では第一義には鮮やかな色彩のことをいう。もともと実体のない凩に「匂ひ」がつくとしたところにに、みずみずしい詩情が感じられる。この場合切字「や」は、かすかに疑問の意を含みながら、軽く切ることで調べをととのえる働きをしている。季語=返り花・木枯(冬) 12月がすでにもうそこまで来ている。 いやはや、 なんともである。
by fragie777
| 2016-11-27 21:42
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