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10月28日(金) 霎時施(こさめときどきふる) 旧暦9月28日
今日の「霎時施(こさめときどきふる)」はまさに今日のような日のことを言う 小雨が降り冬の近いことを感じさせるような一日となった。 新刊紹介をしたい。 著者の森澤程(もりさわ・てい)さんは、1950年長野県佐久市生まれ、現在奈良県橿原市在住。1995年「花曜」に入会し鈴木六林男に師事、2005年「花曜」終刊、2006年「光芒」(久保純夫代表)創刊に参加。2008年「光芒」終刊。現在は「藍」(花谷清主宰)に所属。本句集は第1句集『インディゴ・ブルー』(2006)に次ぐ第2句集となる。2006年から2016年までの作品を収録。跋文を花谷清主宰が寄せている。句集名の「プレイ・オブ・カラー」の由来を著者は「あとがき」に次のように書く。 〈あとがき〉を書いている手元には、米粒程のオパールのペンダントがあります。句集名について迷っていたときに、ふと思い出したものです。長年ひきだしの底に眠っていましたが、最近は、身につけるというより、日光や灯りにかざしたり、向きを変えては、色彩やその形を楽しんでいます。「プレイ・オブ・カラー」は、オパールの特徴とされています。 本句集がそのようにいろいろな角度から読まれることを願っておられるのだろうか。跋文を書かれた花谷清主宰は、まさにこの句集をさまざまな角度から掬いあげ鑑賞してみせる。本句集が持っている多面的かつ重層的な構造に繊細な切り込みをいれて『プレイ・オブ・カラー』の魅力を論じてみせている。 花栗や星より静かなものに坂 は、遥か遠方の〈星〉と作者が今歩いている身近な〈坂〉との静けさの比較になっている。〈星〉が静かであるのは誰しも認めることであろう。したがって、この〈坂〉は、例えようもなく静かだったと受け取れる。ふつう比較は同じレベルの二物についてなされる。掲句の〈星〉と〈坂〉とのやや異例な比較に違和感を感じさせられないのは、どちらも「漢字一字の表記」「二音の読み」となっており、視覚と音覚の平仄が合っているからだろうか。六月ごろに咲く〈花栗〉は、独特の香りを放つ。遠くの〈星〉の輝きのもとで、夜は見えない〈花栗〉の香りと〈坂〉の静けさが渾然とした雰囲気を醸し出している。 白馬の血流静かなる野分 郭公や家に居て家なつかしき アネモネの茎の静けさ父のもの 母の日も竹藪も過ぎさざなみや 耳成と畝傍の間に薔薇を挿す 炊飯器の湯気の高さも復活祭 花冷えの胸のあたりが水平線 小雨から緋鯉の模様抜け出しぬ 黒金魚卓布の襞にふれにくる かなぶんの青と藍との境界線 夏を待つ夕日の色の首飾り にわとりは走りマグノリアのみどり 石を伐りそれから花を見て眠る 測量士Kのあと追う草の坂 鬼やらい火の影つねに動きおり 夢はじめ翡翠が魚を呑むほとり ストローと無意識出合う西日駅 白鷹の夢白昼をけむりたる N極を指す針赤し芝青し 前衛も糞ころがしも風のなか 森澤程さんの俳句は、型に嵌まっていず、類型に没していないとかねてから考えてきた。今回句稿を拝見して、この判断を再確認した。具象的な作品には象徴が、抽象的な作品には写実が、言外にひろがる豊かさが感知できる。身辺の物と現象の中から、隠れた均衡や揺らぎを取り出し、作品に純化させる自在さがある。(略)個性のある作家としての独自な方法を確立した著者の記念碑といえよう。 跋文を紹介した。 「類型に没していない」とは、まさにその通りであると思う。収録句がどれも既成の作り方に充足せず、意識的な方法によって新しい世界を獲得しようとしている。 国ありて湯舟の外に置く片手 面白い一句だと思った。「国ありて」がいいと思ったのだけど、「国ありて」のこの「ありて」が「片手」といかなる関係性を持っているか。あるようでないようで、しかし、「国ありて」という措辞がなかったらこの「湯舟の外」に置かれた「片手」は単なる風呂に入っているその途中の片手である。「国ありて」が「湯舟の外」に置かれて濡れいる「片手」と拮抗して片手が大きく見えてくる不思議さ。片手が国家を呼び起こしているのか。そしてこの景、どこか悠然とのんびりとした感があって、いいなと思う。無季の句である。 俳句を始めて二十年が経ちますが、三つの俳誌の終刊を経験しました。このささやかな経験と句作の途上にあって、対自分への曰く言い難い距離感、対自分との隙間のようなものに気がつきました。私の場合、この距離感と隙間を大切にすることにおいて、俳句との関わりが続いているようです。俳句という器は、さわったり見たりすることのできないものですが、不思議な質量を蔵しているものにも思えます。 「あとがき」の言葉である。まさに「不思議な質量を蔵」していると、森澤さんの俳句を読むと思う。 ほかに 生きている父と色づく林檎かな 橋脚の垂直六林男忌も過ぎる ハンドルに白鳥の香のかすかなり 母のように川をかくしている桜 朝桜鳥のまぶたに血の透いて 白魚を呑み込んで首熱くなる 汗ばんで耳澄んでいる影法師 真夜中の方から来たり錦鯉 天高しゆっくり歩き父転ぶ オルガンにうさぎの襟巻のせてある 落花飛花差し伸べられて大きな手 鯉を抱く夢のつづきの夏の水 聖書また葎の見える方へ置く たてがみとマフラーの向き変わるなり すみれ濃しすみれ淡しと百人ゆく 滴りや鞄の底へ着信音 本句集は白のシリーズの一巻として刊行された。 装丁は和兎さん。 白の用紙であるが風合いの豊かなもの。 セーターの毛玉取りつつ滅びるか 一句あげるとすれば、この句が好き。滅びへと向う人間は、おちおち毛玉も取っていられないけどでもやっぱり毛玉はとる。この「滅び」は死にゆく存在としての人間というよりも、愚行をくりかえし人類の滅びをはやめている人間のことであり、揶揄をこめた批評性がある。このあっけらかんとした感じが好きだ。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、中井保江句集『青の先』より。 底冷えの底の底にはマグマあり 中井保江 底冷えは京都の名物。夜のみか昼も髄に染み入るように冷える。そんな夜に読まれた一句だろう。底冷えの「底」をとらえて地の底には高熱のマグマが煮えたぎっているというのだが、それにしては冷える。宇治の人。句集『青の先』から。 10月もあと数日である。 スタッフたちと、食事会をしましょうよ、といいながら、全然果たせていない。 実は夏から言ってんの。 「暑気払いをしましょうよ」から始まって、、、、、あれこれ、あれこれ。 まったく嘘つきのyamaokaである。
by fragie777
| 2016-10-28 21:02
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