カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
1月17日(木) 金盞香(きんせんかさく) 旧暦10月18日
ということは、今日も都心に出たyamaokaである。 いつもより朝早く家を発ち、戸籍抄本をゲットしまっすぐに都庁に向かった。 そしてとどこおりなく書き換え手続きをすませ、冬紅葉を鑑賞しながらの帰りの道となった。 デパ地下でふたたびスタッフへ大福のおみやげを買い、昼用のサンドイッチを買い、仙川行の電車に乗りこんだ。 ふと、携帯と思いつついつものリュックのポケットに手をいれた。 しかし、ない。 いや、あるはずと今度は本体のリュックをかき回して探す。ない。 パンの袋や大福の袋を覗くがない。ポケットにもない。 まずいぞ。失くしたか。 (そうだ、パンを買ったときに忘れたのだ) 慌てて発車寸前の電車より飛び降りて、駅員さんに訳を話して、京王デパートの食品売り場に急ぐ。 パン屋にはさっきのお姉さんがまだいる。 「あのう、携帯の忘れ物、なかったですか?」 「携帯? ありませんけど」 (ああ、じゃあ大福売り場だ) 大福売り場へ急ぐ前に、リュックの中をもう一度みる。 やはりない。 で、おもむろに左ポケットに手をいれた。 あるじゃん!! 右ポケットは探したが、左ポケットを探すのを忘れていたのだった。 チャン、チャン、である。 あーあ、、、、 ふたたび京王線に乗りこんで、わたしはつくづくと自分の人生において無駄にした時間を省みた。 たぶんこれまでの人生の5分の1は、こんな風に使わなくてもい体力と時間を無駄にしてきたのであろう。 あわれむべきyamaokaである。 気をとりなおして、新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装。212頁。 成田美代さんは、昭和25年(1950)千葉県茂原市生れ、現在は千葉市にお住まいである。 平成12年(2000)に「千葉県庁谺俳句会」に入会、平成13年「鴫俳句会」に入会、伊藤白潮に師事、平成16年(2004)同人、平成22年(2010)に「鴫新人賞」、平成25年(2013)に「鴫賞」を受賞されている。本句集は、平成12年から27年までの作品を収録した第1句集である。序文を井上信子鴫代表が、帯文の「鴫」選者の高橋道子氏が寄せておられる。 紅葉降る音積もる音踏み行く音 「山歩きのように一歩一歩を大切にして俳句の道を進みたい」とう美代さんは、学生時代から山登りに親しみ、国内の多くの山をはじめ、海外にも足を伸ばしてこられた。俳句に出会い、登山に俳句の眼をもってのぞんだことから、この臨場感と躍動感に満ちた句集は編まれた。 高橋道子氏の帯文を紹介した。 本句集は帯のことばにもあるように「山登りとともにある俳句」である。 序文をかかれた井上信子代表はこんな風に書く。 (略)作者には「登山」と言う、学生時代からのライフワークがある。環境と健康には恵まれて来た筈である。それも常に御夫君と行を共にされている、と聞き及んでいる。 さて、出詠地はわからないが、 若き日の心音のごと落葉踏む 情と実の交錯である。しかも限りなく甘く切ない。極く初期の作である。 外国詠も多く、アラスカ、カナディアンロッキー、キリマンジャロなどなど、私には、夢にも現れない土地だから追いきれない。 美代さん、すこやかに、いつまでも、今のままで。 たしかに本句集には海外詠も多いが、単なる海外詠ではなくやはり「山とともにある海外詠」である。 作品を紹介したいが、ほぼ山にかかわる現場で詠まれていると思ってよろしいのではないだろうか。 髪乾くまでを夜風に椎の花 サングラス買ひたるよりの弱気かな 狼のこゑや氷河の水使ふ (カナディアンロッキー) コスモスと音なき空を共有す 蹼のなき手を入るる春の水 万緑や徒渉の水の盛りあがり 鋭角の音に手折れり夏蕨 呼び合うて離れてすすむ茸山 凩一号地図に引く赤き線 餅を焼く己が身の丈減らしつつ 腰に漕ぐ笹原深し夏鶯 迷ふため道のあるらむ鰯雲 山小屋より微酔の一歩銀河濃し 生ぐさきまで岩なめらかや紅葉川 冬泉どこか笑つてゐるやうな 言ひ足らぬことの多しよ梅真白 (父逝く) アンチエイジングとは春キャベツほぐしをり 吾もまた西日まみれに負へる荷も 火口湖の波なき紫紺夏燕 蟷螂の深まなざしの中にをり 枯蓮のあはひの水の照り強し 雪うさぎ息をせぬかと手囲ひに 群れ鳥のなか割り入らむ春スキー 初紅葉水の分厚くなる辺り とりあへずリュックにつめむ秋風も 山をとりわけ親しく好もしく思う著者だからだろうか、自然との距離が俄然近いようにおもえる。「冬泉」も「蟷螂」も緊迫感を与えるものではなく好もしい安らぎとなる。登山者として自然の厳しさを人一倍感じ知るものであるからこその俳句である。市民生活者の感性を脱ぎすて、自然の気息にはげしく呼応する著者の姿がある。 吊橋を過ぎて身の揺れ鳥交る 「集名」となった一句である。 それまで俳句には全く縁がなかったのですが、たまたま職場のお付き合いで千葉県庁谺俳句会の「合同句集第一号」の出版記念会に出席したことが、私の俳句との出会いでした。「鴫」主宰の伊藤白潮先生にも、その席上で初めてお会いしました。その少し前に、学生時代に始めて子育てなどで中断していた山歩きを、職場の同僚に誘われ再開していました。お付き合いで始めた俳句ですが、これまでこうして続けて来られたのは、句材を山歩きの中で見出す楽しみを知ったことが、一つの要因かと思っています。俳句との出会いにより、登山は一層味わい深いものとなり、さらに、このことが白潮先生の標榜された「人間の総量としての俳句」へ近づく私なりの足掛かりになるのではと思えるようになってきました。 句集については、定年退職の時に一つの区切りとして編みたいと心の中に温めていたのですが、白潮先生にご相談申し上げようと思っていたその矢先、平成二十年八月に先生が急逝され、実現できませんでした。その後句集については意欲がなくなっていたのですが、先生の七回忌が過ぎたころから、再び句集を編みたいと思うようになり、このたび、上梓の運びとなりました。(略) 今後も、山歩きのように一歩一歩を大切にして、俳句の道を進んでまいりたいと思います。 「あとがき」の言葉である。 本句集を担当したのは、文己さん。文己さんの好きな句である。 水底に日のさゆらぎの岩魚の眼 緑陰の出湯鎖骨の荷ずれ跡 野遊びの腕に時計をつけぬ主義 ぶらんこを揺らさず座る昼の月 頬膨らます秘め事も焼芋も 合言葉あるかに会釈蕎麦の花 記憶とは創作に似て野の錦 また遭うて籠を見せ合ふ茸山 「ぶらんこ」の句はわたしも好きな一句である。 立派な山女(失礼…)の成田美代さんであるが、本の装丁はシックなものを希望された。 装丁者は君嶋真理子さん。 著者は冬の厳しさが好きなのかもしれない。 出来上がった本をみて、ふっとそんな風に思った。 シックな色合いゆえにかえって美しい。 金箔押しのタイトルと名前。 帯もこの用紙である。 タイトルのみ、ローズの色をおく。 「身の揺れ」という個性的な句集名をもつ句集が、上品な佇まいをもって出来上がった。 (実は最初のラフイメージは緑色のものだったのだが、この装丁が緑系になってしまうと極めて平凡なものとなってしまう、ご本人が希望された色合いにおいて個性的なものとなったのではないだろうか。) 泉汲む獣のやうに腰を折り 人類に冬眠なくて吹く葛湯 二句とも好きな句である。「泉」の句は「獣のやうに」がいい。山登りをしながら著者がよく目にする光景なんだろう。その光景とは泉を汲む人間のみならず、泉にやってきた獣の光景とかさなる。 二句目、山を下りてからも成田美代さんの心には山がある。「葛湯」の季語が山ふところに眠るいものたちの肉体と通いあっている。葛湯の温かさがけものたちの心臓の温もりをよび起こすのだ。 ひとつお詫びをします。 昨日の関悦史さんの「水曜日の一句」の紹介で、杉山文子さんの句をを杉山久子さんの句と間違えて、紹介してしまいました。 杉山文子さま、杉山久子さま、そして関悦史さま、たいへん失礼をいたしました。 粗忽者のyamaokaである。
by fragie777
| 2016-11-17 20:04
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||