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11月14日(月) 旧暦10月15日
最近ふらんす堂に出没する男子たちがいる。 今日は二人を紹介。 爽やかな男子たちであるが、 どこに出没するかなかなか油断ならない。 昨日は一番大切なことを書くのを忘れてしまった。 澤好摩さま、そして「円錐」の皆さま、 創刊25周年おめでとうございます。 こころよりお祝いをもうしあげます。 澤好摩代表、山田耕司編集長の下でますますのご充実をお祈り申し上げます。 俳誌「円錐」をご寄贈いただいているが、見るたびに誌面がバージョンアップしている感がある。 編集のみならず、レイアウトや誌面づくりなどすみずみにまで気合いが入っている。 今日は新刊紹介をしたい。 著者の牧原祐三さんは、1956年愛知県蒲郡市に生まれ、蒲郡市在住である。俳句をはじめられたことを「あとがき」に書かれているのでそれをそのまま紹介したい。 二十歳のころ、詩を書いていました。それから、詩を放棄し、仕事に就き、結婚し、子供を二人育てました。ふとした切っ掛けで俳句を始め、朝日俳壇に投句するようになり、思いがけず金子兜太先生の選に入り、以来投句を続けています。 本句集は、2003年から2016年までの13年間の間に作ったものを四章にわけて収録したものである。2014年に長谷川櫂選による「朝日俳壇賞」を受賞している。句集の最初に『朝日俳壇2014』で長谷川櫂氏が受賞作について書かれたものを転載して収録、それをそのまま紹介したい。タイトルは「俳句は文学である」。 俳句は文学である。というか、文学でなければならない。いいかえれば、詩である。詩でなければならないということである。 では詩とは何か。それを読んだときに哀しみであれ喜びであれ、心がふわりと浮きあがる感じ、それが詩であるといえばいいだろうか。古今の名句といわれるものはみな一かけらの詩を核にしてできあがっている。 裏返せば、現実の単なる描写や記録、報告や説明では俳句にはならないということでもある。世界のあらゆるもの、現実とは文学の素材、詩の素材でしかない。 正岡子規以降、見たもの聞いたものをそのまま言葉にすれば俳句になるという説が広まったが、これは近代の誤謬といわなくてはならない。また近年、高齢化に伴って俳句を余生の記録などと心得ている人も少なくないのだが、これは俳句への冒瀆だろう。 さて俳句が文学であるならば、選句とはその句が文学といえるかどうかを見極めることといわなくてはならない。句会や大会でもそうだが、朝日俳壇でもこの基準で選句している。先ほどの言葉を借りるなら心がふわりと浮きあがるかどうか、これで句を選んでいる。 この点、朝日俳壇はまことに贅沢な場所である。まさにそうした俳句に事欠かないからである。今年もその中から十句を選んだ。年間賞は牧原祐三さんの冬ごもりの句を選んだ。 少しだけ夢を片付け冬籠(ふゆごもり) 珍しい素材でもなく、変わった言葉を使っているのでもない。ただ日常に起こるふつうのことをふつうの言葉で言っただけである。そのふつうの言葉に深々とした思いが宿っている。「夢を片付け」とはある程度の人生経験を土壌にしなければ生まれてこない言葉だろう。 『朝日俳壇2014』 長谷川氏は「心がふわりと浮きあがる感じ」を基準に選をされているという。それではわたしも長谷川さんにならって、心がふわりと浮き上がる感じをわたしなりに思いながら、作品を少し紹介したい。 赤とんぼ心の先へすいすいと 大切なひと大切に良夜かな 父を呼ぶ子の駆け出して春の暮 早蕨や背筋伸ばして立ち尽くす (『田中裕明全句集』) 髪切りて青年の貌五月晴 鶏頭や夢呑み込んで立つてをり 自画像を描きて忘れし秋の空 騙し絵のこの世と知るや春の闇 森を出て影生まれけり跣足の子 どれほどの恋をしたのか釣忍 葉牡丹や真中に波の寄せてくる 脇道へ逸れて花野に出会ひけり 花筏ひととき集ふ此の世かな 日の暮れて素直になれる桃の花 黄金虫いまを探しに飛び立てり 詩人いま絶滅危惧種冬深し 最後まで箱庭の中とは知らず この句、主体が動く。いったい知らずにいるのは誰か、あるいは何か。箱庭に迷い込んだ蟻一匹のことなのか。または、あるいは自身のことを詠んだものなのか。所詮、人間も箱庭の中にうごめいているものに過ぎないのかもしれない、世界は箱庭という虚構なのだ。そんな視点で詠まれたのか、鳥瞰的な視点から虫瞰的な視点に一挙に反転するような謎を残している。 まぼろしのしつぽ追ひかけ猫の恋 「まぼろしのしつぽ」とは詩のことです。まぼろしにしっぽがついているのか、しっぽそのものがまぼろしなのか。いましばらく、詩を追い掛けてみようと思っています。 「あとがき」にこう著者は書かれている。 この句集の担当は文己さん。文己さんの印象に残った句。 雨蛙宇宙のすべて眼に宿し 一息に世界を変へて虹が立つ蟻出でて世界をぐるり見渡せり 冬の朝脱ぎ置くスリッパ個性あり 海風に吹き飛ばされし秋思かな 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 牧原さんが用意された写真と題字をカバーに使うこと 、というご依頼をスマートにデザインした。 帯は長谷川氏の文章より。 全体をブルーと白の色調で統一。 「これで少しだけ夢をひとつ片付けたことになります」 と、文己さんは牧原さんよりメールをいただいた。 第一句集のご上梓、おめでとうございます。 手を入れて我在るを知る寒の水 本句集を読んでいくと、著者にとって「我とは何者か、あるいは我がいる世界とは何か」そんなテーゼがいつも著者の心を捉えていることに気づく。「夢」という言葉が多出するのも、どこか現と夢が錯綜している感があり、この句は自身の実存を「寒の水」で確認した一瞬を詠んだものか。著者にとって、俳句を作るということは、世界への大いなる問いかけなのかもしれない。 ごくたまにであるが、「カットモデルになってください」って言われることがある。 「カットモデル」と言えば聞こえがいいが、要するに「あなたの頭でカットの練習をさせてください」ということ。 先週末の土曜日も仙川をふらふら歩いていたら、素晴らしい美人に声を掛けられた。カッコいいショートカットヘアーで、感じもいい。だけど、カットしたばかりなのよ、わたし。だから最初から逃げ腰で、「ごめんなさい、急いでるんで」と言うと、「今でなくていいんです。都合のいい時間に、是非に」と案外熱心である。「ごめんなさい、仕事してるもんで時間が取れないの」と言ったら納得してくれた。暇なおばさんと思われたのかもしれないな。しかし、ショートヘアーが似合うカッコいい美女だった。いいなあ、わたしの理想の女性に近かったぞ。
by fragie777
| 2016-11-14 20:01
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Comments(2)
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