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11月22日(火) 小雪 旧暦10月23日
今朝の仙川駅前。 アメリカ花水木の散紅葉。実も一緒に落ちている。 まるで雪のよう。 今日は二十四節気の「小雪(しょうせつ)」である。 北国では雪が降り始める季節であるが、まだ本格的な寒さにはならず、ちょっとした雪という意味らしい。 その「小雪」の季節であるが、ここ数日はあたたかい。 さきほど用があって近くのホームセンター「島忠」まで買物に行ったのであるが、コートを着ていると汗ばむようである。 このあたたかさがいつまで続くのだろうか。 新刊紹介をしたい。 『国立小曲』は、俳句、短歌、詩を収録した詩歌集である。 著者のゐどかやとさんは、1949年山梨県八幡村生れ。現在東京・昭島市に在住。集名の「国立小曲」の国立はおもに武蔵野を詩歌作りの拠点にされている所以だろうか。 本書は四六判ではあるかサイドをカットしてほっそりとした製本に仕上げた。ゐどかやとさんのご希望である。 活字を小さくして、余白をいかし、俳句、短歌、詩の三つのジャンルの作品が収録されているにもかかわらずたいへんすっきりした一冊となった。 ゐどかやとさんのなかに本書に対してのはっきりとした編集イメージがあった。それゆえ本書において詩歌のそれぞれの世界がお互いの調和を保っている。 句集は「雪を丸めて」と題され、春夏秋冬に分けて収録。歌集は「浮かぶ禿頭」と題され四つの見出しが付されて編集、詩集は「藍花の詩(うた)」と題され51篇の小さな詩が収録されている。 そしてそれらが「国立小曲」なのである。 それぞれの扉には、大竹雄介さんによるカットがあり、それもまた「国立小曲」の世界を作り上げている。 「雪を丸めて」と題された句集の扉である。 いくつか作品を紹介したい。 灯台は太くて白し海苔を干す 春の川まづてのひらを浸しけり かすみ草けふ定年の胸にあて 初夏の土塊を手にほぐしけり 蛍火の消えて男の立ちばなし うすものの二人に寄するさざれ波 雲ばかり見てゐて秋となりにけり てのひらの白きに蕎麦の実を零す 赤い羽根刺して胸から歩み出し マフラーを捲いて男を上げにけり 駅を出て近江の雪を丸めけり 大寒の靴下に五指ありにけり 平積みで売る時刻表春を待つ どの句も構えがなくて、季語がすっきりと定型のなかにおかれて無理がない。季感がよく胸にひびいてくると言ったらいいのだろうか。。 自然体の表情をしていて読み手にも無理をさせない。 本書におさめられた俳句以外のそれぞれの短歌や詩作品について、著者がいつどのようにして作られたか、わたしはあずかりしらないのであるが、俳句という定型は著者によく合っていると思った次第である。 歌集「浮かぶ禿頭」より作品を紹介したい。 誰がために山の蚕は糸を吐くせせらぎは吾に添ひて歌へり 鍵穴の深きを覗く昼つ方暗きあなより春の風来る わが歌の掲載されし新聞の折り目を合はせたたみ置くあさ 芋を食ふ嫗(おうな)に味を問ひたればいもいもしきと笑まひ答へき 腕時計のバンドの穴をひとつ詰め春一番の街へ出でたり わが生れし年を告げゐて券を受く六義庭園あぢさゐは濃し 両腕にあぢさゐ触るる坂道の木のまに見ゆる海のかがよひ 「お客さまカバーはおかけ致しますか」文庫売り場のレジに菜の花 どこやらに水の打ち合ふ音はしてたらの芽採りの人と別るる 秋空を仰ぎて死する蟷螂の色あをあをと玉砂利の上(へ)に けさ開く鏡に三つの顔あれば一つを掛けて街に出でゆく ひとりゐて家に餅(もちひ)を喰ふ夜は痰の詰まりし仏思へり じやんけんに負けてうれしいあつち向いてほい何処を見るも木槿は白し こころねのよぢれて固くなりゆくを宜しよろしと齢重ねる 牧水の影を踏まむと駈けよればかげはほどける朝明の夢 短歌も上手い人である。どんな景からも歌心は湧いてきて、それを一首にすることができる方である。 給はりし栃の実ひとつ窓に置くわれに詩心ありと思へば つまりはこの「詩心」が本書『国立小曲』を貫いているのである。 「クルミの殻に閉じこめられようと、無限の宇宙を支配する王者と思いこめる」と言ったかのハムレットのように、ゐどかやとさんは、「栃の実ひとつ」あれば、そこから俳句や短歌や詩を自在に生み出すことができるそんな詩人である。著者については詳しくは知らないが、会社勤めをし、家庭生活をいとなみ、やがて定年をむかえられた市民生活者であるとは思うのだが、資質としてボヘミアン的である。社会や生活との軋轢に喘ぎ、それとの格闘のなかで俳句や短歌をよみ詩をつくるのではなく、社会的桎梏から解き放たれた精神が詩をもとめてゆく、そんな詩人である。彼はだから詩歌の世界における束縛も好きではないし、序列や勝敗からも自由でいたいのだ。ある意味まさにピュアなる詩人である。俳句や短歌や詩をつくりたいから作る。 本書がどのように人に評価されようが、彼にとってそれも二の次である。 自身の生み出した作品を自身の好きなように編集し、それを自身で楽しむ、そんな人ではないだろうか。 詩の作品をいつくか紹介したい。 ハタノ老人 ハタノさんは 教え子の写真を眺めながら うれしそう 修学旅行のアルバムをめくって うれしそう ハタノさんは国語の先生だった ハタノさんは きょうも 教え子の写真を眺めながら うれしそう 老人ホームの大きな窓で オナガ鳥がシッポをふった 締め切り 締め切りに追われています せっかくお会いする約束をしたのに そんなわけで 会うことができません 締め切りに追われています わたしは元気ですが なにをするにも 要領が悪くって後手ごてで 部屋の戸を開けると 「締め切り」が立っています 詩人 そんなに遠くない むかし 男は小さな島に渡り 海を見おろす 墓のうらに廻った 墓のうらは白い光に満ちていた 海から つめたい風が吹きあげる墓のうらで 男は詩人になった 港の魚が夕日に跳ねた 昆虫図鑑 古本屋で昆虫図鑑をひらく なにかが動いた ゴマダラカミキリだ カミキリのヒゲだ 掌で押さえる カミキリのヒゲが動く へんなきもち いいきもち 図鑑を棚にもどす 掌にのこる へんなきもち いいきもち 手をかざすと 手をかざすと からだがほてりますか ………… 手をかざすと いたみがやわらぎますか ………… 手をかざすと ねむくなりますか ………… 手をかざすと こころがいやされますか ………… では最後の質問です 手をかざすと みずがながれますか はい 異常ありません 発音練習 アキエさんは今日もナツオさんに発音の特訓です ホジ ホズ ホンジ ホンズ ナシ ナス ナッス ナスゥ ホンズ ホズ ホゥズ ホンズァ ナァシ ヌァス ナズゥ ヌァスゥ ホとジの間にかるく ン を入れるきもちでね ホとジの間にきもち間をあけると自然に ン と聞こえるよ ジの発音はジとズの間で ナはそのまま シはシとスの間で 口はあまり開けないでね 舌はうわあごにつけないで鼻にぬけるようにビダクオンで そう フランス語のように ホジナシ ※ 「ほじなし」とは秋田の方言で、あほ、まぬけといった意味があります。発声の際は十分ご注意下さい。 一行詩を「随雲」に投稿し、詩歌に親しむ。歌人塚本邦雄、詩人大岡信の著書を師とし、ときに詩人宗左近の言葉を杖として詩作。所属結社等無し これは著者略歴に書かれたものである。 肩を並べ卓を囲んで句会を重ねた吟友のお一人おひとりに、こころよりお礼を申し上げます。 「あとがきに代えて」の言葉である。 詩歌はつねに著者の傍らにあって、光合成をくりかえし繭が糸を掃き出すように生みだされてきた。 本書はその集大成ともいうべきもの。 しかし、その集大成はまことに優しい表情をしてつつましやかに目の前にある。 ゐどかやとさんの詩歌集への造本の思いを具体化するべく助けたのは、装丁家の君嶋真理子さんである。 バクラムという紙クロス表紙に、黒メタル箔と型押しのみの垢ぬけたデザインである。 臙脂色はわたしのおすすめ。 見返しは羊皮紙。 扉。 ボールはチケン紙をもちいて思いきり薄くした。 重くれた本にならないよう、 それを心掛けた。 スマートでシンプルでモダンな一冊となった。 ゐどかやとさんはさきほどボヘミアン的であると書いたが、あえていえば都会派知的ボヘミアンである。 だから「国立小曲」という集名がよく似合う。 新しきスニーカーを履き軽やかに駅へと向かふ今日何処へゆく 思わず笑ってしまった。 まさにボヘミアン足りうる人である。 束縛から自由な風のような人だ。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」には、シリーズ自句自解1 ベスト100 『山本洋子』より。 大阪の大きな夕日お取越 山本洋子 浄土真宗の親鸞上人の命日は旧暦十一月二十八日。本山でこの御正忌に先駆けて、旧暦十月に末寺や門徒が営むのがお取越。大阪は昔から西の海へ開ける港。海の彼方に沈む夕日がみごと。自句自解『山本洋子』から。 明日は祝日。 ええっと何の祝日だったけ。 まっ、いいか。 休みであることには間違いなし。
by fragie777
| 2016-11-22 20:52
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